シンガポール建国 その絶望の瞬間
1965年8月9日。
この日、マレー半島の先端に付属品のような形でくっついていたエリア、マレーシアの一州だったシンガポールは、単独の独立国家となった。
今、21世紀の世界に生きている私たちにとって、シンガポールは、まさに、アジア最高の富裕国であり、しかも、世界中の人たちを引き付ける魅力的な旅行先でもあるから、その独立は、定めし、シンガポールにとって、輝かしいものだったに違いないと、思うかもしれない。
普通、ある国家の独立といえば、長年に亘って、その国の人たちが独立のために戦い、独立を勝ち取った、極めて栄誉ある事件だ。
しかし、シンガポールの場合、違った。
シンガポールの独立は、栄誉どころではない。まさに、シンガポールにとって、絶望の瞬間以外の何者でもなかった。
シンガポールの独立は、シンガポールが望んだ独立ではない。マレーシアから追放された独立だったのだ。
これを今に伝える実話がある。
独立を伝える記者会見の席で、当時のシンガポールの首相 リー・クアンユーは、次のように述べて、こみあげる不安感から、その場に泣き崩れたのである。今でも、その当時の映像が、YouTubeで公開されているので、興味ある方は検索してみていただきたい。
このときの、リー・クアンユー首相の演説を、以下日本語訳をして掲載する。
「私にとって、それは、苦悩の瞬間である。
すべての私の人生、私の生涯を通して、私は、マレーシアとシンガポールの統合を信じ続けてきた。
両国は、地理的にも、経済的にも社会的にも、結合していた。
その、私たちが拠り所としていたものが、崩れてしまったのである。」
訳 URV Global mission Singapore PTE.LTD
Director Yoshinori Matsumoto
一国の首相が、独立の記者会見で、世界が見つめる中、涙を流した。これほど、シンガポールの独立は、前途多難であり、まさに、絶望の瞬間だったのだ。
何故、シンガポールは、マレーシアから見捨てられたのか?
リー・クアンユー首相が、シンガポール独立記者会見で泣き崩れたわけは、シンガポールが、その一州だったマレーシアから「見捨てられた」結果、やむなく、独立をしたからである。
では、何故、マレーシアは、シンガポールを見捨てたのであろうか?
「その1 世界の富裕国家シンガポールは、どうやって誕生したか」で述べたように、シンガポールは、もともと、中国への進出を図る意図をもったイギリスが、イギリス本国・インド・中国の三角貿易の中間拠点として、開いた貿易港として、世界史に登場したエリアである。
したがって、シンガポールは、街全体が、イギリス様式。住民は、イギリス人と、その下で貿易に携わった資本家や労働者の中国人が中心であった。
今でも、シンガポールの中心地 シティホールを歩くと、イギリス式の建物が目立ち、シンガポールリバーサイドには、当時の中国人商人や中国人労働者「苦力」(クーリー)の銅像が散在する。
イギリス式建物の例
このような歴史的な背景の中で、シンガポールの人口構成では、中華系が、土着のマレー系よりも多くなるのは当然だ。そして、貿易に従事する中華系は、マレー系の人たちよりも経済的に優位に立ち、政治的な力が強くなるのは自然の流れである。
一方、マレーシアは、マレー系の人たちが人口構成の中心を占める、イスラム教徒、つまりムスリムの国である。今でも、マレーシアは、マレー系の人たちの中心的宗教であるイスラム教が、国家の政治・文化の中心に位置する国だ。
今でも、私たちが、シンガポールから、国境を超えてマレーシアのジョホールバルに入ると、シンガポールとの至近の距離なのにもかかわらず、全く、街やヒトの様子が異なることを目の当たりにする。
シンガポールでは、中華系の女性が、熱帯の暑さの中で、Tシャツ・短パンで、肌を激しく露出して、街を闊歩しているのに対して、マレーシアに一旦入国すると、女性は肌を隠し、露出を全くしていない。シンガポールでは、中華系の人たちが自由に食材を料理して食べるが、マレーシアにいけば、例えば、豚肉はイスラムの禁忌にあたるため、全く食べることができなくなる。文化や生活習慣が全く違うのだ。
このように、シンガポールは、その歴史の中で、中華系が多くなるに従い、本国であるマレーシアにとっては、ムスリムが嫌うものを食べ、女性が平気で街中で肌を晒す「許しがたい」エリアになってしまったのである。
この文化的な衝突の結果、1965年、マレーシアは、ついにシンガポールを国から追放してしまったのである。
土地も、人口も、資源も、水すらない国へ
しかし、シンガポールというエリアは、国というためには、あまりに小さすぎるのである。
面積は、東京都23区とほぼ同じ程度しかない。
人口も非常に少ないから、当然、軍隊に入隊できる男性の数も少ない。
つまり、独立国として、他国からの侵略に対して、国を守ることもできない。
更に、国内に資源が何もない。最悪なことに、国内に山がないため、水が自給できないのである。
こんな状態に直面し、リー・クアンユー首相は、そのあまりの前途の多難さに、泣き崩れたのである。
しかし、この前途多難の国のスタートが、シンガポールの国民の結束と、危機感をもたらし、リー・クアンユー首相を専制的なリーダーとし権力の集中を行い、彼のもとで、極めてユニークな国家造りを可能にしたのである。
これが、世界に例を見ない、シンガポールという独自性の強い国家の推進力となったのである。
ラッフルズによって世界の貿易港として開港され、リー・クアンユーの危機感に基づく独自の国家構想によって生まれた、奇跡の国。
これが、今、私たちが目の当たりにする、シンガポールという特別な国なのである。
続く
本稿の著者
URV Global Mission Singapore PTE.LTD President
松本 尚典
- 米国公認会計士
- 総合旅行業務取扱管理者
米国での金融系コンサルタント業務を経験し、日本国内の大手企業の役員の歴任を経て、URVグローバルグループのホールディングス会社 株式会社URVプランニングサポーターズ(松本尚典が100%株主、代表取締役)を2015年に設立。
同社の100%子会社として、日本企業の海外進出支援事業・海外渡航総合サービス事業・総合商社事業・海外の飲食六次化事業を担う、URV Global Mission Singapore PTE.LTD(本社 シンガポール One Fullerton)を2018年12月に設立。
現在、シンガポールを東南アジアの拠点として、日本企業の視察・進出・貿易の支援を行う事業を率いている。