韓国クラウドビジネス編 第7話「男の嫉妬」

新宿西口の、S高層ビルの最上階。
如月を迎えた東京の夜景は、澄み渡って、漆黒のベルベットの上に放り出された宝石のように輝いていた。

そのフロアーにあがり、その一番奥まで進んだ位置にある、重々しいドアの前に、山之辺伸弥は立った。財布から、非接触型のカードをとり出し、ドアの横にある装置に触れる。ドアは、スーと開き、中から、蝶ネクタイをした男が出迎えて、山之辺をドアの中へと誘った。

会員制の、エスサイトクラブ新宿西口店。

夜景が一望できる予約席に案内されると、担当のバニーガールが、馴染みの会員客である山之辺に、恭しく、温かいおしぼりを手渡した。

「山之辺様、いらっしゃいませ。」

エスサイトクラブは、大阪発祥の名門会員制バニーガールクラブ。経営元は、大手の上場飲食企業で、その展開する店舗の最高ブランドが、このエスサイトクラブだった。入会するには、一定以上の地位と年収に加え、いずれかの会員の紹介を要し、決して安くない入会金と預託金、毎月の会費を銀行口座からの自動引き落としで支払わねば会員の立場は維持できない。

住宅業界最大手の積山ホーム時代、山之辺は、そのトップセールスとしての提案力を維持するため、多くの同社協力会の下請け会社の社長との、直接の交渉パイプを持っていた。

通常、住宅メーカーの営業マンが、顧客に提案を行うための見積もりは、建築部門の積算担当者が制作する。その積算根拠は、本社の決めた画一的な算式にて決定されていた。しかし、そのような、見積りでは、競合戦が激しく、スピーディに競争力のある価格を提示しなければならない住宅営業では、非常に使いにくい。高めに設定をされた見積もりから、後で値引きをすれば、当初の積算の妥当性自体に、顧客から疑念を持たれてしまう。最初の見積もりを顧客の予算から外してしまうことは、受注を落とすリスクが高い行為だった。

そこで、山之辺は、顧客のニーズや資金力・借入能力を考慮に入れながら、自ら聞き取った情報を基に、経験豊富な設計者に書かせた図面を、直接下請け会社の社長に渡して、見積もりを作成させ、そこに、自社の利益をのせて、見積書を機動的に作成する方法を編み出し、これを営業に利用していた。このような方法を編み出すためには、下請会社のベテランの経営層たちと、密接な人間関係を構築しなければならない。

競合が激しく、見積もりが厳しい数字を要求される案件では、下請け価格を個別に折衝して、下請けに借りをつくり、一方、利益率がとれる案件で借りを返すという駆け引きも、山之辺は、協力会の建設会社の社長と、直接、行っていた。

このような「あうん」の呼吸を下請会社の社長と直接行うため、山之辺は、「超」がつくほど多忙な営業生活の時間を割いて、下請会社の社長たちと、定期的に「夜の会合」を行っていた。これが、山之辺の成約率を劇的に高めた、会社の上司すら知らない、裏の方法の一つだった。

会社の言うとおりに、仕事を進めるだけで、他の営業マンに対して、劇的に成績の成約率を高められるはずがないのだ。山之辺は、このような、自分独自に幾重にも編み出した方法を、自在に使う、完全に会社から自立した、自営業者に近い、トップセールスマンだった。

エスサイトクラブは、このような夜の会合のために、山之辺は、会員になっている店だった。

「すみません、遅くなりました。」

担当バニーガールが、山之辺の席に案内をしてきたのは、株式会社バリューフェスで、山之辺の部下である、入社1年目の森隆盛だった。

高校時代からサッカー部に所属し、大学は教育学部で、体育の教員を目指していた森は、自分の目標だった体育教員への道を、途中で放棄し、営業会社である、バリューフェスに入社してきた漢だ。

ビジネスの経験を積まなければ、独立もできないから、厳しいバリューフェスの現場で、ビジネスをしっかり経験したい。

森が、教師の道をすてたのは、今の若者にはめずらしい、独立願望の強さからだった。

森は、席に座ると、やせたしなやかな身体を席に落ち着かせ、目をくりくりさせながら、店を見回した。

店は落ち着いた、重厚なインテリアでデザインされていた。その店の中を、色とりどりのコスチュームを纏ったバニーガールが料理を運んでいる。零れそうな、真っ白い胸の谷間を惜しみなく強調した担当のバニーガールが水割りを作る間、若い森の目は、視点を失って、彷徨っていた。

数種類に及ぶ、山之辺のキープボトルで水割りが作られ、乾杯が終わると、山之辺は、森に語り始めた。

「森君。

今回の、ソウル事業では、溝口さんと、よいチームを組んでくれ、販売促進のためのツールづくりを、本当に頑張ってくれた。

ありがとう。君のお陰で、韓国GLU+との提携事業の申し込みは、非常に順調に進んだよ。君とは、入社以来、二人きりで飲みに行く機会がなかったから、是非、今日は、君と、じっくりと話をしたいと思ってね。それで、席を設定したんだ。」

森は、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます! こんな、素敵な店に連れてきていただいて。
でも、ここ。なんていうか、目のやり場に困ってしまいます・・・。」

森は、前年の春に、バリューフェスに入社し、あと2ヶ月後の4月には、入社2年目になろうとしている。

海外進出コンサルティング・セクションに配属され、はりきって仕事をしていた森が、最近になって、急速に、仕事の効率を落としていることに、山之辺は気付いていた。

そして、ちょうど、大井川茂が、ソウル支店長として海外出張が決まったころから、その森の変化が始まったように、山之辺は感じた。

大井川茂は、バリューフェス創業者で社長の、大井川秀樹の息子である。この人事は、取締役である阿部が、大井川と密談して決めたのだったが、森が、その人事異動で、自分よりも後に入社してきた大井川茂が早々にソウルに発ったころから、モチベーションを落としていることに、山之辺は感づいていた。

阿部は、その森の変化に、まだまったく気づいていない。そこで、タイミングをみて、山之辺が、森を、この店に誘い、今日の席を設けたのだ。

冬の素材を贅沢に使った、季節の懐石料理を食べながら、山之辺は、差支えのない、仕事の話を重ねた。森のグラスに、バニーガールが、3杯めの水割りを作ったあたりを見計らって、山之辺は、大井川茂の話題を、さりげなく森に切り出した。

「大井川君も、張り切ってソウルに着任した。君も、近いうちに、ソウルに一度、出張してくるといい。」

森は、大井川の名前が、山之辺の口からでると、一瞬、顔を曇らせた。

少し、間をおいて、森が口を開いた。

「やっぱ、大井川さん、社長の息子さんなんで、将来は、大井川さんがウチの社長になるんでしょうかね?

ウチは、上場企業じゃないですか。

街の中小企業ならいざ知らず、社会の公器たる上場企業で、世襲制なんて、おかしくないですか?」

やはり、そこか。
山之辺の、森に対する観察は、図星だったわけだ。

山之辺は、少し酔ったふりをみせて、大胆に笑って見せた。

「まあ、別にいいじゃないか。
森君は、この会社に、一生いるつもりじゃないだろ?

もともと、君は、独立したいから、この会社で経験を積もうと思ってきたんだろ?

それだったら、大井川くんは、彼の人生。君は、君の人生だ。
それに、大井川君だって、おいそれとは、社長を継げるほど、甘くない。

坂田副社長が、この会社の次期最有力候補の社長だ。そうなったら、大井川秀樹さんは、会長職に祭り上げられ、坂田さんが、大株主を掌握するだろう。大井川君が息子だっていったって、実績もなしに、坂田さんが、大井川君のような、ひよっこを、容易く社長に据えるはずがない。」

森は、口を尖らせた。

「でも、阿部取締役は、大井川さんを次期社長に据えるため、経験と実績を積ませる目的で、ソウル支店長に抜擢して送り込んだんですよね。

阿部取締役の、長年の秘書役の溝口さんから、昼飯を食べながら、聞きました。

みんなが、大井川さんに実績を積ませるため、裏で工作している。

ウチの会社で実績もなく、他から入って来たばかりの大井川さんが、山之辺課長が描いた事業の、一番おいしい果実を、持って行ってしまったわけじゃないですか?

本当だったら、今回のGLU+の最大の功労者である、山之辺課長が、ソウル支店長になるべきじゃないですか?

それを、何にもしていない、大井川さんが、入ってすぐに支店長なんて、絶対、おかしいです。そう、思いませんか? 山之辺課長!」

山之辺は、笑った。

阿部と山之辺の間には、山之辺の飲食事業の副業をバリューフェスで認めさせるという、密約があった。山之辺は、今回のソウル事業と並行して、既に、銀座の名門クラブ エルドラドのナンバーワンホステスである、姉の山之辺優紀とともに、飲食事業を立ち上げる準備を着々と進めていた。

山之辺の、ソウル支店長への異動など、阿部が絶対、了承するはずがない。

企業社会というのは、そんなに単純じゃないんだぜ・・・

山之辺は、部下である森にそう言ってやりたかった。その言葉を、山之辺は、ぐっと、呑み込んだ。

山之辺は、今日は、森の聞き役に徹するつもりだった。

男が、ビジネスで、嫉妬心を抱いても、何も生まれるものはない。ただ、部下の嫉妬心は、その部下が、仕事を人生の中の最重要な部分に位置付けている、まさに、ポテンシャルの現れだと、山之辺は思っていた。

企業社会に生きる男が、会社の中で、嫉妬心をいだかないようでは、その男の先は、既にない。

問題は、部下の嫉妬心を、適切なかたちの競争心に置き換えさえて、大井川と、森が、相互に競い合いながら、実力と実績を高めていけるように導くこと。それこそが、上司である、自分の責任であると、山之辺は、思い定めていた。

酔いの回りが早く、すでに、顔を赤らめている森を観ながら、この男の嫉妬心を、大井川というアンチテーゼを利用して止揚させる操縦法を、山之辺は探して、言葉を選んでいた。

「「韓国クラウドビジネス編」第7話で完結いたしました。
次回より、「副業飲食事業編」がスタートいたします。
お楽しみに。

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