副業飲食起業編 第2話「開店」

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1.「銀座花月」開店

静かに、夜のベルベットが、この銀座の街を覆う時間。

並木通りに、灯りがともりだし、高級クラブのママだと一目でわかる、美しい和服姿の女性も闊歩し始める。

その夜、銀座5丁目のみゆき通りに面したビルの5階で、山之辺優紀が社長を務める、株式会社花月の、第一店舗「銀座花月」に灯りがともった。

開店前の2日間、花月では特別なご招待のお客様だけをお招きしての、お披露目の日を設定。
その後、正式に開店をした。

エレベーターホールには、銀座の有名クラブの社長やママから贈られてきた胡蝶蘭が所狭しと並んでいる。

午後8時30分過ぎ。その日の店の、最初の1回転めのお客様が概ね終わる時間。

午後5時の開店後から、この時間帯で花月が迎えるお客様は、殆どが、銀座の高級クラブに同伴をする、一流のブランドもののスーツを身にまとった男性と、着飾ったホステスのペアーだ。

銀座のクラブは、おおむね、8時30分から開店する。そのため、銀座のクラブに行く男女のお客様は、この時間に一斉に店を出て、腕を組みながら、銀座の並木通りの方向に散っていくのだ。その時間を見計らって、山之辺は、表参道のバリューフェスの業務を終え、副業の花月の経営の管理業務に移るため、銀座の花月を訪れるのが日課になっていた。彼は、お客様の目に留まらないように、そそくさと狭い更衣室兼事務室に入って、仕事をはじめるのだった。

銀座の高級クラブの「お姉さま」クラスの女性は、月に15本程度の同伴のノルマをこなす。

つまり、月曜から金曜までの出勤の4分の3まで、同伴をいれなければ、このノルマはこなせない。ほぼ毎日、客を連れて店に出勤できる程度の太客を相当数持っていなければ、銀座の高級クラブの、本職のホステスは務まらない。

更にママやチーママのクラスになれば、自分の客を、指名が自力ではとれない若いホステスに同伴させて、彼女たちの同伴のノルマの面倒をみながら、同時に、何席もの指名席をかけ持ちをしつつ、客を満足させて帰す、接客の腕をもっていなければならない。このための席を維持する戦力に、自分が面倒をみている若い女の子を使う。永久指名制が基本の銀座の高級クラブの世界で、年収で億以上を稼ぎあげる腕利きの女性は、まさに、このような凄技を使いこなす、最強のビジネスマンたちなのだ。

優紀もまた、奈美などの若いホステスたちに、自分の客で同伴のノルマをクリアーさせ、そして自分の売上をあげるための、接客の戦闘員として彼女たちを使っていたのである。

若い女性の美貌をつかって、男の客をコントロールし、自分の利益と権力の「実」をとる。まさに、それは、江戸城の大奥を支配する、お局様並みの技とも言えよう。

夜の銀座は、惜しげもなくカネを使う男たちにとっては、美貌の若い女の子が群がるハーレムの夢を見られる天国であろうが、ホステスたちの目から見れば、それは、激しい生存競争のビジネスの戦場に他ならない。

さて、優紀は、このような銀座の夜の同伴という仕組みの中で、腕利きのホステスたちに、いかに、花月を使ってもらうかに関する戦略を山之辺と協議していた。そして、同伴の予約を入れてくれたホステスに対し、こっそりと、一律に現金を10,000円、心づけとして帰りがけに即金でバックする仕組みを編み出した。

同伴では、もちろん、会計は男が払う。ホステスは、予約だけをいれ、客を連れてきて花月で食事をし、自分の店が開店する時間には、客と店に出勤する。その同伴用の店として花月を使うことによって、ホステスは自分の仕事を始める前に、軽く稼ぎをあげることができるというわけだ。店の同伴指名料と、花月からのバックマージンの、両方を受け取ることができるという仕組みだ。

このバックマ-ジンでは、山之辺は損金計上を放棄することに決めた。いわば、花月が課税される益金として、ホステスが所得税を払う代わりに、法人税を支払うわけだ。そのため、貰った女性たちは、そのカネを自分の所得として所得税を支払う必要がない。高額所得者として、高率の所得税率に苦労している女性たちには、この仕組みは、限りなく有難い。脱税ではなく、堂々と、租税回避ができるのだ。

高額所得者として、自分の税金の支払いまで、実によく知識を持っている彼女たちは、即座に、そのメリットを理解し、どんどん、花月に同伴の予約を入れてくれた。

一方で、優紀は、自分や奈美の直接の上客には、料理で、大きなサービスをした。これまで、一晩、数十万円の支払いをクラブにして、優紀や奈美に会いに来た男性客からみたら、花月の会計は、実に明瞭で安価だった。

この二重のお客様に支えられ、花月は、開店初月で、目標を遥かに上回る売り上げと利益を計上したのだった。

その夜、山之辺は、開店から約1か月間の売上と仕入れ原価、そして販管費の推移を集計していた。

当初の事業計画では、一日の回転数を2.5回転と想定していたが、このひと月の状態では、完全に3回転を超えている。加えて、客単価も、開店と同時に入ったボトルの売上から、想定の倍以上となっていた。希望的な観測を持たず、冷静に計算を進める山之辺ではあったが、その山之辺の予想を遥かに上回る形で、優紀と奈美のコンビは、素晴らしい売り上げを出していた。

寧ろ、懸念材料は、開店以来、客数が多すぎ、優紀も奈美も、営業時間中に休憩をとる暇がないことだった。今は、二人とも緊張をしているから、体力的に、何とか持ちこたえている。

しかし、事業は、何といっても長丁場で継続をすることが重要である。

今の優紀と奈美の二人の体制では、体力に限界が来てしまうだろう。厨房で優紀が料理に集中している間、奈美はホールを受け持ちながら、厨房での洗い物や優紀の補佐をしているため、もう一人、どうしても、ホールに人員が必要であると、山之辺は判断していた。

しかし、花月の客層や、経営方針から観て、中途半端なアルバイトをいれるようなことをすれば、たちまち、好調にスタートした客を失うことになるだろう。奈美クラスの、美貌とサービス精神が旺盛な女性が採れないものだろうか。

これが、山之辺が、この数日、頭を悩ませている問題だった。

奈美が、山之辺が籠っている事務室のドアをノックして、入って来た。
「山之辺さん、お疲れ様ですう。
はい、差し入れ!」

客が一瞬、少なくなった時間に、おそらく優紀が手早く握ったであろう、いくらのおにぎりと、お新香が、奈美の差し出すお盆に乗っていた。

「奈美ちゃん、ありがとう。昼の仕事が終わって、何も食べていなかったんだ。
ありがたい!

奈美ちゃんは、もう食べたのかい?」

奈美は、鏡を覗き込んで、髪の乱れを確認しながら、応えた。

「あたしはね。馴染みのお客さんに、お酒や軽いおつまみを食べさせて貰っているから、大丈夫。優紀さんは、料理の味見をしながら、食べているから大丈夫だって、言ってる。」

山之辺は、椅子に座ったまま、大きく伸びをしながら、両手をアタマの後ろで組んだ。

「姉貴も、奈美ちゃんも、休みなしで、本当によく頑張っているね。売上も、絶好調だ。正直、ここまで、二人が頑張るとは思ってなかったよ。」

奈美は、にこりと笑った。

「そうそう。山之辺さんから言われていた、花月で働ける女の子の心当たりなんだけどね。
一人、一緒にやれる子がいるんだよね。」

山之辺は、伸びをした姿勢を元に戻した。

「そいつは、ありがたい。姉貴と、奈美ちゃんが納得いく女の子が、身内で見つかれば、それがベストだよ。」

「実はね。山之辺さんに、まだ話していなかったんだけどさあ。
あたしね。一緒に住んでいるルームメイトの女の子がいるんだ。

雪子ちゃんっていう子。

あたしと同い年でね。今、神楽坂の舞子をやっているんだけど。

その子は、まだ半玉なのね。

それを辞めて、花月にきてもいいって、言ってるんだけどね。

どうかな?」

「ほう。半玉の女の子か。」

山之辺は、腕を組んで天井を見上げた。

東京の花柳界、つまり芸者の世界では、芸者の見習いのことを「半玉」と呼ぶ。かっては、年少の少女が「半玉」だったが、今では、18歳を超えて芸者になる前の見習いの女性を半玉と呼ぶのだ。

浅草・神楽坂など、芸者を置く置屋は、非常に少なくなってしまったが、今でも、日本舞踊や、小唄・都都逸などの、「粋な遊び」をお座敷でする高所得者や、接待の席に出る、芸者がいる。ただ、芸者として座敷に出るための、修行は並大抵ではない。そこで、この修行中の女性が現代の東京の花柳界の半玉なのだ。

京都の花街の遊びでは、舞子遊びが主流で、東京では、この舞子にあたるのが半玉だ。京都では舞子から芸妓になり、東京では半玉から芸者になるのだ。

神楽坂の花柳界で、お座敷に出ていたというなら、これは、その辺のホステスなどと格が違う。接客の技術も相当に仕込まれてきているだろう。

「一度、奈美ちゃんが姉貴に会わせる前に、俺が会おうか?その雪子さんと。」

花月の店のホールから、優紀の「いらっしゃいませ。」という、声が聞こえてきた。

奈美は、手でOKマークを作って出すと、そそくさと、事務室から、花月のホールに戻っていった。

2.神楽坂での採用

採用 神楽坂

銀座花月が休業する日曜日の17時過ぎ。

JR飯田橋駅から、山之辺は、奈美を連れて、神楽坂に向かって歩いた。神楽坂の路地に入ると、いまでも、落ち着いた料亭が静かに店を構える。

ここ、般若亭は、その中の一つだ。小さいながらも、黒塀を巡らせ、入り口には、ぼんぼりの灯りをともして、営業をひっそりとなじみの客だけに知らせている。

普通、日曜日には、神楽坂の料亭は、休業の店も多い。しかし、般若亭は、春宵の一刻を楽しむ通人(つうじん)の客をもてなすために、日曜日のこの日も、暖簾をかけていた。

蹲(つくばい)から流れ落ちる水の響きを、山之辺がしばし楽しむ間、奈美は、玄関で、店の手配をしてくれていた雪子の名前を女将に伝えた。

今日は、おそらく、他に、1~2組、小さな来客があるだけだろう。そんな雰囲気の店の廊下を女将に導かれて、山之辺と奈美は、小座敷に通された。

山之辺は隠し蔵の冷酒をとり、琉球硝子のおちょこで、二人が乾杯したところに。

「失礼いたします。」

半玉の雪子が、襖を廊下側からあけた。

小柄な和服姿の若い芸者。春の花車が描かれている、ほんのりした朱の振袖を纏い、帯も華やかな西陣である。振袖を纏っているところから、遊び慣れた通人の客は、雪子を半玉だと識るのだろう。

初々しい姿だった。普段のお座敷では、雪子は、白塗りの化粧を施しているであろうが、今日は、プライベートな席なので、それをしていない。

山之辺と、その姉である優紀が経営する「銀座花月」のホールを、奈美とともに仕切ってもらうため、奈美がルームシェアをして暮らす雪子を、山之辺に引き合わせた、今日はその一席である。ある種の面接ながら、山之辺は、雪子の半玉としての仕事ぶりを想像するため、あえて、雪子にここに来てもらったのである。

山之辺の、右手に座っていた奈美の反対側の左手に、雪子は座った。期せずして、山之辺は、雪子と奈美に挟まれる形となった。

料理が運ばれる間、雪子は、山之辺の手にする琉球グラスの器に日本酒をついだ。
雪子が注ぐ隠し蔵の酒を受けながら、山之辺は、首を左右に振って、奈美と雪子を見比べた。

奈美は、ホステス時代、豊満な胸の谷間が、深くあいたドレスが眩しい女だった。

グラマラスな身体を、強調するドレスを常に纏い、深くきれこまれたスリットから、美脚を誇示して、店を闊歩する姿が、奈美のホステスとしての武器だった。しかし、理想的すぎる、その肢体に反して、奈美のクラブのホステスとしての接客は、男に決して媚びない一線を持っていた。一方、そのグラマラスな体型故に、銀座花月で奈美が和服を纏うと、日本の女性らしさに欠けるところがあった。ドレスが似合う理想的な体型の女性は、和服が似合わないのだ。

一方、雪子は、なで肩で、くびれのない体型をしていた。和服の着こなしから、山之辺は、雪子の裸体を、アタマに思い浮かべた。典型的な日本女性の体形だ。胸もない。それゆえ、雪子の場合、和服が似合う女だった。

むしろ、銀座花月には、最適だと山之辺は判断した。

なるほど。

奈美も、雪子も、自分の身体が男からどう見えるかを知り尽くして、それぞれ、銀座のホステスと、神楽坂の芸者という、自分の身体の強みを最も活かせる仕事をえらんでいたのだな、と山之辺は、想った。

夜の世界で成功する、いい女は、男が、自分のどこに迷うのか、それをよく心得ているものだ。何気なさを装って、男をその気にさせ、男を経済的な踏み台にしていくことができる女こそ、夜の世界の、得難い戦力なのである。

そんな山之辺が、雪子の裸身を思い浮かべる、その視線を感じると、雪子は、それを見通して、口元に笑みを浮かべ、いたずらそうな顔で山之辺に言った。

「あたし、奈美ちゃんみたいに、胸、ないんですよ。
それなので、和服で勝負する仕事に就きたいって思って。

わかるでしょ?

男を、あたしが騙せるの、和服なんです。」

纏った品のよい和服からは想像できないほど、その話し方は、気さくだった。奈美が、ドレスから男に胸や脚を晒しながらも、決して、こころを晒さないのと真逆に、雪子は、身体を男にさらさずに、心を、男に晒していると男に勘違いさせて夢中にさせる、そんな手管を自然に身に着けている女だと、山之辺は感じた。

奈美と、雪子は、真逆な魅力をもって、しかも共に、その魅力を戦略的に男に使って、心を奪う資質にたけている、プロの女たちだった。

「雪子さんは、どうして、せっかく始めた芸者さんへの道を、ここで断念しちゃうの?」

山之辺は端的に、雪子に聞いた。

「あたし、芸者らしい話し方が、苦手なんです。

あたし、下ネタ、大の得意だし。

でも、そんな接客を、ここ、神楽坂でしようものなら、おねえさんたちに、にらまれちゃうんです。」

山之辺は、笑った。

「いやいや。銀座花月でも、下ネタは駄目だよ。奈美ちゃんみたいに、品よくしないとね。」

山之辺は、突っ込んでみた。

雪子は、「ふふん。」と鼻を鳴らして、すうっと、山之辺にもたれかかった。そして、山之辺の突っ込みを封じ込めるように、手を山之辺の股間に伸ばした。

山之辺の左の耳に、雪子の息がかかった。

「あたしね。こういう、接客が得意なの。
山之辺さん、嫌い?」

山之辺の反対側に座っていた、奈美の表情が曇った。

「ちょっと! 雪ちゃん!
山之辺さんは、あんたのそんなお芝居に、鼻の下を伸ばす男じゃないよ。

それに、あんたの上司になるヒトじゃない!
なれなれしく、もたれかかったりしないで!」

雪子は、いたずらそうな顔をして、奈美に笑いかけ、それでも、山之辺の股間に伸ばした手をどけようとせずに、ゆっくりと動かして、奈美に顏をむけた。

一瞬であるが、雪子の目に、奈美を挑発的に誘う光が宿り、奈美の目に、雪子の支配を欲する男のような光が宿ったのを、山之辺は、見逃さなかった。

雪子は、山之辺を誘っているのではない。奈美の嫉妬を挑発するために、山之辺にもたれかかったのだ。

そう山之辺は、その瞬間、直感的に感じた。

そして、この二人が、どうして、ルームシェアをしているのか、山之辺は、瞬時に悟った。
この二人は、ルームシャアしている関係じゃない。

「同性愛、レズビアンの同棲関係だ。」

そう悟ると、奈美が、これまで、ホステスとして、男を身体で誘惑しながらも、心で男を拒絶している理由が、すっきりと、納得できた。

山之辺は、雪子の手を、ゆっくりと、どけた。

「成るほど、そういうことか。俺には、君たち二人の関係、もうわかった。

雪子ちゃん、もう演技しなくていい。
男を好きな、奈美ちゃんへの演技、俺には通用しないから、辞めたほうがいい。」

雪子は、すっと、山之辺から身体を引いた。媚びを浮かべた顔が、みるみる真剣な真顔になった。

奈美の表情もこわばった。

二人とも、山之辺に、瞬時に、心の奥底をのぞかれた、その羞恥に、顔をこわばらせたのだ。

ここまで、その奈美と雪子のやりとりを両手に見ながら、山之辺は、そこに、最初から違和感を、感じていた。この二人の間に交わされている目と目に、不思議な阿吽の呼吸があるのを感じていた。お互いを知り尽くしている、関係の人間だけに交わされる視線が、時々、交錯するのだ。

この二人が、ホステスと芸者でいれば、銀座花月に来るよりも、もっともっと稼げるだろう。

何故、奈美は、銀座の超高級クラブ エルドラドを辞めて、花月にきたのだろうか?
そして、雪子も、何故、芸者への道をすてて、花月にくるのだろうか?
奈美は、何故、わざわざ、収入が大きく下がる銀座花月へ、雪子が芸者になるのを辞めさせて、誘ったのだろうか?

それが、そもそも、理解できなかった。

特に、奈美は、男が本心から嫌いなのだろう。
その男を軽蔑しながら、だから、その男を、迷わせて、経済的な踏み台にしてゆくことが平気で出来るのだ、

奈美は、グラマラスな身体を男に晒しながら、その男の視線に嫌悪感を覚え続け、一方、雪子は身体を和服で覆い隠しながら、下ネタを駆使する自分に、男が下心を抱くのを、面白がっていたのだろう。

そして、奈美は、そんな雪子を、自分の職場にいれておきたかったのだろう。

だから、銀座花月だったのだ。

たった一つ、二人の誤算は、そんな二人の関係を、山之辺に一瞬で見抜かれたことだ。

本質的に、男が好きな優紀には、おそらくこの二人の秘密の関係を見抜くことはできないだろう。山之辺は、そう感じた。

この二人のレズビアンの関係は、山之辺や、花月の社長である山之辺の実姉 優紀にとって、その利益に反するものではなさそうだ。

それどころか、この二人のレズビアンの美女のカップルは、山之辺に、大きなビジネス上の利益を齎すだろう。山之辺は、そう、考えた。

神楽坂での採用

山之辺は、人事面接を、仕事で行った経験はなかった。

営業畑で歩いてきた山之辺は、顧客の成約率という視点から、顧客の購買の本気度を見抜く視点は、鋭かったが、採用面接というものを、正式に仕事で行ったことはなかった。

今の、バリューフェスの上司でもある阿部洋次の下で働くようになってから、山之辺は、阿部と酒席をともにするたびに、阿部に、採用や人事の経験談を聞き、阿部の蘊蓄に耳を傾けた。

阿部洋次は、一部上場企業 株式会社バリューフェスの取締役であるが、バリューフェスでの、多様な職務経験の中での、人事畑が長かった。山之辺がバリューフェスに入社したきっかけも、バリューフェスの子会社の人材紹介会社、株式会社バリューフェス・キャリア代表取締役を、阿部が務め、山之辺がそこに登録したことだった。

阿部は、バリューフェスでの、新卒から役員のヘッドハンティングまで、幅ひろく実績を積み、ヒトを見抜く卓抜した能力と経験を持っていた。阿部は、まさに人事のプロだった。このような、上司の優れた部分があれば、山之辺は、熱心に、その話に耳を傾け、そのノウハウを余すことなく自分のものに吸収するタイプの漢だった。

その阿部が、山之辺に、酒を吞みながら、呟いた台詞の一つを、山之辺は、雪子を前にして、想い出していたのだ。

その時、阿部は、新卒の採用面接で、仕事経験を全く持たない応募者の、どこをどう見るのかという、山之辺の質問に、こう応えたのだ。

「大体、大学の就職指導なんて、まったく、的がはずれたことしか教えていないんだ。

面接でのあいさつで、お辞儀の角度だとか、こう質問されたら、こう答えるのが理想だとか、そんな、どうでもいいことばかり、教えている。資格や、大学の成績なんていうのも、全く人事責任者には興味がない。

ああいうことを教える指導者は、実際の企業の人事部長の立場にまったく立ったことがないんだろう。

大企業っていうのはね。新卒で、社員一人の採用にいくらかけていると思う?
採用経費だけで、一人あたり数百万かけているんだ。

どうして、そんなにカネをかけるかわかるか?

それは、日本の企業の正社員というのは、採用したら、一生、仕事をさせなければならないからだ。一人の社員に支払う生涯給与は、数億円にのぼる。

その社員をとる真剣勝負が、面接だ。まさに、人事の肩に、この数億円をどぶにすてるか、数倍・数十倍の生産性をあげさせるかが、かかっている。

そんな真剣勝負で、人事の責任者が、マニュアルに書いてあるような答えを面接者がすれば済むような質問をしたり、お辞儀の角度で採用を決めたりすると思うか?

人事の責任者は、面接者で見抜きたいことは、二つなんだ。

一つは、この人物が、ウチの会社の仕事を、緊張感を維持し続けて、長期的に仕事を続けて、生産性を上げ続けるかということだ。

もう一つは、この人物が、ウチの会社の人間関係のなかで、チームにしっかり参加して、シナジ-を発揮し続けられるかということだ。

できる人事は、この二つを観ている。この二つを見抜くために、そのヒトのこれまでの生き様を聞き出しだし、ストレスを与えても、それを切る抜けるすべを持っているか、ということを判断するための質問をする。ストレスを与え、相手の反応を見るんだ。ストレス耐性こそ、継続的生産性と人間関係の最大のポイントだ。

受験に勝てたとか、スポーツで成果を出したとかは、人物の、継続力やストレス耐性を見るための材料に過ぎない。受験勉強を続けられずに、ストレスに耐えられなかった奴だからこそ、企業は、低学歴の学生をとってはならないんだ。

そういう奴は、仕事でもストレス耐性がない。勉強を続けられずに、自分の心地よいことだけをしてきた奴は、仕事でも、ストレス耐性がなく、成果を出し続けられない。

人間関係も同じだ。自分が心地よい友達や仲間とだけつるむ奴は、会社の人間関係で、仕事を放りだす場合が多い。

こういう奴は、職場のせいにして転職を繰り返し、仕事の実力もつかないまま、歳だけとっていく。こういう奴を、会社にいれれば、会社は、その分、弱体化することになる。

これを避けるために、ヒトを選ぶのが、採用面接の鉄則なんだ。」

奈美も、雪子も、自分にとって、もっともストレスを生み出す男という生き物を、手玉にとり、それを軽蔑しつつも、自分の経済的な目的のために、男好きな演技を続けられた女たちだった。

そして、外見は真逆ながら、自分と同じ生き物の、この二人が出会ってしまったのだ。自分の本当の心の恋人を見つけてしまった。だから、相手のために、仕事で同じ職場で働こうとしている。奈美と、雪子は、ホステスと芸者を辞めて、銀座花月で仕事に、二人一緒に励むに違いない。

そして、おそらく、その心の奥底を、優紀には悟らせられず、優紀とは、良好な関係を作るに違いない。そして、優紀とともに、奈美と雪子は、客である男たちに仮面をかぶり続けて、男好きな女の演技を続けながら、生産性を上げ続けるだろう。

合格だ。
山之辺は、そう決めた。

これほどまでに、理想的な戦力のチームはいない。

そう決めると、山之辺は、きりのよいところで、座敷をお開きにした。奈美と、雪子の関係のことは、二度と、山之辺は、今後、この二人とは話題にしないと、心に決めた。

「雪子ちゃん。姉と会ってもらって、姉とやっていけそうなら、是非、銀座花月に来てほしい。出来るだけ、早く、仕事をはじめてもらえると、助かるな。

奈美ちゃん。雪子ちゃんを、姉貴に会わせるセッティングをしてほしい。是非、君たち二人のチームプレーを、銀座花月で発揮してほしい。

俺は、これで帰る。会計は、済ませておいたから、二人は、ゆっくりしていくといい。」

山之辺は、そう言い残し、奈美と雪子を座敷に残し、一人で帰途についた。
春の夜は、生暖かい、水気を含んだ風を、山之辺のスーツに忍び込ませる。

続く

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