副業飲食起業編 第3話「秘密同盟」

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「銀座花月」への視察

あと数日で、梅雨入りとなる気象予報が出ていた。

表参道のインテリジェンスビルの最上階にある、株式会社バリューフェスの副社長室。その窓からは、青山学院大学の洒落た校舎群が、水気を含んだ空気に、薄く霞んで見えている。この部屋の主、バリューフェス副社長の坂田将は、今、バリューフェスグループの企業の社員がすべて使用しているサイボウズ ガルーンを見つめていた。

開いているのは、社長室 コンサルティング・デビジョン 海外進出コンサルティングセクションのページ。このページの最上位には、取締役デビジョンヘッドの阿部洋次の、びっしりと書き込まれたスケジュールが掲載されている。その下に、執行役員セクションリーダーの水谷隼人の予定。そして、その下に、今、坂田が観たい社員の予定が掲示されていた。

課長 山之辺伸弥。

海外進出コンサルティングセクションのメンバ-の予定は、他の部署の社員たちと比較にならない分量のスケジュールが、びっしりと書き込まれている。坂田は、日ごろ、全社の社員のサーボーズ ガルーンの使い方を、こまめにチェックしていた。グループウエアーのスケジュールの記入の仕方を観れば、その社員の能力は、凡そ図ることができる。

グループウエアーを与えても、自分から業務予定表を入力せず、予定がすかすかの社員は、まず、無能だと判断してよい。顧客とのアポイントの予定程度しかグループウエアーに入力しない人材は、仕事の段取りを、グループウエアーを通して、上司に報告することを避けている会社から一定の距離を保っている社員か、あるいは、段取り自体を考えてもいない使い物にならない社員かのどちらかである。

前者の場合、組織人として既に失格である。後者のような社員の仕事は、場当たり的で、安定性がなく、仕事にムラがある。当然、このような社員は、長期的にみれば、実績を出していくことができない捨てる人材と、坂田は判断していた。

そのような観点からすると、阿部取締役が率いる海外進出コンサルティングセクションのメンバーの予定からは、まさに、その人材が、今、どの程度の仕事のプロジェクトを抱え、それをどのように推進しているかが、一目でわかる。そして、そのこなす業務の分量が、他の社員たちに比較して、飛躍的に多いことも見て取れる。

坂田は、しばらく前から、阿部取締役が率いる、この部隊の、驚異的な仕事の量と、その量に比例する実績を、同部署の経費予算の推移とともに、注視していた。もちろん、その視線の中心にいるのは、課長の山之辺である。

坂田の机の上にあるパソコンには、非公式に、総務部財務課の課長から報告されてくる、海外進出コンサルティングセクションの予算管理表が表示されている。

阿部取締役は、株式会社バリューフェス 代表取締役社長の大井川秀樹が、自身の事業予算から支出した1億円の資金を非公式に獲得して、その部署を立ち上げた。そして、スタートした海外進出コンサルティングセクションは、スタートから数か月で、人件費や出張費を含む出費で、1億円の資金のうち、4,000万円ほどをキャッシュアウトした。通常の新規事業であれば、このキャッシュアウトはこの後も止まらず、1億円程度のイニシャル資金は、どこかで底をついて悲鳴をあげるはずだった。

しかし、海外進出コンサルティングセクションは、4000万円のキャッシュアウトをした時点で、収益と費用が均衡に至った。この均衡は、阿部取締役がヘッドハンティングをしてきた、山之辺伸弥が立案した韓国のビジネスによる成果だった。

バリューフェスは、韓国GL財閥に属するGLU+社と、国内の企業に比較して、コストが格安で、しかも、設備が抜群に優れたデータセンターを契約し、バリューフェスの顧客のIT関連企業のサーバーを韓国に移動するビジネスで、売上を精力的に伸ばした。

そして、山之辺は、驚くことに、自分でその業績を社内に見せつけることをせずに、黒子に徹し、会長の大井川秀樹の一人息子で、バリューフェスの阿部の部署に転職してきた大井川茂を韓国のソウルに転勤させ、責任者とする形で、自分の成果を譲った。社内では、大井川茂が、このビジネスを立案したと思っている社員も多い。しかし、すべては、山之辺が立案して画をかき、阿部が大井川と現場を動員して作ったビジネスモデルだったことを、坂田は感づいていた。

この成り行きを、坂田は、気づかぬふりをして、眺めていた。企画を立案し、演出した山之辺は、一銭の報酬金も手にせず、大井川茂だけが、ソウル赴任で、給与が大きくアップしたのである。

そういうことがあっても、山之辺の仕事の質は、全く落ちていなかった。

山之辺は、サラリーマンとして、会社からの評価を受けなくても、自ら自立して、仕事を進めることができる理想的人材であると、坂田は認識した。このような人材を、阿部の右腕として、阿部だけに与えておくことは、阿部に強烈な実務力を与えることになる。

坂田は、阿部が山之辺を入社させた際、山之辺の年収に干渉した。それを低く抑えた。そうすれば当然、山之辺は、阿部の下に入らないだろうと読んだ。しかし、その坂田の予想に反して、山之辺は、バリューフェスに入社し、その後、短期間で、大きな実績を韓国ビジネスでつくった。その段階で、坂田は、これ以上、この漢を、放置しておくわけにはいかないと感じた。

阿部と引き離すという、子供じみた人事異動をする必要はないが、この山之辺という漢と、坂田は、阿部が知らないところで、繋がっておく必要性を感じていた。阿部という敵と向き合い、全面対決をするような愚策を講じれば、坂田もまた、傷をおう。そのような単純な戦いを仕掛けることは、坂田にとっても、得策ではなかった。正面の大手門から攻めるのではなく、その敵の中に、味方を作る諜報工作こそ、孫子が教える兵法の極意である。

どこに、山之辺の落としどころがあるか?なぜ、山之辺ほどの漢が、年収を抑えても、阿部の下に入社したのか?

坂田は、それをしばらく前から、探っていた。

そして、坂田は、ある妙なことに目をとめた。阿部を通して、山之辺が、副業の届け出が出ていたことを知ったのだ。その内容が、強烈だった。銀座に、料亭を経営する、というものだったのだ。

人事部は、この山之辺に、副業を承諾していた。その承諾書を人事部から取り寄せ、山之辺という漢が、阿部の公認で、銀座に小料理屋を持っていることを知った。
山之辺が、実の姉を社長として、株式会社花月を設立し、銀座に、「銀座花月」という店を出店したという経緯も、坂田は人事部門から報告を受けて知ったのだ。

銀座だぞ。銀座に料理屋を経営するなどということは、普通の常識で考えて、サラリーマンの副業で成せる技ではないだろう。

ほう。なるほど。それだから、阿部は、山之辺をソウルに行かせなかったわけだ。この山之辺という漢は、単なる昇給や昇進のために、仕事をこなすような、単純な営業系サラリーマンではない。

今はまだ、韓国クラウドビジネス以外の、収益の柱になる事業モデルは、まだ阿部の手には入っていなかった。海外進出コンサルティングセクションは、損益が分岐している状況で、辛うじて、踏みとどまっているに過ぎない。従って、この次に、更に収益をあげられる事業モデルを創れるか否かが、海外進出コンサルティングセクションの命運を握っていると阿部も考えているだろう。

山之辺が、この小料理屋を経営しながら、どのような手で、次のバリューフェスのビジネスモデルを繰り出すのか、ここに、海外進出コンサルティングセクションの命運がかかっているというわけだ。

そうであれば、山之辺を潰すのではなく、自分が阿部に気づかれないように、繋がるべき、人材であると、坂田は、本能的に悟った。

当初、坂田は、山之辺の力を阿部ほどには、認めていなかった。所詮、大手住宅メーカーの、トップセールスに過ぎない。大企業の中で、セールスで驚異的な売り上げをあげているなどということで、本人の実力をその数字と結びつけるほど、坂田は、世間知らずではなかった。

大企業の営業と、新規事業とは全く異なる。一切、誰の力も借りられずに、単身、全方位的に事業に目配りをするというアントレプレナーシップは、大企業のサラリーマン営業マンに要求されるレベルとは、桁が違う実力がいるということを、坂田は、よく熟知していたからだ。

しかし、この坂田の山之辺に対する当初の評価は、どうやら、彼を過少評価しすぎていた結果だったと、既に、坂田は気付いていた。

山之辺は、海外進出コンサルティングセクションで、目を見張るスピードで、新規事業を生み出して、キャッシュアウトを止めただけでなく、副業で、銀座の飲食事業を経営しているのである。

この副業の正確な状態を、今のうちに見極めなくてはならない。

全方位的に、事業に目配りができ、同時並行的に、事業を創出できる、稀有のアントレプレナーとしての実力を兼ね備えているのかもしれない、山之辺という人材を、坂田は、抱き込む戦略に転換したのである。

坂田の見つめるサイボウズ ガルーンには、今日の山之辺のスケジュールがびっしり書き込まれていた。そのスケジュールは、19:30まで予定が詰まっていることを確認し、坂田は、パソコンを閉じて、立ち上がった。

銀座の街並み

時計は、午後4時半を回ったところだった。坂田は、秘書に「行くところがある。今日は、戻らない。」とだけ告げ、副社長室を出て、車寄せに向かった。

社用車を銀座四丁目の和光前で停めさせ、坂田は、運転手を車ごと会社へ返した。そして、一人、徒歩で、並木通りから、みゆき通りを左に折れた。

「銀座 花月」

時計の針は、午後5時を回り、ちょうど、銀座花月のあるビルに、オーダー仕立てのスリーピースのスーツを来た男性が入っていくところだった。おそらく、店の中で、女の子と待ち合わせるのだろう。

坂田もその男性のあとについて、銀座花月の店に入る。落ち着いた、品のよい和風割烹の店。和服をきた若い女性が、入り口で坂田を迎えた。坂田は、一番、下座のカウンター席に座り、メニューを見て、おまかせのコース料理を頼み、生ビールを注文した。

カウンターの中の厨房がみえる。和服に割烹着を着た女性が、一人で、料理を作っている。おそらく、それが、山之辺の姉だろう。そして、ホールに和服の女性が2名。2人ともに、違ったタイプの美女だった。

厨房にいる女性も、ホールにいる女性も、目を見張るほどの、美女で、その身のこなしも、一流だった。坂田が、ビールを飲みながら、ビールとともに出されたお通しをつまみだしたころ、店には、どんどん客が入って来ていた。

午後5時半には、カウンター席も、小上がりの席も、満席になった。坂田は、じっと、客層と、注文をしている料理を観察し、メニューを見比べていた。

週のはじめの平日の午後5時過ぎに、これだけの客が入り、殆どの客がおまかせのコース料理を頼んでいる。常連ばかりの店だ。坂田は、その状況から、店の一日の売上をアタマの中で計算した。

「なるほど。山之辺は、この店で、相当、成功しているということか。」

坂田以外の常連客は、全員が、キープしたボトルを呑んでいる。そして、ホールで料理を運ぶ、和服の二人の女性も、客と、親しそうに話している。その話の仕方に坂田は耳を傾け、この和服の女性たちが、単なるアルバイトではなく、接客のプロだと悟った。

これだけの店、そして従業員を、20代で創り上げるというのは、山之辺という漢は、何という商才にたけた、高い経営能力を持つ奴なんだろう。

坂田は、内心、舌を巻いた。

ホールにいた、和服の女性が、厨房の中の山之辺の姉と、坂田のほうをちらりと見て、何か、言い交した。そして、そのホールにいた女性の一人が、坂田の席に近づいてきた。

「お飲物、どう、次はどうなさいますか?お客様、はじめてのお越しですよね?花月をお選びいただきまして、本当に、ありがとうございます。

私、ホールを担当させていただいております、奈美と申します。よろしく、お願いいたします。」

奈美は、坂田に、和紙の名刺を差し出した。坂田は、それを受け取り、自分も名刺を奈美に渡して微笑んだ。

株式会社バリューフェス 取締役副社長
坂田 将

このレベルの従業員なら、坂田の名刺を観て、坂田が来店したことを、今日のうちに、オーナーである山之辺伸弥に報告するだろう。坂田はそう読んで、あえて、自分の名刺を渡した。

日常生活の仕事の中では、バリューフェスで、鬼のように恐れられている坂田であった。
しかし、何故か、この店で、坂田は、自分の心が、子供のころに帰っていき、落ち着いた、優しい気持ちになっていくことに、坂田は少々、面食らっていた。

銀座という街にある、ビジネス戦士たちの、心の癒しの場を、この店は細部に至るまで、演出している。おそらく、同じ、ビジネス戦士である山之辺伸弥が、日々、過酷な仕事をするお客の漢の立場にたって、この演出を創り上げているのだろう。

坂田は、奈美に微笑み返して、告げた。

「はじめて伺いました。とても、よいお店ですね。ボトルを一本、入れてもらいましょうか?

ヘネシーのVSOPを、いれてキープしてください。水割りで、お願いします。株式会社バリューフェス 坂田と、書いておいてください。」

奈美は、もう一人の女の子に手伝わせて、ヘネシーのVSOPと、水割りのセットを運んできた。氷は、クリスタルガラスのように透明で、水は、九州の温泉水を使っていた。グラスも、薄手の、クリスタル。普通の料理屋で出すような器ではない。銀座の高級クラブで使っているような、器だ。

奈美の隣についてきた、もう一人の女の子が、坂田に名刺を出した。奈美と同じ、和紙で作られたものである。

「私、雪子と申します。どうぞ、御贔屓に。」

まだ、若いが、和服姿が、よく似合っている。雪子の名刺を坂田が受け取ると、雪子は、坂田の目をじっと、みて、そして、言った。

「よろしければ、お水割り、私に造らせていただいても、よろしゅうございますか?」

奈美は、雪子が水割りをつくりながら、がっしりした坂田の身体に、自分の身体を寄せるのをみて、そおっと、坂田の席を離れた。そして、坂田の目が、雪子にくぎ付けになっていることを確認し、そのまま、カウンターの中へ入って、調理に多忙な優紀に声をかけた。

「ママ。ちょっと、いいですか。カウンターの一番下座の席。はじめてのお客様の名刺です。

バリューフェスって、山之辺さんの会社ですよね。その副社長様です。おそらく、山之辺さんに、何も言われずに、お忍びで、ウチの店を視察に来られたのだと、想います。今、ボトル、ヘネシーのVSOPをいれていただきました。」

優紀は、カウンターの中から、坂田の様子を伺った。雪子が、既に、坂田の肩に軽く手をのせて、坂田に甘えだしているのが、ちらっと見えた。少し、赤くなった坂田の相好が、崩れている。

バリューフェスの副社長・・・。

確か、山之辺の上司である、阿部洋次取締役と、派閥を争っている、次期バリューフェスの社長の最有力候補の漢だ。山之辺伸弥から、優紀はそう聞いていた。

「奈美ちゃん、了解。知らせてくれて、ありがとう。
たぶん、坂田さんは、雪子ちゃんが得意なタイプのお客様よ。しばらく、雪子ちゃんに任せておきましょう。

そして、どこかのタイミングで、私がご挨拶にでるわ。奈美ちゃんは、伸弥に、LINEで坂田様がご来店されていることを、知らせて頂戴。ただ、伸弥は、今日は、まだ、しばらく来れないと思うけど。」

優紀は、奈美をホールに戻らせた。

雪子が、ヘネシーの水割りを濃く作っているに違いない。坂田は、豊潤なブランデーと、雪子の、瑞々しい桃の実とライチが醸し出すような、若い女性が意中の男に向けて放つフェロモンの香りに、酔い始めているようだった。

昼間に激しい仕事をする男ほど、その心の傷は深いものだ。その傷を、温泉で癒す様に、男は、夜の街に浸る。

優紀と、山之辺が創った花月は、そのような男たちの心の傷に染みるようにできている。奈美も、雪子も、そのような男に癒しを与えて、中毒にさせる、女のすべを心得た、プロだった。

坂田から、雪子は離れない。話も、はずんでいるらしい。雪子は、もう、既に、坂田の話に感心した面持ちを演出しながら、坂田の手に自分の手を乗せていた。優紀が、ちらっと、厨房から坂田の席を見たとき、雪子は、さりげなく、坂田の手を、自分の胸元近くにまで持って行った。

最上級のブランデーの酔いと、雪子の若い女の香り、そして雪子の手管に、昼は鬼と陰で呼ばれる坂田も、抗しえるはずはなかった。

2.表参道 副社長室

表参道 副社長室

株式会社バリューフェス副社長の坂田将が、山之辺伸弥の投資する、銀座花月を訪れた翌日の早朝。山之辺は、バリューフェス本社の一番奥にある、副社長室を、独りで訪れた。

部屋の前にある秘書の机で、坂田に挨拶をしたい旨を告げ、秘書が、社内電話で坂田に山之辺の来訪を告げると、坂田は、秘書に、山之辺を副社長室にいれるように指示をした。坂田副社長と役員として緊張関係にある阿部取締役の直下で働く山之辺が、副社長室に入るのは、これが初めてだった。副社長室を訪問することは、山之辺のサイボウズにも、一切、入力をしていない。

副社長室の坂田が座る後ろの窓からは、246号線を挟んで、青山学院大学が一望できた。坂田は、その窓の前にどっしりとおかれた役員机に座って、資料に目を通していた。

「坂田副社長。山之辺伸弥でございます。昨日は、銀座花月のほうに、お越しいただき、ありがとうございます。私が、昨日は、所要で、店のほうへは行くことができず、ご挨拶もできずに、失礼を致しました。」

山之辺は、深く頭をさげた。
坂田は、目を細めながら、山之辺に語り掛けた。

「いやいや。ちょうど、夕方に、銀座に用事があってね。そういえば、君に副業で認めた店が銀座にあると思い出したんだ。それで、探して、伺った。

お姉様には、丁重にご挨拶いただき、女の子の従業員の方にも、本当によくしてもらった。あれだけの料理と接客ができる店は、そう多くないね。

素晴らしい。

君の経営者としての手腕は、素晴らしいということに、改めてきづかされたよ。是非、君には、今後も、バリューフェスでも、あの経営手腕を発揮してほしいね。」

山之辺は、笑顔を作って、謝意を述べた。坂田も、山之辺も、にこやかに、そして穏やかに話をするも、二人とも、目が一切笑っていない。

「また、雪子が、大変ご馳走になってしまったようで、申し訳ございませんでした。」

坂田は、山之辺が、その話題に入ると、はじめて、坂田の目が、泳いだ。

「雪子さん、可愛い子だね。それに、なかなか、呑ませ上手で、すっかり私もいい気持になって、彼女に、酒をのまされて盛り上がっちゃったよ。

年甲斐もなく、面目ない。」

山之辺は、坂田の微妙に下がった目尻を見逃さなかった。

「雪子も、坂田副社長のことが、とても気になっているようです。本人は、彼氏の男も、今、いないようです。これからも、是非、可愛がってやってください。」

坂田は、大げさに手を振って、柄にもなく、狼狽した。

「いやいや。昨日、店を出る、別れ際に、今度、店の外で、食事でもと、調子にのって約束をしてしまったんだけど。君の店の大切な戦力だ。

申し訳ない。君から、呑みすぎたあとの冗談だと、断っておいてくれたまえ。」

山之辺は、大きく首を振った。

「坂田副社長、まったくお気になさらないでください。バリューフェスでのことと、私の店のことは、まったく無関係ですし、それに、雪子も大人の女です。店でも、本人の、プライバシーには一切立ち入りませんから。

本人も坂田副社長と再会できるのを、楽しみにしているようですから、是非、お忙しいとは思いますが、今度、お時間が許すときに、お食事にでも連れて行ってやってください。」

そろそろ、バリューフェスの社員たちが出勤し、副社長室の外では、坂田副社長との打ち合わせを待つ、他の部署の管理職が、坂田のスケジュールに飛び入りした、山之辺が部屋から出くるのを待っているようだった。

山之辺が、話を切り上げて、退室しようとしたとき、坂田は言った。

「そうそう。海外進出部門では、今、次のプロジェクトをしかけているんだろ。阿部取締役は、なかなか、俺に、情報をいれてくれない。今度、君に時間がとれるとき、銀座花月ででも、次のプロジェクトの腹案を、俺にも話をきかせてくれ。どうせ、次のビジネスプランも、全部、君が描いているんだろ。」

山之辺は、微笑んだ。坂田が、突然、銀座花月に立ち寄ったのは、これが目的だろう。

「承知しました。今、私は、過去に在籍した積山ホーム時代に、積山ホームが属する系列の主幹事銀行 三洋銀行のシンクタンク 三洋総合研究所で、積山ホーム担当の経営コンサルタントをされていた方と、連絡をとっています。

お名前は、松木 陽介さんという方です。

彼は、積山ホームの営業システムを抜本改善して、積山ホームの販売力を飛躍的に強化された方です。私は、松木さんのご指導を受け、松木さんが確立した営業システムによって、積山ホームのトップセールスになることができたのです。

松木さんは、三洋銀行で積山ホーム案件以外でも、猛烈な実績をあげられました。そして、その功績が認められ、三洋銀行が年間3名に認める社費留学制度で、ハーバードビジネススクールに留学されました。そして、バーバードのMBAを取得されました。

そして、三洋に帰られることなく、今は、ニューヨ-クの、WwWコンサルタンツのシニアコンサルタントに着任をされています。世界の金融と経営に精通された、ウオール街の、有名なコンサルタントになられています。その方が、私に、中東のオイルビジネスに関するビジネス案件を繋いでいただいております。この案件を、形にしたいと、今、私は考えております。

カタチが見えて参りましたら、また、改めて、副社長にも、詳しくお話をさせていただきます。」

山之辺は、そこまで話して、副社長室を後にした。山之辺が部屋を出るのと入れ替わりに、数名の部長たちが、ファイルの束を抱えて、副社長室に入っていった。

山之辺は、そのまま、自分の机に戻らず、受付嬢が座るバリューフェスのエントランスから、エレベーターで、1階まで降りた。コンビニに買い物をいくようなふりをしながら、建物の外に出ると、そこで、スマホを取り出した。

押した番号は、雪子のスマホだった。

「もしもし。雪子です。山之辺さん、おはよう。
隣で、奈美ちゃん、裸で寝てる。山之辺さん、あたしのこと、羨ましいでしょ。」

雪子は、まだ、奈美と二人で、裸身で寝ているベットの中で、電話の相手が山之辺だと確認して、受話したのだった。

「というか、この時間まで、ゆっくり寝床にいられるということが、羨ましいよ。雪子ちゃん、昨日は、坂田さんの接客、ありがとう。

今、お礼の挨拶に伺ったが、どうやら、君を、相当、気にいってる様子だ。食事の約束をしたようだけど、奈美ちゃんに、やきもちやかれないかい?」

雪子は、鼻でふふんと笑った。

「奈美ちゃんだって、私だって、男を喰らって生きている女だよ。奈美ちゃんも、そんなことは、百も承知さ。

でもね。坂田さん、結構、まじで、私の好み。背が高くて、筋肉質で、がっしりしている。それに、おカネがあって、仕事が猛烈にできる香りがする。

ああいう、男、私の大好物なの。食べちゃっていい?」

山之辺は、その辛辣な表現に、スマホを片手に、肩をすくめた。

「そうか。是非、坂田さんと、仲良くしてくれ。別に、バリューフェスのことを聞き出したりする必要はないよ。むこうも、守秘義務がある役員だから。ただ、坂田さんのほうから、君が聞かないのに、仕事の話をしてきたら、それは、坂田さんが、俺に伝えろという、合図だと思って、内容を、俺に教えてくれ。

きっと、お食事だけでも、たっぷり、お小遣いをくれる。雪子ちゃんが気に入れば、もっと甘えると、いい。」

雪子は、奈美に背中を向けるため、寝返りをうちながら、つづけた。

「オッケー。了解。そうそう、昨日、坂田さんが、話していた話のことなんだけどね。

坂田さん、趣味が、競馬らしいよ。それも、そんじょそこいらの、ギャンブル狂いの親父とは、わけが違うの。

馬主なんだって。山之辺さん、知ってた?

また、一頭しか持っていないそうよ。でも、東京競馬場では、馬主しか入れない来賓室で観戦するって。

私、誘われちゃったの、一緒に、来賓室で観戦しようって。お食事は、そのあとね。もちろん、流れ次第で、私が、お食事のあと、自分から坂田さんに、馬乗りになっちゃうけど。

もちろん、ばっちり、着物で決めていくわよ。でも、ダイジョブ。私、裸になっても、着物、一人で着つけられるから。」

山之辺は、はいはい、と相槌をうって、スマホを切った。そして、バリューフェスのオフィスに戻るため、エレベーターに乗った。坂田は、山之辺には、君から断っておいてくれなどと言いながら、雪子を、東京競馬場の来賓室に誘っているわけか。

「馬主か。それは、なかなか、凝った余裕のある、趣味だな。」

プライム上場企業の副社長の激務から離れ、自分の馬を、眼を細めてみる、坂田の姿を想像した。

一方、そのころ、坂田も、朝の部長たちの報告を聴き終えて、副社長室の窓辺で、外を睨んで、腕を組んでいた。

「世界の金融を股にかける、WwWコンサルタンツの、腕利きコンサルが持ってきた、中東のオイルビジネスか。面白い。山之辺のお手並み、拝見といくか。」

この案件をもし、山之辺が纏めたとする。

次は、韓国のクラウドビジネスなどとは、わけが違う、規模のビジネスだろう。

そうなれば、大井川秀樹社長と、阿部取締役は、大井川社長の一人息子で、今、韓国のGLU+のビジネスの責任者として韓国のソウルに駐在する大井川茂を、そのビジネスに移そうとするに違いない。韓国GLU+の時もそうだったが、ビジネスモデルをすべて山之辺に書かせ、その果実だけを、大井川茂に阿部は喰わせたのだ。

しかし、大井川茂は、韓国に赴任したあとも、何ら、韓国で、目覚ましいビジネスを作った形跡はなかった。実際、韓国クラウドビジネスは、山之辺が描いたビジネスモデルを商品として、坂田の率いる日本のバリューフェスの営業部隊が、企業の取引先を集めたことで、大きくなったのである。大井川茂は、ソウルで、単に、その受け皿をやったに過ぎない。

大井川茂は、おそらく、韓国語も話せず、英語も使えない中で、単に、LGU+に開設した支店で、日本人の部下を使って、業務をしているにすぎないのだ。大井川秀樹社長も、阿部洋次取締役も、このことを、薄々、気がかりにしているに違いない。

そうなると、目立たないように、次のビジネスで、新規の国に移動させ、あたかも、海外事業経験が豊富なように、大井川茂を演出する違いない。

しかし、今回、前回と同じく、なんの業績もない大井川に、果実を食わせれば、流石に、山之辺の感情は複雑だろう。山之辺の部下は、大井川茂だけではない。何ら、ビジネスの業績をあげていない社員が、その業績の果実だけを喰うということは、実力主義会社である、バリューフェスとして、適切な人事とはいえない。

実績も、実力もさしたることはない、社長の息子というだけの、大井川茂など、問題ではない。茂など、バリューフェスで叩き上げ、外部の株主からも信頼の厚い、坂田将の敵ではないのだ。

ポイントは、山之辺伸弥課長だ。これを、坂田の影響力の下に入れれば、海外進出コンサルティングセクションは、事実上、坂田のコントロール下に入る。

坂田は、既に、そう見抜いていた。

坂田と、山之辺。

二人は、それぞれ、銀座花月という、山之辺の副業ビジネスを通して、情報の一端を開示した。その薄い接触を、勿論、まだ、阿部洋次取締役が、気づくはずはない。目に見えない細い糸のような、秘密同盟の端緒が、坂田と山之辺の間に、繋がったことを、まだ、阿部が知る由もなかった。

「副業飲食企業編」第3話で完結いたしました。
次回より、「ニューヨーク ウオール街 ビジネス始動編」がスタートいたします。
お楽しみに。

国際ビジネス小説「頂きにのびる山路」次回の話はこちら

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