副業飲食編 第5話「視察」

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あと数日で、梅雨入りとなる気象予報が出ていた。表参道のインテリジェンスビルの最上階にある、株式会社バリューフェスの副社長室。その窓からは、青山学院大学の洒落た校舎群が、水気を含んだ空気に、薄く霞んで見えている。

この部屋の主、バリューフェス副社長の坂田将は、今、バリューフェスグループの企業の社員がすべて使用しているサイボウズ ガルーンを見つめていた。

開いているのは、社長室 コンサルティング・デビジョン 海外進出コンサルティングセクションのページ。
このページの最上位には、取締役デビジョンヘッドの阿部洋次の、びっしりと書き込まれたスケジュールが掲載されている。その下に、執行役員セクションリーダーの水谷隼人の予定。そして、その下に、今、坂田が観たい社員の予定が掲示されていた。

課長 山之辺伸弥。

海外進出コンサルティングセクションのメンバ-の予定は、他の部署の社員たちと比較にならない分量のスケジュールが、びっしりと書き込まれている。

坂田は、日ごろ、全社の社員のサイボウズ ガルーンの使い方を、こまめにチェックしていた。グループウェアのスケジュールの記入の仕方を観れば、その社員の能力は、凡そ図ることができる。

グループウェアを与えても、自分から業務予定表を入力せず、予定がすかすかの社員は、まず、無能だと判断してよい。顧客とのアポイントの予定程度しかグループウェアに入力しない人材は、仕事の段取りを、グループウェアを通して、上司に報告することを避けている会社から一定の距離を保っている社員か、あるいは、段取り自体を考えてもいない使い物にならない社員かのどちらかである。前者の場合、組織人として既に失格である。後者のような社員の仕事は、場当たり的で、安定性がなく、仕事にムラがある。当然、このような社員は、長期的にみれば、実績を出していくことができない捨てる人材と、坂田は判断していた。

そのような観点からすると、阿部取締役が率いる海外進出コンサルティングセクションのメンバーの予定からは、まさに、その人材が、今、どの程度の仕事のプロジェクトを抱え、それをどのように推進しているかが、一目でわかる。そして、そのこなす業務の分量が、他の社員たちに比較して、飛躍的に多いことも見て取れる。

坂田は、しばらく前から、阿部取締役が率いる、この部隊の、驚異的な仕事の量と、その量に比例する実績を、同部署の経費予算の推移とともに、注視していた。

坂田の机の上にあるパソコンには、非公式に、総務部財務課の課長から報告されてくる、海外進出コンサルティングセクションの予算管理表が表示されている。

阿部取締役は、株式会社バリューフェス 代表取締役社長の大井川秀樹が、自身の事業予算から支出した1億円の資金を非公式に獲得して、その部署を立ち上げた。そして、スタートした海外進出コンサルティングセクションは、スタートから数か月で、人件費や出張費を含む出費で、1億円の予算のうち、4,000万円ほどをキャッシュアウトした。通常の新規事業であれば、このキャッシュアウトはこの後も止まらず、1億円程度のイニシャル資金は、どこかで底をついて悲鳴をあげるのが普通だ。

しかし、海外進出コンサルティングセクションは、4,000万円のキャッシュアウトをした時点で、収益と費用が均衡に至った。この均衡は、阿部取締役がヘッドハンティングをしてきた、山之辺伸弥が立案したビジネスモデルによるものだった。バリューフェスは、韓国GL財閥に属するGLU+社と、国内の企業に比較して、コストが格安で、しかも、設備が抜群に優れたデータセンターを契約し、バリューフェスの顧客のIT関連企業のサーバーを韓国に移動するビジネスで、売上を精力的に伸ばした。そして、山之辺は、驚くことに、自分でその業績を社内に見せつけることをせずに、黒子に徹し、社長の大井川秀樹の一人息子で、バリューフェスの阿部の部署に転職してきた大井川茂を韓国のソウルに転勤させて、成果を譲った。社内では、大久保茂が、このビジネスを立案したと思っている社員も多い。しかし、すべては、山之辺が立案して画をかき、阿部が大井川と現場を動員して作ったビジネスモデルだった。

この成り行きを、坂田は、気づかぬふりをして、眺めていた。企画を立案し、演出した山之辺は、一銭の報酬金も手にせず、大井川茂だけが、ソウル赴任で、給与が大きくアップしたのである。そういうことがあっても、山之辺の仕事の質は、全く落ちていなかった。

山之辺は、サラリーマンとして、他からの評価を受けなくても、自ら自立して、仕事を進めることができる理想的人材であると、坂田は認めざるをえなかった。このような人材を、阿部の右腕として、阿部だけに与えておくことは、阿部に強烈な実務力を与えることになる。

坂田は、山之辺という漢を、放置しておくわけにはいかなかった。阿部と引き離すという、子供じみた人事異動をする必要はないが、この山之辺という漢と、坂田は、阿部が知らないところで、繋がっておく必要性を感じていた。

人事部は、この山之辺に、副業を承諾していた。バリューフェスから認められた山之辺の事業は、小料理屋のビジネスである。山之辺が、実の姉を社長として、株式会社花月を設立し、銀座に、「銀座花月」という店を出店したことも、坂田は人事部門から報告を受けて、よく知っていた。

今、韓国クラウドビジネス以外の、収益の柱になる事業モデルは、まだ阿部の手には入っていなかった。海外進出コンサルティングセクションは、損益が分岐している状況で、辛うじて、踏みとどまっているに過ぎない。

従って、この次に、更に収益をあげられる事業モデルを創れるか否かが、海外進出コンサルティングセクションの命運を握っていると阿部も考えているだろう。山之辺が、どのような手で、次のビジネスモデルを繰り出すのか、坂田も関心を持っていた。山之辺は潰すのではなく、繋がるべき人材であると、坂田は本能的に悟っていたのである。

坂田は、この阿部の事業を、今、静かに見守っていた。

当初、坂田は、山之辺の力を阿部ほどには認めていなかった。

所詮、大手住宅メーカーの、トップセールスに過ぎない。大企業の中で、セールスで驚異的な売り上げをあげているなどということで、本人の実力をその数字と結びつけるほど、坂田は、世間知らずではなかった。

大企業の営業と、新規事業とは全く異なる。一切、誰の力も借りられずに、単身、全方位的に事業に目配りをするというアントレプレナーシップは、大企業のサラリーマン営業マンに要求されるレベルとは、桁が違う実力がいるということを、坂田は、よく熟知していたからだ。

しかし、この坂田の山之辺に対する当初の評価は、どうやら、彼を過少評価しすぎていた結果だったと、既に、坂田は気付いていた。

山之辺は、海外進出コンサルティングセクションで、目を見張るスピードで、新規事業を生み出して、キャッシュアウトを止めただけでなく、副業で、銀座の飲食事業を経営しているのである。その副業の正確な状態を、今のうちに見極めなくてはならない。

全方位的に、事業に目配りができ、同時並行的に、事業を創出できる、稀有のアントレプレナーとしての実力を兼ね備えているのかもしれない、山之辺という人材を、坂田は、抱き込む戦略に転換したのである。

坂田の見つめるサイボウズ ガルーンには、今日の山之辺のスケジュールがびっしり書き込まれていた。そのスケジュールは、19:30まで予定が詰まっていることを確認し、坂田は、パソコンを閉じて、立ち上がった。

副業飲食編 第5話「視察」

時計は、午後4時半を回ったところだった。

坂田は、秘書に「行くところがある。今日は、戻らない。」とだけ告げ、副社長室を出て、車寄せに向かった。

社用車を銀座四丁目の和光前で停めさせ、坂田は、運転手を車ごと会社へ返した。
そして、一人、徒歩で、並木通りから、みゆき通りを左に折れた。

「銀座 花月」

時計の針は、午後5時を回り、ちょうど、銀座花月のあるビルに、スリーピースのスーツを来た男性が入っていくところだった。おそらく、店の中で、女の子と待ち合わせるのだろう。

坂田もその男性のあとについて、銀座花月の店に入る。落ち着いた、品のよい和風割烹の店内で、和服をきた若い女性が坂田を迎えた。

坂田は、一番、下座のカウンター席に座り、メニューを見て、おまかせのコース料理を頼み、生ビールを注文した。

カウンターの中の厨房がみえる。和服に割烹着を着た女性が、一人で、料理を作っている。おそらく、それが、山之辺の姉だろう。そして、ホールに和服の女性が2名。2人ともに、違ったタイプの美女だった。

坂田が、ビールを飲みながら、先付けをつまみだしたころには、店には、どんどん客が入って来ていた。午後5時半には、カウンター席も、小上がりの席も、満席になっていた。

坂田は、じっと、客層と、注文をしている料理を観察し、メニューを見比べていた。
週のはじめの平日の午後5時過ぎに、これだけの客が入り、殆どの客がおまかせのコース料理を頼んでいる。常連ばかりの店だった。坂田は、その状況から、店の一日の売上をアタマの中で計算した。

「なるほど。山之辺は、この店で、相当、成功しているということか。」

坂田以外の常連客は、全員が、キープしたボトルを呑んでいる。そして、ホールで料理を運ぶ、和服の二人の女性も、客と、親しそうに話している。その話の仕方に坂田は耳を傾け、この和服の女性たちが、単なるアルバイトではなく、接客のプロだと知った。

これだけの店を創り上げるというのは、山野辺という漢は、何という商才にたけた奴なんだろう。

坂田は、内心、舌を巻いた。

ホールにいた、和服の女性が、厨房の中の山之辺の姉と、坂田のほうをちらりと見て、何か、言い交した。そして、そのホールにいた女性が、坂田の席に近づいてきた。

「お飲物、次はどうなさいますか?
お客様、はじめてのお越しですよね?ありがとうございます。

私、ホールを担当させていただいております、奈美と申します。
よろしく、お願いいたします。」

奈美は、坂田に、和紙の名刺を差し出した。
坂田は、それを受け取り、自分も名刺を奈美に渡して微笑んだ。

株式会社バリューフェス 取締役副社長
坂田 将

このレベルの従業員なら、坂田の名刺を観て、坂田が来店したことを、今日のうちに、山之辺伸弥に報告するだろう。坂田はそう読んで、あえて、自分の名刺を渡した。

日常生活の仕事の中では、バリューフェスで、鬼のように恐れられている坂田であった。しかし、何故か、この店では、本当に落ち着いた、優しい気持ちになれることに、坂田は少々、驚いていた。

銀座という街にある、ビジネス戦士たちの、心の癒しの場を、この店は細部に至るまで、演出している。おそらく、同じ、ビジネス戦士である山之辺伸弥が、日々、過酷な仕事をするお客の漢の立場にたって、この演出を創り上げているのだろう。

坂田は、奈美に微笑み返して、告げた。

「はじめて伺いました。とても、よいお店ですね。
ボトルを一本、入れてもらいましょうか?

ヘネシーのV.S.O.Pを、いれてください。水割りで、お願いします。」

奈美は、もう一人の女の子に手伝わせて、ヘネシーのV.S.O.Pと、水割りのセットを運んできた。氷は、クリスタルガラスのように透明で、水は、九州の温泉水を使っていた。

グラスも、薄手の、クリスタル。普通の料理屋で出すような器ではない。銀座の高級クラブで使っているような、器だ。

奈美の隣についてきた、もう一人の女の子が、坂田に名刺を出した。奈美と同じ、和紙で作られたものである。

「私、雪子と申します。どうぞ、御贔屓に。」

まだ若いが、和服姿がよく似合っている。雪子の名刺を坂田が受け取ると、雪子は、坂田の目をじっと、みて、そして、言った。

「よろしければ、お水割り、私に造らせていただいても、よろしゅうございますか?」

奈美は、雪子が水割りをつくりながら、がっしりした坂田の身体に、自分の身体を寄せるのをみて、そおっと、坂田の席を離れた。

そして、そのまま、カウンターの中へ入り、調理に多忙な優紀に声をかけた。

「ママ。ちょっと、いいですか。
カウンターの一番下座の席。はじめてのお客様の名刺です。

バリューフェスって、山之辺さんの会社ですよね。その副社長様です。おそらく、山之辺さんに、何も言われずに、お忍びで、ウチの店を視察に来られたのだと思います。

今、ボトル、ヘネシーのV.S.O.Pをいれていただきました。」

優紀は、カウンターの中から、坂田の様子を伺った。雪子が、既に、坂田の肩に軽く手をのせて、坂田に甘えだしているのが、ちらっと見えた。少し、赤くなった坂田の相好が、崩れている。

バリューフェスの副社長・・・。
確か、山之辺の上司である、阿部洋次取締役と、派閥を争っている、次期バリューフェスの社長の最有力候補の漢だ。山之辺伸弥から、優紀はそう聞いていた。

「奈美ちゃん、了解。知らせてくれて、ありがとう。
たぶん、坂田さんは、雪子ちゃんが得意なタイプのお客様よ。しばらく、雪子ちゃんに任せておきましょう。

そして、どこかのタイミングで、私がご挨拶にでるわ。伸弥に、LINEで坂田様がご来店されていることを、知らせて頂戴。ただ、伸弥は、今日はまだ、しばらく来れないと思うけど。」

優紀は、奈美をホールに戻らせた。

雪子が、ヘネシーの水割りを濃く作っているに違いない。坂田は、豊潤なブランデーと、雪子の、瑞々しい桃の実とライチが醸し出すような、若い女性が意中の男に向けて放つフェロモンの香りに、酔い始めているようだった。

その坂田から、雪子は離れない。話も、はずんでいるらしい。雪子は、もう、既に、坂田の話に感心した面持ちを演出しながら、坂田の手に自分の手を乗せていた。そして、その手を、自分の胸元近くにまで持って行っている。

続く

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