転職編 第4話「出発」

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1.渋谷 社長室

株式会社バリューフェス・キャリアの社長室。

阿部洋次社長は窓際に立ち、そこから遠景に見える、新宿の高層ビル群を睨みつけていた。渋谷から遠くに観る新宿の高層ビル群は、西側から、暮れかかった日の光を浴びていた。

別室には、来社した山之辺伸弥を待たせてある。

阿部が、山之辺を営業担当の人材として紹介した、住宅メーカー大手の美月林業からは、山之辺を本人の希望通りの年俸で、現場営業職として、何としても採用したいという打診が、阿部に来ていた。

仮に、山之辺が、数千万円の年俸を提示し、阿部がバリューフェス・キャリアの紹介報酬を、その年俸の40%という、人材紹介手数料相場の最高率で交渉したとしても、美月林業は、喜んでその条件を呑むだろう。

しかし、阿部は、山之辺を美月林業に渡すつもりはなかった。

これから自分が株式会社バリューフェスで手掛ける新事業。その中核的な戦力として山之辺を獲得し、山之辺を外資系コンピューターハード業界の最大手 IGM出身の水谷の下につけ、海外進出を専門とする経営コンサルタントに磨き上げる。

そして、株式会社バリューフェスの創業者にして最大株主である大井川秀樹の一人息子、茂の先輩として、茂の育成にあたらせる。そして、茂を将来のバリューフェスの代表に育て上げ、自ら、茂を支え、バリューフェスを動かす。

これが、阿部の描く野望であった。

既に、大井川には、山之辺の情報を詳細に伝え、そのプランの内諾を受けていた。大井川は、息子である茂が現在勤める企業から、茂をバリューフェスに移す段取りを進めていた。

計画は、いまだに、バリューフェスの取締役会の議事にはのっていなかったが、新規事業案件としては確実に水面下で動き始めている。

しかし、ここに、阿部が越えなければならない問題があった。

山之辺に対する、株式会社バリューフェスの採用条件だ。

一部上場企業とはいえ、株式会社バリューフェスは、いまだ、ベンチャーの域を出ていない。売上高は、ようやく400億円に到達したばかりの企業であった。

財閥系グループに属する、売上高が兆円単位の美月林業とは、売上高も純資産規模も全く対抗できなかった。

しかも、バリューフェスと同業の通信機器販売会社は、どこも、経済界では給与水準の低いことで有名である。今回、大井川を説得し、取締役である阿部が人事部門を直接説得しても、山之辺の年俸として提示できる条件の上限は、800万円までであった。

その人事部門の態度から考えて、どうやら、そこには、阿部の元部下で、今は阿部を追い抜かし、バリューフェスの副社長に着任している坂田将の内命があったように感じられた。そうだとすれば、ここで、阿部が、強い態度にでるのは不利であった。

山之辺が、年俸の高さや会社の大きさで次の職を選ぶとすれば、バリューフェスは美月林業に、全くかなわないことは明白だった。

しかし、それでも阿部には、勝算があった。

もし、山之辺が年収や会社の大きさを重視する人物であれば、そもそも、住宅業界最大手の積山ホームを退職するはずがない。

積山ホームでの、山之辺の業績と、山之辺の頭脳があれば、山之辺は、そのまま積山ホームで実績をあげれば、間違いなく、しかるべき地位と年収が望めたはずなのだ。

山之辺ほどの戦略的発想をする人物であれば、日本の転職が、年収とキャリアではマイナスに働くことぐらい、百も承知だったろう。

転職で年俸をあげていくアメリカのビジネス界と違い、日本の企業社会では、転職は、年収的に不利に働くことが圧倒的に多いのが現実だ。

それでもあえて、山之辺が積山ホームという名門住宅メーカーを辞めて転職に踏み切った本当の理由を、これまで山之辺は、一切、語ろうとしなかった。

そこがポイントだと阿部は読んでいた。山之辺の転職には、まだ、山之辺が阿部に語っていない何か別の狙いがあるはずだ。この山之辺の狙いに、阿部が答えを出してやれば、山之辺は、阿部についてくると、阿部は感じていた。

その山之辺の転職を選択した本当の狙いを聞き出し、それに対するソリューションを阿部が準備する。そのうえで、これからバリューフェスが山之辺に与える、グローバルステージと、コンサルタントというキャリアパスを示せば、山之辺は、住宅の営業という、これまでの得意分野を捨てて、新たな挑戦を求め、阿部のもとに来るに違いない。

阿部は、こう計算していた。

阿部は自分の読みに狂いがないかどうか、もう一度、ストーリーを反芻しているのだった。

自分なら、必ず、山之辺を落とせる・・・。

阿部は、自らの心に成功の暗示をかけ、ゆっくりと、自分の机に向き直ると、机の上にあるビジネスホンの受話器をとった。

そして、部下であり、阿部の秘書役の溝口香里に、山之辺を社長室に案内するように指示を出した。

2.採用 出発

採用 出発
山之辺伸弥が、社長室に入ってから、2時間が経過した。

溝口香里は、自分の腕時計で、それを確認すると、給湯室へ行き、淹れなおしたコーヒーのカップをお盆に乗せて、社長室へ向かった。

山之辺が社長室に入るときに淹れたコーヒーは、もうなくなっているだろう。

社長室のドアをノックし、溝口香里が社長室に入る。

ちょうど、その時、阿部が、いつにない笑顔で、大きな笑い声をあげて話しているところだった。

阿部は、非常に上機嫌だった。話は、阿部の描いたストーリー通りに進んだのだと、溝口は推測した。

溝口香里がコーヒーカップを、山之辺と阿部の前に置くのも待たずに、阿部は、溝口にこう言った。

「溝口さん。ちょうど、よいところだった。今、呼ぼうと思っていたところ。
ちょっと、あなたも、ここに座って。」

溝口が、手帳を持たずに社長室に入って来たことに躊躇するのも構わずに、阿部は溝口をソファーの山之辺の隣に座らせた。

「溝口さん。山之辺くんがね。バリューフェスに来てくれることになった。

それでね。

申し訳ないが、これから美月林業の神崎さんに電話してね。山之辺君が、誠に残念ですが、他の企業に就職が決まってしまいましたと、報告してほしい。

本当に申し訳なさそうに、電話してよ。嬉しそうな声だしちゃ、駄目。本当に残念です、という話し方をしてね。」

面食らっている溝口の顔と、嬉しそうに話す阿部の顔を見比べて、山之辺は面白そうに笑っている。

「それから、もう一つ。

銀座のいつもの店に電話してね。今夜の席の予約をして。

今から、すぐにタクシーに乗って銀座に向かうから、到着する時間をみて、予約してほしい。ちょっと、後で、もうお一方、合流する人がいるから、3名で予約をしてほしい。

今夜、山之辺くんの、就職祝いをやることにしたんだ。よろしくね。」

そして、饒舌になっている阿部は、更に機関銃のように、溝口に続けた。

「それからね、溝口さん。
あなたに、はじめて言うんだが。

あなたにね。うちのバリューフェス・キャリアから、親会社のバリューフェスに転属してもらうことになる。

勿論、心配ないよ。僕が責任者の部門への転属だから。

親会社への転属だから、給与も少しはあげてあげられると思う。

それでね。そこで、山之辺くんと一緒に働いてもらうことになった。

二人とも、よろしくね。」

次々と、捲し立てられて、面食らっている溝口に、山之辺は、席を立って、挨拶した。

「どうぞ、よろしくお願いいたします。
バリューフェスさんのことは、全くわからないので、色々と教えてください。」

溝口は、慌てて立ち上がり、こちらこそ、よろしくお願いします、と挨拶を辛うじて返した。

溝口が社長室を出ると、すぐに、阿部は山之辺を連れて、社長室を出て、社長室を施錠し、そのまま外出した。

バリューフェスグループが使用するグループウェアの、サイボーズの予定表には、「山之辺さん 直帰」と予定が書きこまれていた。

溝口香里は、自分の机に戻り、阿部の予定を確認すると、阿部からの指示通り、美月林業に電話をするため、神崎取締役の名刺を人脈管理システムから探しはじめた。

「転属かあ」

溝口は、自分のオフィスを見回した。

溝口香里は、阿部に部下として、可愛がられていた。通常の自分の仕事に加えて、阿部の秘書役として、阿部のバリューフェス・キャリアの社長の業務を支えていた。

私が転属ということは、阿部社長自身も、バリューフェス・キャリアの社長を退任し、親会社のバリューフェスで、別の事業に取り掛かるに違いない・・・。

溝口は、そう推察した。

「早めに、机の中の整理をしておいたほうがよさそうね。」

オフィスに流れる有線放送から、GlobeのDeparturesが流れていた。

溝口が小学校に入学する年に流行った懐かしい曲だった。子供のころから大人びていた溝口は、歌詞の意味もわからずに、この曲をよく聴いていた。

阿部洋次、山之辺伸弥、そして、溝口香里。

それぞれの、新しい出発が決まったことを、この曲がオフィスに告げているように、溝口香里には思えた。

3.決断 要因

決断 要因

阿部洋次は、株式会社バリューフェス・キャリアの入る、青山のビルの前でタクシーを拾うと、山之辺伸弥を連れて、銀座に向かった。

今、終わったばかりの、阿部と山之辺のミーティング。山之辺は、美月林業ではなく、バリューフェスを次の転職先に選び、阿部の率いる新規事業部門で、働くことを決断した。

阿部は、どうやって、山之辺を決断させたのであろうか?

この時点から、時を遡ること、2時間半。

山之辺は、溝口香里に案内されて、株式会社バリューフェス・キャリアの、阿部社長の社長室に入室した。

山之辺が、ソファーに座り、溝口がコーヒーをテーブルに置いて、部屋を出ると、阿部は、まず、山之辺に対し、山之辺が面接を受けた、美月林業と、バリューフェスの2社の双方から、山之辺を採用したいという、強い要請があることを話した。

阿部は、山之辺が、今の時点で、その他の企業から、内定を受けているところがないかを、確認。そのうえで、阿部は、まず美月林業の山之辺に対する、オファーの条件を丁寧に説明しはじめた。

美月林業の人事部は、山之辺の前職である積山ホームでの実績を調べ上げ、その驚異的な販売実績を高く評価し、注文住宅営業部門での営業総合管理職としての採用を、人材紹介会社であるバリューフェス・キャリアにオファーしてきていた。

年俸は、山之辺の希望に従う、という。

美月林業の神崎健一取締役人事部長は、阿部に対し、仮に山之辺が、数千万円の年俸を希望したとしても、その希望通りの条件で採用したいと、内々に伝えてきていた。

勿論、高い年俸の希望を出せば、その分、山之辺に対する営業成績の要求は増えるだろう。

しかし、積山ホームで、毎年40億円という、途方もない実績を稼ぎあげてきた山之辺からすれば、容易く超えられる数字だろう。

「山之辺さんが、これまでの実績を、最も高く売りたいということであれば、美月林業は、非常に魅力的な転職先だと思います。」

阿部は、正直に、山之辺に語った。

「ありがとうございます。光栄です。」

短い言葉で、山之辺は礼を述べた。仮に、山之辺が、美月林業に対して、3000万円の年俸を条件に出した場合、人材紹介会社の成功報酬を30%とすれば、バリューフェス・キャリアは、美月林業から900万円の人材紹介成功報酬を得られることになる。

これは、日本の人材紹介会社の成功報酬としては、途方もなく高い金額だ。

しかし・・・。

山之辺は、思っていた。今、目の前にいる、阿部は、単なる中小企業の人材紹介会社の社長ではない。

阿部は、株式会社バリューフェスの、トップセールスから叩き上げた、有力な次期社長候補の取締役だ。株式会社バリューフェスの面接を受けた際、面接を担当した、営業システム部長水谷隼人から、阿部の情報を聞き出していた。

こんな人物が、たかだか、900万円の成功報酬を得るために、わざわざ、自分で企業の面接に同席したりするはずはない。

山之辺は、そう読んでいた。

面接をした水谷の態度から、水谷は、山之辺の面接を、阿部から無理にさせられたらしい、と、山之辺は気付いていた。

そうだとすれば、バリューフェスに自分を採用したいと考えて、バリューフェスの面接の仕掛けをしたのは、阿部自身ということになる。

人材紹介会社の仮面をかぶり、まず、美月林業という、山之辺の前職の競合会社の、取締役人事部長に面接をさせたのは、山之辺の実力を、美月林業がいくらで買うかを試したのだろう。

阿部の狙いは、自分を、美月林業に紹介することではない。美月林業は、単なる「当て馬」として、阿部に利用されただけだったのだ。

阿部は、自分が次に打つ事業の、次世代の部下を探しているのだ・・・。

こう、考えれば、阿部が、多忙な時間を割いて、美月林業の自分に対する面接に同席した理由も、すっきりと理解できる。

一方で、山之辺は、冷静に、この阿部の動きを、水谷との面接を通じて、注意深く探っていた。そんな山之辺が、興味を持ったのは、阿部の持つ、戦略的な行動と思考力だった。

山之辺は、確かに、積山ホームのトップセールスマンに昇りつめた。

しかし、その驚異的実績も、個別の商談に向き合ったときに、紡ぎだされる戦術の集積の結果に過ぎなかった。

顧客を積極的な営業行動で追い込み、その建築に対する本気度を測る。

本気の顧客だけにターゲットを絞り、顧客の条件を徹底的にヒアリングし、分析する。

所有する敷地や買い換える不動産の条件、家族構成や将来の生活設計、資金力・収入や借入能力。

この聞き取りから、物理的に自宅を建築できる顧客だけを割りだし、更に顧客ターゲットを本気の層だけに絞り込んでいく。

競合他社の、どこが、自分と並行して提案をしているかを探り出す。

そのターゲットに対し、自社が持つ能力が、競合他社に対して、最も差別化できるプランニングを創り出し、競争力ある価格で提案を進め、一気にクロージングして契約をとる。

このような、極めて合理的な商談行動を、どこの競合にも負けないスピードで行うため、社内での設計部門や、下請け会社の社長、インテリア部門との連携を作り、勝ち続ける。

絶対に競合に勝つという強い心理に裏付けられた、極めて戦術性の高い行動が、山之辺の、これまでの勝ちパターンだった。

注文住宅営業という仕事は、様々な営業の仕事の中でも、その営業マンが持つ、総合的な商談力と、社内の専門職や下請けとの協力を動員できる力を、最大限に試される仕事だ。

営業マンの持つ、裸の実力がはっきりと結果に現れ、実力が伴わずに負け組になって会社を去る者が、後を絶たない、激しい職業であった。

山之辺の輝かしい実績は、競合他社の敗残する営業マン達の「屍の山」の上に作られたものだった。

このような、敗者の血が流れるゼロサムゲームの現場で勝つことが、山之辺は、堪らなく好きだった。仕事をきついと思ったことは、一度もない。

このような、戦場での、勝ち負けから編み出される勝者の快感の中で、山之辺があえて、転職を決意したのは、そこに、戦略的な行動が伴っていないことへの、不安感だった。

次々に直面する戦場で、勝ち続けたとしても、そこには、「終わり」はなかった。

どんなに、輝かしい業績を月末に創ったとしても、翌月の月初は、また「ゼロ」からのスタートだった。

自分が勝っている戦場の各々の現場の様子を、遥か上空の彼方から鳥瞰すれば、自分は、単なる将棋の駒と同じではないか?

どんなに、強い飛車や角行の駒であっても、この戦いの延長線の中では、将棋を打つ側の戦略家にはなれないではないか?

将棋の王将を目指すことではない。将棋を打つ戦略家を目指さなければ、自分の将来は見えてこないのではないか?

これが、積山ホームを数年で退職し、新たな職場を求めた、山之辺の本心だった。

その山之辺にとって、阿部の戦略的な行動は、極めて、魅力的に映った。

美月林業の神崎も、バリューフェスの水谷も、すべては、阿部の手の内の駒として動かされている。否、自分もまた、阿部の駒として動かされていたのだ。

山之辺を、美月林業になど紹介する気は、まったくないにも関わらず、時間をかけて、じっくりと、美月林業の条件とメリットを説明する、阿部を見ながら、山之辺は、阿部に、自分の中にはない、戦略家としての熟練の参謀の姿を観ていた。

「自分なら、おそらく、もっと、結論を急がせてしまうことだろう。」

山之辺は、そんな風に考えながら、阿部が、この後、どのように話を進めてくるか、に、強い興味を抱いていた。

「この漢の元で、働いてみたい。」

山之辺は、今、阿部の話を聞きながら、そう考えていた。

阿部は、今、山之辺のアタマの中の思考の時間をとらせるかのように、じっくりと、時間を空け、溝口に淹れさせた、上質のコナコーヒーをゆっくり味わった。

コーヒーカップを皿に置くと、阿部は、今度は、一気に、本題に話を進めた。

「しかしね。当然のことかもしれないけど、あなたが、もし、これまでの住宅営業の実績を最大限に活かしたいと思っていたなら、何も、積山ホームを退職などしていない。

そうでしょ?」

「これまで、私が会ってきた、セールスから転職を希望するヒトは、みな、負け組だった。

当たり前だよね?

営業の勝ち組は、普通、その企業から転職などしないから。

もっともらしい転職理由を並べるけど、営業職から転職をするヒトというのは、その殆どが、営業の負け組だ。

営業の負け組ということは、イコール、ビジネスの負け組だ。

だから、営業で転職をするヒトが、一番、転職できない、というのが、人材紹介の業界の常識だ。

当たり前だよね。どこかの企業で負けた人材が、次の企業で勝ち組になることなど、殆どない。

世の中に奇蹟なんて起きないんだ。

どこの会社の人事も、そんなことはよく分かっている。だから、企業の花形の営業職というのは、人材紹介業界では、一番、“売れない商品”だと言われている。

どうかね?同意するかね?」

阿部は、これまで山之辺の前では見せたことがない、激しい言葉で、山之辺に迫った。

「成るほど。勉強になります。」

山之辺は、無難な言葉で、阿部の次の言葉を促した。

「だから、あなたが、住宅業界に入るはずがない。そんなことを、わかっていないで、転職を無闇にするほど、あなたは世間知らずの愚か者ではないと、私は観た。」

「そこで、これから、次に私が話すのは、次の選択肢。バリューフェスだ。

こちらの話を、私は人材紹介会社の社長としてするのではない。バリューフェスの取締役として、オファーするんだ。そう思って、聴いてもらいたい。」

山之辺は、コーヒーを一口飲み、阿部に無言で、話を促した。

それから、約1時間。

阿部は、バリューフェスにおける、阿部が仕掛けている新規事業に関し、丁寧に山之辺にプレゼンをした。勿論、大井川社長の一人息子である、茂の指南役としての役割を、山之辺が担うことも。

転職編 第4話「出発」

山之辺は、阿部の目をまっすぐ見据えて、阿部のプレゼンを聴き続けていた。

1時間、話を続けても、阿部の言葉に、全くの淀みが見られない。

思いつきで語っているビジネスプランではない、と山之辺は、感じた。

考えて、考えて、考え抜かれたビジネスプランであろう。

阿部の話が終わると、山之辺は、口を開いた。

「2つ、質問をさせてください。」

阿部は、目で、山之辺の質問を促した。

「この計画は、バリューフェスさんが、通信の商社として、これまで構築してきた、膨大な国内の中小企業の顧客を対象として、海外進出に特化した、進出コンサルティング事業を構築するという、計画ですね。

阿部取締役も、水谷執行役員も、素晴らしい能力をお持ちの方だと、思います。

しかし、その下に、私、というのは、どうしてなんでしょうか?

御社であれば、一流の総合商社や、外資系コンサルティング会社から、いくらでも優れた語学力と海外ビジネスに精通した人材を引き抜けるのではないでしょうか?」

阿部は、大きく頷いた。

「勿論、そういうリサーチも、ここまでしてきたんだ。ただ、残念ながら、そういう人とは、私の考える年齢条件があわなかったんだ。

私が見込んだ実績が高い人は、みんな、30代以上だった。

茂くんは、まだ24歳だが、なかなかにして、負けん気が強い。お父さんの大井川社長に、よく似ている。

この茂くんには、できれば、1歳か2歳年上の、それでも、圧倒的な実績と実力の差を見せつけられる人物が当たるのが、よい。

加えて、もう一つ。

次の仕事の舞台は、アメリカや欧州などの先進国ではない。アジアやインド、中東、アフリカなどの新興国だ。

経験が通じる国ではないし、英語といったって、アメリカ英語がそのまま通じるわけではない。

それよりも、若い精力と、闘争本能に突き動かされる人材が必要なんだ。

そう思って、ヒトを探し続けていた。そこに、現れたのが、あなただった。

それで、あなたを見込んだ。」

阿部は、強く熱い熱のある言葉で、山之辺に語った。

「そうですか。私は、英語をろくに、仕事では使ったことはありません。学生時代の受験のTOEICで、700点程度のスコアーを持っていますが、それでは、使い物にならないのではないでしょうか?」

阿部は笑った。

「そんなことはないさ。

私なんて、TOEICなんて、からっきし、受けたことはない。

英語が、ペラペラの、あなたの上司になる、水谷さんが、言っている。

あなたの、数年前のTOEICのスコアーがあって、プラスして、あなたの努力家としての素質があれば、英語力は十分、これから身につくだろうとね。水谷さんが、あなたを特訓するだろう。

あとは、海外の現場で、実践あるのみ、よ。」

阿部は、嬉しそうに笑った。

「わかりました。もう一点、質問させてください。私の、年俸の条件に関することです。

美月林業よりも、はるかに低い800万円とのことでした。御社では、それが最大限の条件だということも、理解しました。

ただ、前職の積山ホームでも、私のボーナスまで含めた年収は、1000万円を超えていました。

従って、800万円の年収という条件は、私としては、かなり下がることもご理解ください。

そこで、ご相談です。

バリューフェスでは、副業は、認められますか?もし、副業を認めていただけるなら、この800万円の条件で結構です。

いかがでしょうか?」

阿部は、一瞬、面食らった。さすがの阿部も、この山之辺の質問は、想定していなかった。

待てよ・・・。
阿部は、感じ取った。

これか、山之辺の本当の狙いは・・・。

バリューフェスの就業規則では、本業以外の収入を伴う仕事を行う際には、会社の承諾を必要としていた。

承諾と言っても、事実上、そのような承諾を過去にしたことは一度もない。バリューフェスの営業現場の、激しいノルマと、その達成に対する強いプレッシャーの中では、社員は誰も、副業をしたいなどと、会社に申し出る勇気を持っていなかったからだ。

ただ、山之辺のケースでは、この申し出には、非常に合理性があった。会社が、自分の実力の程度の年俸を出せないのであれば、自分の力で、副業で稼ぎあげる、という発想は正しい。

バリューフェスもまた、昔のように、ヒトを使い捨てにできる時代ではなくなっていることも事実だ。

終身雇用を従業員に保証できる時代でもない。

そうであれば、バリューフェスとしても、社員の副業解禁を睨まなければならない時代であるはずだ。

山之辺であれば、副業を、十分、本業と両立させるだろう。そうであれば、実力があって、本業との両立ができる人材に対しては、副業を認める、という前例をバリューフェスに作る、これは、いいチャンスかもしれない。

阿部は、こう、アタマを巡らせた。

「わかった。私が、責任をもって、副業を承認するように段取りをする。任せてほしい。承認する手続きをとろう。

さて、あなたの二つの質問をクリアーしたけど、答えはどうなの?

来てくれる?ウチに?」

山之辺は、阿部の目をまっすぐに見た。

「承知しました。阿部取締役のお役にたてるように、尽力させていただきます。」

阿部は、山之辺の手を、いつも以上に強いグリップで、握った。

阿部の肩から、力が抜けたようだった。

「ところで、副業って、何をするつもり?
私には、教えてくれてもいいでしょ?」

山之辺は、微笑んだ。

「では、それは、今度、お酒の席ででも、ゆっくりお話しします。少し、長い話になるんです。」

阿部は、それを聞くと、大きな声で笑った。

「今度というなよ。今夜、あなたの予定が空いてるなら、今から奢るよ。
銀座に、上手い名護屋コーチンの鍋を喰わせる店があるんだ。付き合わないか?

あなたの、就職祝いだ。」

続く

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