人口が極端に少ないシンガポールがとった政策は、超・教育立国
シンガポールがマレーシアから独立した時に山積していた課題で、水の不足という切実な問題に続く、次なる大問題は、国内に資源が一切ないこと、そして、人口が極めて少ないということだった。
兎に角、国の面積が、東京都23区程度しかないのであるから、そこには、世界の大国と国力を競争するだけの人口がいるはずはない。そして、中東の小国クエートのように、国内に奇蹟のような、油田でも採掘されればよかったわけであるが、残念ながら、シンガポールの国内には、そんなものも全くないわけである。
そんな何もない国家が、さあ、どうやって、世界の大国と渡り合うかを、初代首相のリー・クワンユーは真剣に検討した。そして、彼が、ヒントにしたのは、欧州の英国、そして、極東の日本であった。
英国と日本は、ともに、大陸から離れた島国の小国であり、国内の資源も人口も乏しい。しかし、英国は大航海時代に七つの海を制覇した大英帝国であり、日本は明治維新で中央集権国家として欧化政策をとって欧米列強と渡り合い、太平洋戦争で負けて、国土を焦土にした後に、再度、高度成長をとげて奇跡の経済大国として復活した国である。
シンガポールは、大英帝国の世界戦略に利用され、その後、大日本帝国が英国を破って占領をした地域である。従って、シンガポール人にすれば、英国や日本に対する忸怩たる思いがあったはずだ。
しかし、中国や朝鮮半島諸国が、半世紀以上をえても、反日を論点に引きずっているのに対して、シンガポールは、反英感情や反日感情を乗り越えた。イギリス、そして日本の成功に学べと、リー・クワンユーは国民に訴えたのである。
リー・クアンユーは、英国と日本に、ある共通点を見出す。それが、「超・教育立国」ということだ。
例えば、日本の明治維新の原動力は、江戸時代を通して育まれた郷士身分の下級武士や、農工商の庶民の識字率の高さに代表される教育にあった。そして、太平洋戦争の焦土からの復活も、日本人の教育水準の高さが、大きな原動力となったと、リー・クワンユーは語っている。
少ない国民に対する教育こそ、資源がない小国が、生産性をあげ、人口が多い大国に勝てる大きな原動力であると、リー・クアンユーは考えた。
ここに、シンガポールが、「超・教育国家」の道を歩む基本的な戦略を見出したのだ。
少子高齢化が進み、人口減少が危惧されているときに、「ゆとり教育」を推進した日本よりも、ずっとシンガポールは、日本という国家の教育を評価し、よきお手本として、研究したわけだ。
「小学校卒業と同時に人生が決まる」シンガポールの超・競争教育システム
次の図は、シンガポールの教育システムの体系図だ。
この中で、最も特徴的なのは、PSLEである。
シンガポールで子供を育てるお母さんと話をすると、誰もが一様に、このPSLEの存在を嘆く。この図を見ていただきたいのは、PSLEが小学校6年間を終了する段階の選抜試験と位置付けられており、そのあとに、Special Course Integrated Course(中高一貫校)からGCE”A”ExamをえてUniversityに入学するコース、Special Course Express Course(特別快速コース)4年間から、GCE”O”Examでエリート高校(飛び級で2年の短縮コース)と普通高校(3年間)に分かれてGCE”A”ExamをえてUniversityに入学するコースがある。PSLEの後にも、GCE Examがあって、そこで何度も選別されるのだ。
図をみていただければわかるとおり、それ以外のコースの場合、Polytechnic(技術専門校)に進むようになっている。
この図では、PolytechnicからUniversityに線がひかれているが、実際は、この入学コースで、Universityに入るヒトはほぼいない。
ところで、シンガポールのUniversityは、6大学しかない。
最高峰のシンガポール国立大学。ここは、日本の東京大学を凌ぐ超難関校。
南洋理工大学。ここは、日本でいう東京理科大学だ。
シンガポールマネジメント大学。ここは、日本でいう一橋大学。
このトップ校に続き、デザイン系大学、技術系大学、社会科学系大学がある。
日本でいう、早稲田大学や日本大学のようなマンモス大学は存在しない。つまり、日本のように、私立大学が乱立し、大学に全入という体制では全くないのである。
シンガポールの大学は、特に国立大学は、スーパーエリート大学である。この大学への第一関門が、まさに、PSLEになっている。小学校6年生卒業段階で、大学にあがることが可能なコースと、上がれないコースに完全にすみ分けられてしまうのが、シンガポールなのだ。
二流大学というものを一切作らない。大卒者はエリートコースとして、極めて高い水準の教育ができるようになっているのである。
更に、シンガポールの大学へ進学した後でも、更に、アメリカのアイビーリーグの大学院へ留学し、名門ビジネススクールのMBAなどの学位を取得して、帰国した人だけが、シンガポールのエリートコースである国家官僚や、金融業のスペシャリストに進むことができるのである。
大学院や、大学に進学したヒトが着く仕事(金融業や官僚)と、普通のPolytechnicを卒業したヒトの地位と年収は、雲泥の差が開き、これが、仕事に入ってからの努力では、少なくともサラリーマンでは縮めることができない。
これが、超学歴主義社会シンガポールの教育システムだ。
外国人の子供しか遊んでいない、セントーサ島リゾート
あなたは、シンガポールに家族旅行に行ったことがあるだろうか?
家族旅行でシンガポールに行けば、誰もが訪れるのは、マーライオン公園や、その対岸にあるマリーナベイサンズ、そしてセントーサ島のリゾートや、世界遺産のシンガポール植物園などだろう。
これらに遊びに行って、あなたは、どこかが、シンガポールがほかの国と違うことに気づいただろうか?
そう、これらのエンターテイメント施設で遊んでいるのは、すべて外国人旅行者ばかりだということだ。日本人や、欧米人、中国から来た中国人が連れた家族の子供は目立つが、シンガポール人の子供を連れた家族連れは、ほとんど見かけない。これがシンガポールの特徴だ。
シンガポール人が食事をするホーカーにいけば、シンガポール人の子供連れは結構いるが、休みの日に、シンガポール人が子供を連れて遊ぶ姿は、殆ど見ることができない。
そう、あなたが、シンガポールに行って、遊びに行く施設は、すべて、「外国人から外貨を獲得するために作られた国家戦略的施設」なのだ。休日に、子供を連れて遊びに行くようなシンガポール人がいたとしたら、それは、移民の低所得者の家族で、子供の将来をすてた「低級」な家族だ。
小学校卒業時に行われるPSLEで、子供の将来が完全に決定してしまうシンガポールでは、上流家庭や中流家庭は、休日には、ひたすら子供を予備校で勉強させる。そのため、小学生が遊ぶ姿を観ることは殆どない。
かつて、日本は、「日本は資源も国土もない」という合言葉のもと、世界でも有数の教育国家であった。勿論、そこに弊害もあったため、日本は、教育政策を「ゆとり教育」に転換した。その良し悪しは別として、シンガポールは、そのかつての日本のモデルを採り入れ、世界でも有数の試験競争社会の仕組みを教育にとりいれ、今なお、その根本を変更していない。
この凄まじい競争社会に対して、シンガポール人たちは、様々な意見を持っていると私は感じる。特に、競争に敗れ、大学に入れなかった人たちと話をしてみると、もう二度と人生をやり直すことができない、学歴社会を呪う声も、私は時々耳にする。
しかし、間違いなく言えることは、この凄まじい競争社会を勝ち抜いたエリートたちによって、シンガポールという国家は、世界一の富裕国家になったということだ。
この教育システムは、シンガポール社会をビジネスの観点から見るとき、外せないインフラになっていることは事実なのだ。
続く
本稿の著者
URV Global Mission Singapore PTE.LTD President
松本 尚典
- 米国公認会計士
- 総合旅行業務取扱管理者
米国での金融系コンサルタント業務を経験し、日本国内の大手企業の役員の歴任を経て、URVグローバルグループのホールディングス会社 株式会社URVプランニングサポーターズ(松本尚典が100%株主、代表取締役)を2015年に設立。
同社の100%子会社として、日本企業の海外進出支援事業・海外渡航総合サービス事業・総合商社事業・海外の飲食六次化事業を担う、URV Global Mission Singapore PTE.LTD(本社 シンガポール One Fullerton)を2018年12月に設立。
現在、シンガポールを東南アジアの拠点として、日本企業の視察・進出・貿易の支援を行う事業を率いている。