独立を勝ちとるまでの多難なベトナム史~中国からの侵略に対する抵抗~

日本人ビジネスマンが勘違いする、ベトナム人の性格

ベトナムビジネスを開始するにあたり、日本人はベトナム人の性格を勘違いし、大きなビジネスでの失敗を起こしがちだ。

「ベトナム人は、素直で、農業国家日本の昔の日本人によく似ている。」
「中国人や韓国人と違い、ベトナム人は親日だ。」

確かに、このような日本人のベトナム人感は、完全に間違いだとはいえない。
しかし、もう一方で、ベトナム人の一面しか見ていないと、私は思っている。

まず、ベトナムビジネスを本気で考えるならば、ベトナム人の性格というものを正確に把握しておく必要がある。

結論から言えば、確かに、ベトナム人は親日的だ。しかし、それは、彼らが日本人や日本をよく理解したうえで、親日的になっているわけではない、ということをよく理解しておいたほうがよい。歴史的に、ベトナムは、中国に1000年にわたって屈辱的な支配を受け、更に、宗主国フランスからも屈辱的な植民地支配を受けた。

一方で、日本からは、侵略も植民地的な屈辱も受けたことがない。つまり、日本とは、関係が薄かったのである。そのため、ベトナム人は、中国やフランスに対する強い抵抗と受容を歴史的に行っているが、一方、日本人や日本のことは、表層的にしか知らないのである。

ベトナム人は、反中であり、反仏だ。その反射的効果として、親日に見えるだけなのだ。

確かに、ベトナムは、ハノイを中心とする北部は、農業社会だ。村落社会ともいえる。
したがって、彼らは、農業民族的な団結重視の社会構造を持っている。欧米人などと異なり、個人主義的ではない。

しかし、だからと言って、彼らが日本的な農耕民族型の社会性を持っているわけではない。

ベトナム人の共通の性格は、「楽天的で、相当にしたたか」というもの。日本人の農耕社会に独特の、「集団のための滅私」という特徴を、日本人とは共有していない。

ここが、メーカーでベトナムに進出した日本企業が、ベトナム人の性格を日本人的に解釈して、大きな問題を引き起こす原因になっているように、私は思うのである。

このベトナム人を理解するため、この彼らの性格が培われた歴史を、概観していくことから、この特集をスタートさせよう。

1000年の中国の支配

ベトナムの歴史は、その北に位置する中国の歴代大帝国の歴史を抜きに語れない。紀元前2世紀。始皇帝が没し、関羽と対立した劉邦がそれを破って漢帝国をたてる。その漢に、ベトナムは紀元前2世紀末、まず、支配される。その後、1000年にわたり、ベトナムは、歴代中国の王朝の支配を受け続ける。

ベトナム語で、この時代の隷属を、「北属」(バフクトウツク)と呼ぶが、これは、ベトナム人にとって、北方の中国からの屈辱的な支配隷属期間だったわけだ。勿論、この1000年の間、ことあるごとに、ベトナムは北属からの独立運動を起こす。世界史的に有名なのは、紀元40年のハイバーチュン(微姉妹)反乱事件だ。ただ、残念ながら、この独立運動は、失敗し続ける。

そして、ベトナムが中国からようやく独立を果たすのは、938年の呉権(ゴクエン)の反乱。これで、ようやく、ベトナムは、1000年のぶりの独立を果たす。

しかし、中国は、あきらめない。この後も、中国歴代王朝は、ベトナムへの侵略を繰り返す。

1075年には、宋の侵略。
13世紀には、日本にも2度来襲した元の侵略を、ベトナムは3度受ける。
そして、15世紀には、明の侵略をうけ、この時には、20年に及ぶ占領を受ける。

明は、この占領期間、ベトナムの徹底した中国化を図り、ベトナム民族の歴史と記憶を徹底的に焼却する政策を行う。

そして、更に、1789年、満州族の国家 清の乾隆帝も侵略を試みる。

そう、まさに、ベトナムの歴史は、ひたすら、中国に侵略され、そのたびに、これを打ち破った歴史なのである。中国は、その出身が漢民族王朝(宋・明)であろうが、モンゴル族(元)であろうが、満州女真族(清)であろうが、ベトナムを執拗に侵略し続けたのである。

今、ベトナム人は、この中国の侵略と、それに対して抵抗して勝利した民族の英雄の活躍を、ひたすら歴史の授業では教育される。中国・韓国で、日本の侵略が教育され、反日思想を形成しているが、ベトナムでは、この相手が中国なのである。

ハノイ、ホーチミン、ダナン、フエなどの通りの名前には、この中国に対する抵抗した英雄の名前が使われている。

しかし、では、ベトナム人が、韓国人が日本に対して反日をかかげて、マイナス思考的にふるまうように、中国に対して、ふるまうかというと、そんなことはないのである。

むしろ、ベトナム人と話をしてみると、ベトナム人は、反中という発想をせず、「中国の度重なる侵略に対し、常に勝利を続けた、民族の団結力」を誇りとする、というように、プラス思考で捉えているのである。

この誇りが、「なんとかなるさ」という、ベトナム人特有の楽天的発想を生み出しているのである。そう、苦しくても、常に勝つ、というベトナム人の特有の楽観的な思考は、ここからきているのである。

我々が、ベトナム人と付き合う時に感じる「軽さ」は、まさに、これである。

中国式が根付いたベトナム

そして、ベトナムの特徴は、これほど長く中国の侵略を繰り返し受けてきたにも関わらず、その文明の基本を中国式に置いた点にある。

例えば、日本は、推古女帝の摂政 厩戸皇子(聖徳太子)が、小野妹子を派遣してスタートした遣隋使を通して、仏教を中心とした中国文明を採り入れ始めたのに対し、後に、菅原道真によって、遣唐使を廃止する。中国文明から脱却した独自の日本文明の形成を明治維新に至るまでの約1000年、培った。これと対比すると、ベトナムの中国文明に対する受容の仕方が非常に面白い。

日本も、ベトナムも、アジアの超大国中国に対する、反感と抵抗の中で、武力面においては、中国からの侵略を常に警戒したことは共通する(例えば、ベトナムも日本も、モンゴル族の元朝から、ともに侵略を受け、これを撃退している)のに対し、文明においては、その態度が全く異なる歴史を織りなしているのである。

例えば、ベトナムの政治制度は、中国と全く同一の官僚制度(文官制度)で、しかも、その登用方法は、科挙を採用してきた。日本が、中国式の科挙を一切受容せず、遣唐使廃止から100年程度で、武官(武士)による封建制(幕府政治)に移行したことと、対照的だ。

ベトナムは、フランスに占領され、フランスに否定されるまで、中国式の政治体制を守り続けた。

北部ベトナムに色濃く残る、中国の影響

この中国の影響は、ベトナムの北部に行けば行くほど、今でも濃くなる。

ベトナムは、ハノイを中心とする北部と、フエなどを中心とする中部、ホーチミンを中心とする南部で、全く性格が異なる社会文化体制の国である。その北部は、非常に中国の経済や文化の影響が強く、中国に親和性の高い社会になっている。

ハノイよりも北部のエリアに行くと、今でも通貨では人民元が普通に通用する。中国の地方にいったような気分になる。

政治体制だけでなく、文化も経済も、ベトナムは中国の受容し、中国式の体制が今でも、ベトナムの基盤になっているのは、中国式を一旦は受けいれつつも、それを否定して国風文化を育んだ日本人と、ベトナム人の、社会に対する考え方・受容の仕方の違いと思ってよいと思う。

続く

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