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東京 副社長室にて
東京の冬の季節に、異常とも言える、巨大台風が近づきつつあった。既に、街路樹が葉を落としてしまった季節に、九州に上陸した台風が北上を続けていると、ニュースは警戒を呼び掛けている。
異常気象は、ここまで進んでいるのだろうか。
東京 表参道。株式会社バリューフェスの、副社長室。隣にある、大井川秀樹が使用する社長室よりも、一回り小さい副社長室で、その主の坂田将は、応接の椅子に前かがみで腰かけて、眉間に皺をよせていた。
その坂田の前には、バリューフェスの現在の主幹事証券会社である、PPM証券の三浦智明が、分厚い資料を前に座っている。
主幹事証券会社は、東京証券取引所プライム上場企業であるバリューフェスの、株式や社債の発行から管理、株主名簿の管理などの業務を、すべて行っている。
バリューフェスは、創業者の大井川が株式の15%を押さえて大株主であり、その余の65%を、坂田が密接に人脈を押さえる安定株主が保有している。浮動株は20%程度あったが、証券取引所の株式取引の出来高は、普段は、非常に少ない。従って、株式上場以来、株価は非常に安定し、荒れたことがなかった。
そのバリューフェスの主幹事証券の担当者として、三浦は、今日、バリューフェスの株式の、直近の異常な売買に関する報告を坂田に齎していた。
神経質そうな表情を曇らせて、三浦は報告を続けている。
「今から遡って、株の取引の出来高を観ますと、確かに、1月ほど前から、微妙に小さい取引が成立していました。ただし、それは、個人の小さい投資家が売り買いをしている程度の取引で、当社としても、まったく気にとめていませんでした。
それが、つい1週間前、例のウォールストリートジャ-ナルの記事が出て以来、大変な量の売買が、御社に成立しています。
昔でいう、仕手戦に巻き込まれた状態といわざるを得ません。
当社としても、なすすべがなく、こうしてご報告にあがった次第です。」
坂田は、三浦が持参した、英語の新聞記事を手に取っていた。
坂田は、英語が得意ではない。
ウォールストリートジャ-ナルの英語は、証券業界や金融業界の単語が並び、そんな坂田が読めるものではなかった。三浦の解説で、その記事の概要を理解するより、他ない。
記事は、日本市場に関する記事で、プライム市場上場企業 バリューフェスが、ニューヨークに本社を置く世界7大石油資本の一つ、エーロン社より、アゼルバイジャン領海内の新規油田掘削プロジェクトの業務委託契約に成功した、と報道していた。こんな記事は、日経新聞も一切報じていない。
記事は、更に、バリューフェスは、この業務により、莫大な売り上げを計上できるとともに、更に、将来、エンロン社との関係強化により、バリューフェスは、SDGsの大きなビジネスに進出する見込みであるとしていた。
そして、この記事が報道される前に、1,000円周辺で安定して推移していたバリューフェスの株価は、連日、東京証券取引所でストップ高を更新し続け、既に、2,500円を超える高値圏に突入してしまったのだ。
これは、バリューフェス上場公開以来の高値である。
オーナーである大井川と、安定株主によって、バリューフェスの株価は、これまで、非常に安定していた。その結果、個人投資家や機関投資家による利ザヤの投資対象には、バリューフェスはまったくならず、浮動株も20%と非常に少なかった。
「この相場を仕掛けた人物は、浮動株の少なさを利用したんです。1980年代まで、日本にあった、仕手相場の手法と似ています。」
三浦は、そう言って溜息をついた。
「ただ、この相場の仕掛人は、ウォールストリートジャ-ナルに特ダネ情報を流せるレベルの人物です。
世界の金融新聞の中で、最も影響力の強いウォールストリートジャ-ナルが特ダネとして、すっぱ抜く情報を提供できるなどというのは、昔、日本の兜町で暗躍した闇の紳士たち、例えば、旧誠備会や、光進グループなどという、連中ができるような技ではありません。
明らかに、ウォール街の金融系企業、それも、相当な大物の仕業です。」
坂田は、ソファーに深く座り直して、副社長室の天井をみあげた。
三浦が話し続ける。
「今後、このすっぱ抜かれた記事の内容が、もし、フェイクだということになれば、バリューフェスの株価は、急下落をするでしょう。
これまで安定株主として、バリューフェスの株を持っていた機関投資家が、おそらく、そこで狼狽売りに入るに違いありません。そうなれば、株価は大暴落をします。
これは、非常に危険です。坂田副社長が、長年にわたって構築されてきた、バリューフェスの株主構成が、ボロボロになってしまいます。坂田副社長の、バリューフェスにおける地位が、崩壊する可能性すらあります。
しかも、更に不気味なのは、この相場の仕掛人が何を目的にしているかが、皆目、わからない点です。」
坂田は、三浦を、じっと見据えた。
「それで、この仕掛人が、誰なのか?御社は調査をいただけたのですか?」
三浦は、一枚の書類を鞄から取り出した。上部に、朱書きで、「取扱 厳重注意」と書かれている。
「株主名簿の書き換えを仕掛人が要求してきまして、判明しました。
松木陽介という、日本人です。株主名簿の書き換えの情報から、既に、バリューフェス株を、発行済株式の3%を所有するに至った、今では、もう大株主です。」
三浦は、眉間に皺を寄せて、書類を坂田に手渡した。
「弊社のニューヨーク支店に、この松木という人物が何者なのかを問い合わせをしました。
ウォール街の金融筋や事業筋では、かなり有名な人物です。弊社のニューヨーク支店の支店長が、この人物について、即答をしてきたほどです。
WwWコンサルタンツのシニアコンサルタントを務めている漢です。ただ、それだけなら、弊社の支店長が、即答をしてくるような有名人にはなりません。優秀なエリートというだけです。
松木は、日本では、三洋銀行系のシンクタンク 三洋総合研究所に在籍をしていたそうです。
この漢が、強烈なのは、大卒入社初年度から、三洋銀行で、銀行の世界では超がつくほどの出世コースであるシンクタンク、三洋総研に出向になり、入社3年目で、アメリカの大学院の社費留学に選抜された人物だということです。
そして、留学先は、ハーバードビジネススクール。
日本のトップクラスの頭脳を持った漢だということです。バーバードでMBAをとったあとに、三洋を退社し、社費留学費用の全額を銀行に一括返済し、WwWコンサルに入ったというのが、そのあとの、松木の経歴です。
金融業界の、超・花形のきらびやかな経歴の持ち主です。ただ、それだけなら、超エリートコースの人間、というだけで終わります。
ウォール街には、その程度の人物は、履いて捨てるほどいるからです。
その後、松木は、WwWのシニアコンサルタントに猛スピードで昇りつめ、同時に、ハーバード時代の世界のトップ層の人脈を縦横無尽に活かして、中東やアフリカの独裁政権のトップへの、ロビーイストまで演じている漢だそうです。
世界の大物とのビジネスでは、そのロビーから、大物の部屋に通ることが至難の業です。
特に、中東やアフリカでのビジネスをやろうとした場合、すべては、独裁者のご意向ひとつで、権益が手に入るかどうかが決まります。
そこで、グロ-バル企業は、巨額な権益を求めて、大物のロビーにいる人物、これをロビーイストとアメリカのビジネス界では呼ぶのですが、その人物に口をきいてもらい、大物と引き合わせてもらわなければ、ビジネスがスタートしません。
独裁国家というのは、正面から行政機関などに入っていっても、何もビジネスの権益をつかむことができないんです。
事業に必要な免許すら、貰えません。つまり、独裁者の一声で、どこの企業が権益を手に入れるかが決まるのです。
松木は、特に、北アフリカの独裁国の独裁者の子息たちと、ハーバード時代に盟友的な関係をつくり、それを最大限活用して、独裁国家のロビーをやっています。
従って、中東や北アフリカにビジネスを進めたい企業は、WwWコンサルの松木に巨額な報酬を積んで、独裁国のキーマンと繋いでもらうわけなんです。一方、独裁政権も、こうしたロビーからの企業の巨額な投資を活用して、アメリカ資本の巨額なマネーをいながらにして、引っ張ってこられるわけです。いわば、松木のような、ロビーイストは、独裁者にとって、ドル箱でもあるわけです。
独裁者とロビーは、いわば、持ちつもたれつの同盟関係にある、というわけです。
一方で、松木は、アメリカ合衆国の中央情報局、つまりCIAとも非常に強い情報提供関係を持っているそうです。中東や、アフリカの独裁政権から入る情報を、CIAに売っているのでしょう。CIAも、このような人物がいなければ、独裁国家の情報を入手できない。
鬼平こと、火付け盗賊改め方 長谷川平蔵が使っていたと言われる、盗賊の密偵のようなものです。民主主義陣営の諜報機関は、いわば、仮想敵の内部にいる、このような密偵と繋がることで、諜報や工作ができるのです。」
「WwWコンサルという企業は、ロンドンのシティーに本拠を持つ、世界最大の金融系コンサル企業です。そして、そのネットワークは、世界中の公認会計士に広がり、そのネットワークで、スーパーリッチと言われる富裕層や、グローバル企業の租税回避に、最大の強みを持っている組織です。
当然、世界の国税機関から、その活動は、要注意としてマークされているでしょう。松木も、おそらく、派手にマークを受けているはずです。このようなコンサルは、もし、日本の税理士や公認会計士が手を染めれば、たちどころに、資格のはく奪となり、脱税の教唆犯として逮捕される可能性がある、荒業です。
松木は、この国税の動きを、中央情報局と繋がり、国家機密の伝家の宝刀をかざして、国税機関の介入を回避し、派手な租税回避コンサルを展開している人物でもあります。
CIAと、松木もまた、持ちつ持たれつの利害関係にあります。
こうして得た自由なステージで、松木は、莫大な資産を構築し、それを、今度はアメリカの共和党や、中国共産党、ついには、朝鮮労働党にすら、ばら撒いて、政治とも密接に繋がり、有利な立場で、グローバルビジネスを展開している漢なのです。
完全な、国際フィクサーです。
今回の、バリューフェス株の買い付けも、株主名簿の書き換えがあるまで、弊社には、まったく松木の買いの手口は、掴めませんでした。
取得株式が3%という、会計帳簿閲覧権や役員解任請求権を掌握されるレベルに至って、はじめて我々が気付いたのは、松木の買いが、世界中に分散された口座から発注されていたためです。
スイスに本拠を持つプライベートバンクの口座で、スイス・リヒテンシュタイン・アイルランド・ケイマン・シンガポール・香港など、いずれも、そのプライベートバンクのタックスヘイブンの支店の口座から少量の買いが入り、それが、最後に纏まって、松木の買いの手口だということが、こちらにわかりました。自分の姿を隠して、株式を買い集める、見事な手法です。
スイスのプライベートバンクの口座というのは、世界の富裕層が、各国の税務当局に察知されない口座を持つために開くものです。最低でも、1,000万ドル、つまり、日本円に直して、15億円規模の預金を持っていなければ、開設することすらできない口座を、松木は、いくつも使っています。
どこまでの資金力・情報力・影響力がある漢なのか、想像すらつきません。外見は、WwWコンサルの中間管理職ですが、その実態は、グローバルロビイストであり、グローバルフィクサーです。
こんな、漢からで出たネタであるため、ウォールストリートジャーナルも、御社のフェイクニュ-スを、信じて報道したものと、思います。」
坂田は、黙って、三浦の長い話を聞いていた。そして、三浦の話が途切れたところで、三浦の目をまっすぐに見返した。
「三浦さん。
当社の主幹事証券である、PPM証券さんに、話しておかねばならないことがある。
あなたが仰る、ウォールストリートジャ-ナルの報道は、実はフェイクではない。まさに、三浦さんがご説明いただいた、松木陽介から、当社の海外事業部門に、提案されているビジネスプラン、そのものです。
但し、そのビジネスは、当社内のある事情で、まだ取締役会の議事にも載っていない案件なのですが。」
三浦は驚愕したような顔で、坂田を見つめて、口を開きかけた。
松木が株式会社バリューフェスに提案した内容は、ニューヨークウォール街ビジネス始動編 第1話「回顧と迷走」の、ProjectAと、ProjectBをご参照ください。
その三浦を制して、坂田は話し続けた。
「当社の株を、周到な計画で、3%も取得する行動に出るという人物が、衝動的な相場を張るはずがない。
仕掛人の、考えられる狙いは、次の3つのうち、いずれかだと、私は思うのです。
第1は、三浦さんが言われるように、相場操縦による、キャピタルゲイン狙いの仕手相場による、利益目的。これなら、当社の株価は、仕手が売り抜けた後に、暴落するでしょう。そうなれば、確かに、安定株主は狼狽し、当社の資本構成は、ボロボロにされるでしょう。
第2は、アクティビストとして、当社の経営に対する介入をする目的。つまり、モノ言う株主として、当社に、要求を突き付けてくるでしょう。それを、当社が吞まなければ、場合によっては、安定株主を切り崩してくるかもしれません。ただ、アクティビストであれば、話し合いを持てば、解決ができるかもしれない。
第3は、敵対的M&Aを仕掛けてくる前哨戦。仕掛けた人物の後ろに、当社を敵対的に狙っている更なる大物がいて、それに対するTOB テイクオーバービットを仕掛けてくる目的でしょう。
どうですか?
この3つのうち、どれかが、松木陽介の意図だと、そう思いませんか?」
三浦は、大きくうなづいた。
「その通りです。
流石に、坂田副社長は、上場企業の株式を知り尽くしておられる。
その通りです。
ただ、そのいずれに、松木の狙いがあるのか、我々にはわからないのです。」
坂田は、目を細めて、笑った。
「相手が、松木陽介であれば、彼の狙いは間違いなく、私の言う2つめ。
アクティビストだ。
彼は、私に、アクセスしようとしている。
そして、私には、実は松木と繋がっている線があるんです。
ご心配をおかけしましたが、これで、私なりに本件をどうさばくか、わかりました。
尚、三浦さん。
本件は、絶対に、あなた限りの胸に収めてください。
くれぐれも、機密を守ってください。本件は、弊社にとって、最高レベルの機密の事項となりますので。」
東京 機密行動
三浦が帰ると、坂田は、サイボウズのスケジュールで、海外進出コンサルティング・セクションの山之辺伸弥の予定を閲覧し、山之辺が、社外を動いている時刻であることを確認して、スマートフォンを手に取った。
「山之辺でございます。」
スマートフォンの向こう側で、坂田からの架電を確認し、山之辺が応答すると、坂田は、手短に話し始めた。
「今夜、銀座 花月で会えないか?
君と、非常に重要な話がある。例の、君が情報を俺にリークしてくれた、WwWの提案の件だ。」
銀座花月は、山之辺が、副業で経営する日本料理店であり、今は、坂田の愛人となっている雪子が、山之辺の部下として務める店だった。
今では、坂田の若い愛人を囲う費用を、山之辺が負担をしているという、熟れた関係にこの二人は立っていた。
坂田と山之辺の関係は、副業飲食起業編 第3話「秘密同盟」をご参照ください。
山之辺は、手帳を確認しながら、承知しましたと応えた。
「逆に、私もその件で、坂田副社長にご連絡をとりたいと思っていたことがあるのです。
本件をご提案いただいている、WwWコンサルタンツの松木陽介シニアコンサルタントから、私に、今朝、国際電話が入りました。
坂田副社長から、そろそろ君にビジネスの件で、話が入るころだろうから、そうしたら、坂田副社長と自分を繋いでほしい、出来れば、坂田副社長がニューヨークにお越しになる段取りを君がつけろと、言われました。」
坂田は、松木の段取りのチカラと、タイミングを観るチカラに、戦慄を覚えた。
向こうは、株主名簿の書き換えの要求をし、主幹事証券会社が3%の株式を握られたことに驚愕して、坂田のところに飛んでくるタイミングで、山之辺を押さえ、坂田との接触を求めてきた、ということだ。
このような、ビジネスの商談に関する勘の鋭さと、タイミングを制する動物的な嗅覚があったればこそ、松木は、ウォール街の巨大金融系コンサルのシニアアドバイザ-という基礎を利用して、アメリカ合衆国や中国、更には、中東やアフリカの独裁者にまで食いこみ、想像を絶する規模のロビー活動を遂行することができたのだろう。
一方で、バリューフェス側は、このような底知れぬフィクサーに対して、大井川の後継者の息子にあとを継がせる策などという、オーナーの老害を利用するような動きを演じる、阿部取締役が責任者にあたっていた。
最初から、まったく勝負にならない形勢だ。相手は、バリューフェスの事実上のトップと坂田を認めて、坂田とのトップ商談を望んできているということだ。
この時点で、山之辺に坂田との段取りを依頼してきたということは、おそらく向こうは、山之辺が、阿部の部下でありながら、坂田と密接に繋がっていることまで調査して、行動しているに違いない。
何せ、相手は、アメリカ合衆国の諜報機関 CIAの関係者でもあるという話だから。日本にも、相当な諜報網を持っていることだろう。
坂田は、こうアタマを巡らせていた。
ところで、今、坂田が架電をしている山之辺には、その時、坂田には、松木が山之辺への国際電話の最後に言った、「あえて伝えていないひとこと」が、重く胸につかえていた。
この松木の台詞を坂田に伝えたら、その坂田の松木に対する戦慄は、今の10倍にも至っていたに違いない。
「そうそう、一つ、言い忘れた。坂田副社長が、ニューヨークにお越しなる出張は、おそらくバリューフェス内では、極秘扱いになるだろう。
是非、プライベートでお越しいただき、その費用は、すべて俺のほうで持たせていただこう。
JSLのファーストクラスと、ウォルドーフ・アストリア・ホテルのスイートルームを用意させていただく。
それなので、是非、君の銀座の店の、君の部下の坂田さんがお気に入りの女性とお二人で、ニューヨークにお越しいただきたい、と坂田副社長にお伝えいただきたい。」
流石の山之辺も、この松木の台詞に、言葉を返すことができなかった。この松木の台詞を、いつの段階で坂田に伝えるかを、山之辺は逡巡していた。
東京 銀座
深夜から東京は、季節外れの暴風域に入ると、気象予報は、メディアで注意を呼び掛けていた。
帰宅ができなくなることを怖れて、サラリーマンたちは、誰もが、家路を急いでいた。
夜の銀座の並木通りには、人通りもなくなっている。
銀座 花月の店も、開店から誰も、一般の客が入る様子はない。カウンターの中の厨房では、ママである山之辺優紀が、奈美とともに、明日以降の来客をもてなす料理の仕込みを行っている。
小上がりの座敷に、坂田は座った。山之辺伸弥は、坂田の愛人でもある、店の中居の雪子を、坂田の隣に座らせ、自分は、坂田の席の下座に座った。卓の上には、優紀が準備したお造りの船盛が、坂田と山之辺の間に結界を引くように鎮座している。坂田は、自分のキープボトルの、ヘネシー VSOPで、雪子に水割りを作らせ、それを山之辺に勧めた。
そして、坂田は、松木陽介が、バリューフェスの株式を取得した経緯を山之辺に説明した。
「つまりは、君はとてつもない大物を、バリューフェスに導いてきてしまったわけだ。」
坂田は、ヘネシーの水割りをいれた、バカラのグラスを右手で振った。ウイスキーグラスとしては、最高級のバカラのグラスは、山之辺が、銀座 花月の、最上級のVIP客に出すために、2個だけ準備しているものだった。
山之辺は、坂田の目をまっすぐに見た。
坂田の目の中には、怯えも、その反対の軽視もない。まっすぐに、松木と渡り合う意志が、その目から読み取れた。その坂田の目をみて、山之辺は、自分の出方を決めて、はじめて口を開いた。
「松木さんは、決して、バリューフェスを、自分の欲望のエサにしようとは思っていないと思います。
今回の、短期的な収益を重視したProjectAも、長期的な利益を生み出すためのProjectBも、ともに、松木さんは、非常に誠実に、当社に対して提案をしてくださいました。
それに対して、寧ろ、極めて非礼なふるまいをしたのは、バリューフェスのほう、つまり阿部取締役です。短期的な利益に立ったProjectAだけを、バフューフェスは採用すると松木さんに一方的に言い放ったのです。
相手は、世界最大の金融系コンサルティングファーム WwWですよ。
バリューフェスと組織的に比較しても、その規模は比ではありません。世界の巨大企業やスーパーリッチが、守護神と仰ぐ、強力な組織です。その相手に対して、バリューフェスは、相手を見下す様な態度で、短期的な利益追求だけが欲しいと、言い放ったのです。相手が怒り、大魔神となって暴れ出した責任は、バリューフェス側にあると私は思いますが、それは違いますか?」
坂田は、グラスを持っていない左手を振って、山之辺を制した。
「ちょっと待て。ここは、君にもしっかりと理解してもらわなければならない。バリューフェスは、現段階まで、一切、ProjectAもProjectBも、公式に拒否も決めていないぜ。本件は、一切、取締役会の議事に乗っていないんだ。それを勝手に、振舞ったのは、バリューフェスじゃない。
君の上司である、阿部取締役、個人だ。仮に、その背後に、大井川社長の意思があったとしても、会社が、これほどの重大な案件を意思決定するには、取締役会の議決を要する。代表取締役も、単独では、決定できない。
その議決をえていないのだから、採用も拒否もしていない。それが正しい認識だ。
当然、松木さんは、それに気づいているはずだ。」
山之辺は、頷いた。
「その取締役会の決議では、既に、大井川社長と阿部取締役のお二人を除き、他のすべての取締役は、坂田副社長の御意向のままに動くようになっています。
だからこそ、阿部取締役は、事前に、ProjectBを潰して、ProjectAだけを提案するつもりだったわけです。そうして、大井川社長の御子息の、大井川茂くんを韓国からニューヨークに動かし、ProjectAが齎す巨額な利益を、茂君の成果とする、出来レースを演じようとしたわけです。
その狙いは、ほかでもありません。坂田副社長が、社長就任に向かって動いていく、その動きを牽制するために。
バリューフェスは、プライム上場企業です。それが、あたかも、大久保会長の私企業のように、動かされようとしています。このような視野の狭い動きは、最早、経営でなく、政治に過ぎません。その辺の同族中小企業なら許されても、公器である、プライム市場上場企業に許されるべきではありません。
だからこそ、私が坂田副社長に、計画の全貌を、直接ご報告したのです。」
坂田は、大きく頷いた。
「山之辺君。よくわかっている。
俺は、松木さんに、遭いに行こうと思っている。勿論、会社には極秘に。あくまでも、プライベートの骨休みの、アメリカへの旅行ということにして。
それで、俺の目で、松木さんを観てくる。
松木さんは、既に、バリューフェスの3%の株をお持ちになっている大株主だ。ご挨拶をせねばならないし、そのご意向を、直接はっきりと聞いてこなければならない。
勿論、ご提案いただいている件についても、俺が直接、ご説明をお伺いしてくる。そのうえで、俺はこのProjectAと、ProjectBを、バリューフェスとして、採用するか、見送るかの腹を決める。阿部などに、個人的に決定させるような事案ではない。
既に、アメリカのマスコミが、この件を報道してしまった以上、はっきりとそれを会社として、肯定するか、否定するかを決めなければならない。
この件は、もう阿部の手にはない。
俺が扱い、俺が決める。
もし、採用となったら、その時には、このプロジェクトは、大井川茂などの手に負える代物ではない。そして、このような取締役会をないがしろにする行動をとった責任を阿部取締役には、とっていただく。
わが社の中で、これほどの大規模な案件をやれるのは、山之辺君をおいて他にいない。
そう思っておいてくれ。
それを前提に、山之辺君は、これも会社には極秘で、俺と松木さんを繋いでくれ。」
山之辺は、それを承諾し、付け加えた。
「実は、それについて、松木さんから別の提案があります。
おそらく、坂田副社長は、プライベートでアメリカにお越しになるだろうから、その旅費は、すべて松木さんがご準備する、そして、加えて、雪子くんも、同伴いただくようにとのお話です。」
山之辺は、この話で、坂田が青ざめるかと思ったが、逆に、坂田は大笑いした。
「なるほど。流石は、CIAのエージェントだという人物だ。俺はどうやら、松木さんの前で、丸裸にされてしまっているようだ。
面白いじゃねぇかよ。
そのお話に乗ろうじゃないか。但し、手配をいただくのは、航空機までにしよう。ホテルは、俺が自分で決めて、自分で予約する。
雪子との夜の営みで、俺の上に雪子が馬乗りになっている姿を、監視カメラで松木さんに握られたくないからな。」
坂田の隣にいた雪子が、坂田の腕に、纏わりついた。
「やった!
坂田さんと、ニューヨークに旅行ね。
凄い、楽しみ!」
山之辺はあきれた顔で雪子を見たが、坂田は、そんな雪子を、本当に可愛いがっているらしい。
今夜は、坂田は自分の家庭に、台風で帰れなくなったという口実で、おそらく銀座周辺のホテルを、雪子との夜の時間を過ごすために予約しているに違いない、と山之辺は感じた。
巨大台風すら、坂田にとっては、自分の行動を隠す、武器なのだろう。
松木と、坂田。相性のいい同志だと、山之辺は、既に成果を確信していた。
「ニューヨークウォール街ビジネス始動編」は、4話で完結いたしました。
次回より、「飲食事業成長軌道編」がスタートいたします。
お楽しみに。