副業飲食編 第3話「開店」

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静かに、夜のベルベットが、この銀座の街を覆う時間。
並木通りに、灯りがともりだし、高級クラブのママだと一目でわかる、美しい和服姿の女性も闊歩し始める。

その夜も、銀座5丁目のみゆき通りに面したビルの5階で、山之辺優紀が社長を務める、株式会社花月の、第一店舗「銀座花月」に灯りがともった。

開店前の2日間、花月では特別なご招待のお客様だけをお招きしての、お披露目の日を設定。その後、正式に開店をした。エレベーターホールには、銀座の有名クラブの社長やママから贈られてきた胡蝶蘭が所狭しと並んでいる。

午後8時30分過ぎ。その日の店の、最初の1回転めのお客様が概ね終わる時間。

午後5時の開店後から、この時間帯で花月が迎えるお客様は、殆どが、銀座の高級クラブに同伴をする、一流のブランドもののスーツを身にまとった男性と、着飾ったホステスのペアーだ。銀座のクラブは、おおむね、8時30分から開店する。そのため、銀座のクラブに行く男女のお客様は、この時間に一斉に店を出て、腕を組みながら、銀座の並木通りの方向に散っていくのだ。その時間を見計らって、山之辺は、表参道のバリューフェスの業務を終え、副業の花月の経営の管理業務に移るため、銀座の花月を訪れるのが日課になっていた。彼は、お客様の目に留まらないように、そそくさと狭い更衣室兼事務室に入って、仕事をはじめるのだった。

銀座の高級クラブの「お姉さま」クラスの女性は、月に15本程度の同伴のノルマをこなす。つまり、月曜から金曜までの出勤の4分の3まで、同伴をいれなければ、このノルマはこなせない。ほぼ毎日、客を連れて店に出勤できる程度の上客を相当数持っていなければ、銀座の高級クラブの、本職のホステスは務まらない。

更にママやチーママのクラスになれば、自分の客を、指名が自力ではとれない若いホステスに同伴させて、彼女たちの同伴のノルマの面倒をみながら、同時に、何席もの指名席をかけ持ちをしつつ、客を満足させて帰す、接客の腕をもっていなければならない。このための席を維持する戦力に、自分が面倒をみている若い女の子を使う。永久指名制が基本の銀座の高級クラブの世界で、年収で億以上を稼ぎあげる腕利きの女性は、まさに、このような凄技を使いこなす、最強のビジネスマンたちなのだ。

優紀もまた、奈美などの若いホステスたちに、自分の客で同伴のノルマをクリアーさせ、そして自分の売上をあげるための、接客の戦闘員として彼女たちを使っていたのである。

若い女性の美貌をつかって、男の客をコントロールし、自分の利益と権力の「実」をとる。まさに、それは、江戸城の大奥を支配する、お局様並みの技とも言えよう。

夜の銀座は、惜しげもなくカネを使う男たちにとっては、美貌の若い女の子が群がるハーレムの夢を見られる天国であろうが、ホステスたちの目から見れば、それは、激しい生存競争のビジネスの戦場に他ならない。

さて、優紀は、このような銀座の夜の同伴という仕組みの中で、腕利きのホステスたちに、いかに、花月を使ってもらうかに関する戦略を山之辺と協議した。そして、同伴の予約を入れてくれたホステスに対し、こっそりと、一律に現金を10,000円、心づけとして帰りがけに即金でバックする仕組みを編み出した。

同伴では、もちろん、会計は男が払う。ホステスは、予約だけをいれ、客を連れてきて花月で食事をし、自分の店が開店する時間には、客と店に出勤する。その同伴用の店として花月を使うことによって、ホステスは自分の仕事を始める前に、軽く稼ぎをあげることができるというわけだ。店の同伴指名料と、花月からのバックマージンの、両方を受け取ることができるという仕組みだ。

このバックマ-ジンでは、山之辺は損金計上を放棄することに決めた。いわば、花月が課税される益金として、ホステスが所得税を払う代わりに、法人税を支払うわけだ。そのため、貰った女性たちは、そのカネを自分の所得として所得税を支払う必要がない。高額所得者として、高率の所得税率に苦労している女性たちには、この仕組みは、限りなく有難い。脱税ではなく、堂々と、租税回避ができるのだ。

高額所得者として、自分の税金の支払いまで、実によく知識を持っている彼女たちは、即座に、そのメリットを理解し、どんどん、花月に同伴の予約を入れてくれた。

一方で、優紀は、自分や奈美の直接の上客には、料理で、大きなサービスをした。これまで、一晩、数十万円の支払いをクラブにして、優紀や奈美に会いに来た男性客からみたら、花月の会計は、実に明瞭で安価だった。

この二重のお客様に支えられ、花月は、開店初月で、目標を遥かに上回る売り上げと利益を計上したのだった。

その夜、山之辺は、開店から約1か月間の売上と仕入れ原価、そして販管費の推移を集計していた。

当初の事業計画では、一日の回転数を2.5回転と想定していたが、このひと月の状態では、完全に3回転を超えている。加えて、客単価も、開店と同時に入ったボトルの売上から、想定の倍以上となっていた。希望的な観測を持たず、冷静に計算を進める山之辺ではあったが、その山之辺の予想を遥かに上回る形で、優紀と奈美のコンビは、素晴らしい売り上げを出していた。

寧ろ、懸念材料は、開店以来、客数が多すぎ、優紀も奈美も、営業時間中に休憩をとる暇がないことだった。今は、二人とも緊張をしているから、体力的に、何とか持ちこたえている。

しかし、事業は、何といっても長丁場で継続をすることが重要である。

今の優紀と奈美の二人の体制では、体力に限界が来てしまうだろう。厨房で優紀が料理に集中している間、奈美はホールを受け持ちながら、厨房での洗い物や優紀の補佐をしているため、もう一人、どうしても、ホールに人員が必要であると、山之辺は判断していた。

しかし、花月の客層や、経営方針から観て、中途半端なアルバイトをいれるようなことをすれば、たちまち、好調にスタートした客を失うことになるだろう。奈美クラスの、美貌とサービス精神が旺盛な女性が採れないものだろうか。

これが、山之辺が、この数日、頭を悩ませている問題だった。

奈美が、山之辺が籠っている事務室のドアをノックして、入って来た。
「山之辺さん、お疲れ様ですう。
はい、差し入れ!」

客が一瞬、少なくなった時間に、おそらく優紀が手早く握ったであろう、いくらのおにぎりと、お新香が、奈美の差し出すお盆に乗っていた。

「奈美ちゃん、ありがとう。昼の仕事が終わって、何も食べていなかったんだ。
ありがたい!

奈美ちゃんは、もう食べたのかい?」

奈美は、鏡を覗き込んで、髪の乱れを確認しながら、応えた。

「あたしはね。馴染みのお客さんに、お酒や軽いおつまみを食べさせて貰っているから、大丈夫。優紀さんは、料理の味見をしながら、食べているから大丈夫だって、言ってる。」

山之辺は、椅子に座ったまま、大きく伸びをしながら、両手をアタマの後ろで組んだ。

「姉貴も、奈美ちゃんも、休みなしで、本当によく頑張っているね。売上も、絶好調だ。正直、ここまで、二人が頑張るとは思ってなかったよ。」

奈美は、にこっと笑った。

「そうそう。山之辺さんから言われていた、花月で働ける女の子の心当たりなんだけどね。
一人、一緒にやれる子がいるんだよね。」

山之辺は、伸びをした姿勢を元に戻した。

「そいつは、ありがたい。姉貴と、奈美ちゃんが納得いく女の子が、身内で見つかれば、それがベストだよ。」

「実はね。山之辺さんに、まだ話していなかったんだけどさ。
あたしね。一緒に住んでいるルームメイトの女の子がいるんだ。雪子ちゃんっていう子。

あたしと同い年でさ。今まで、神楽坂で芸者をやっていたんだけど。その子は、まだ半玉なんだけど、それを辞めて、花月にきてもいいって、言ってるんだけどね。どうかな?」

「ほう。半玉の女の子か。」

山之辺は、腕を組んで天井を見上げた。

東京の花柳界、つまり芸者の世界では、芸者の見習いのことを「半玉」と呼ぶ。かっては、年少の少女が「半玉」だったが、今では、18歳を超えて芸者になる前の見習いの女性を半玉と呼ぶのだ。

浅草・神楽坂など、芸者を置く置屋は、非常に少なくなってしまったが、今でも、日本舞踊や、小唄・都都逸などの、「粋な遊び」をお座敷でする高所得者や、接待の席に出る、芸者がいる。ただ、芸者として座敷に出るための、修行は並大抵ではない。そこで、この修行中の女性が現代の東京の花柳界の半玉なのだ。

京都の花街の遊びでは、舞子遊びが主流で、東京では、この舞子にあたるのが半玉だ。京都では舞子から芸妓になり、東京では半玉から芸者になるのだ。

神楽坂の花柳界で、お座敷に出ていたというなら、これは、その辺のホステスなどと格が違う。接客の技術も相当に仕込まれてきているだろう。

「一度、奈美ちゃんが姉貴に会わせる前に、俺が会おうか?その雪子さんと。」

花月の店のホールから、優紀の「いらっしゃいませ。」という、声が聞こえてきた。
奈美は、手でOKマークを作って出すと、そそくさと、事務室から、花月のホールに戻っていった。

続く

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