ハワイ島カウコーヒーの農園から、希少珈琲豆を日本に輸入する

ハワイ島へのいざない

2011年の5月のこと。

その年の3月に、東日本大震災が勃発し、5月といえば、その2か月後。東日本大震災の影響は大きく、当時の日本は、自粛ムードに覆われていました。

当時、年商100億円を突破して成長をし続けていた、ベンチャー企業グループの取締役であった僕は、その経営メンバーの一人として、400人を超える従業員の生活と、グループ会社の存続に、頭を悩ませていた時でした。

僕は、その後、2017年に、この企業グループの役員を退任して、自分が投資して造った、URVグローバルグループのホールディングス会社 株式会社URVプランニングサポーターズの代表取締役に就任して独立します。2011年当時は、ベンチャー企業グループの取締役の仕事の傍ら、副業として、既に、飲食事業や経営コンサル事業・海外進出支援事業で、自分の事業を創っている途上にありました。

そんな中、副業の仕事の一つの案件として、あるクライアント企業様(建設会社)のハワイでの施工工事の監理をお手伝いすることになったのです。ただ、僕自身、本業の企業の取締役でしたので、その会社の業務ではない、副業側の仕事で、海外に自由に出張できるわけではありません。

そこで、ハワイ側に、その会社の工事監理の僕の仕事を助けてくれるヒトを探していました。ハワイと仕事で関係する、数名の企業の社長に、ヒトのご紹介を依頼し、ある社長のご紹介で知り合ったのが、ハワイ在住の日系人 Kさんでした。

Kさんは、アメリカでは取得が非常に難しいE-1ビザを保持されておられ、かつ、とてもアグレッシブな方でしたので、僕の仕事をお願いするには、最適でした。僕は、Kさんに、自分の仕事のハワイ側の仕事をお願いし、毎月、一定額の報酬をお支払いする関係になりました。

そんなKさんは、ホノルルに、ハワイ出身の白人の相棒と共同出資で会社を立ち上げ、地元のコーヒービーンズの販売を手掛けておられました。そのKさんが、日本の僕に、自分が取り扱うコーヒー豆を、贈ってくれたのです。

聴けば、ハワイ島の南部にある、カウ地方で栽培された希少コーヒーであり、日本では販売されていない、カウコーヒーというブランドのコーヒーとのこと。

飲んでみると、その味わいは、非常に豊かで、上品な癖のないものでした。

Kさんによれば、カウコーヒーは、ハワイ出身のオバマ大統領の大統領就任晩餐会で採用され、各国のVIPのもてなしに使われたコーヒーで、アメリカでは急速に、評価が高まって来たコーヒーであるとのこと。

そこで、僕は、このコーヒービーンズを生産する農家と契約し、その日本への輸入を独占的に行う権利を獲得できないかと、思い至りました。

当時、僕は、副業で立ち上げた飲食業で、高所得者層をお客様とする店舗を都内で8店舗展開し、経営をしていましたので、この店で扱うコーヒーをカウコーヒーに変更するとともに、それを国内の専門店に販売できないかと思ったわけです。

そのための農園視察と商談のため、僕は本業の仕事に有給休暇を取得し、Kさんとリアルでお会いすることも含めて、アメリカのハワイに向かったわけです。

ハワイ島 コナから車で5時間 ハワイ島南部のカウ地方へ

日本の成田空港を22時過ぎに出発するJAL便にのると、時差の関係で、その当日の早朝に、ホノルル空港に到着することができます。往路では一日得をし、復路では一日損をするのが、東京・ハワイの空路移動です。

ホノルル空港で僕を待ってくれていたKさんと合流し、国内線に乗り換えて、ホノルルのあるオアフ島から、ハワイ島に向かいます。

ハワイ島は、ハワイ諸島最大の島で、その最南端に位置しています。アメリカ合衆国最南端の領土がハワイ島です。

我々は、カイルア・コナにあるコナ空港に到着し、レンタカーを借りて、日本の四国ほどの大きさのハワイ島の南端を目指します。

ハワイ諸島は、北側から火山の噴火によって作り出された島ですので、最南端のハワイ島は、今、火山活動によって島が形成されている途上にあります。

最高峰で、ハワイ島の真ん中にそびえたつ、マウナロア山を迂回する形の道を走ると、そこは見渡す限りの火山岩の大地の真ん中を、道路が通っているのが、よくわかります。

東京を前夜の22時過ぎに出発し、ワイキキ空港に早朝到着して、その日の夕方に、ようやく我々はハワイ島の南部のエリア カウに到着しました。

カウ コーヒーフェスティバルへ参加し、農園で5日間滞在して、ハワイ島の大自然を満喫する

その日、農園主さんの歓待を受け、翌日から我々はカウの農園の視察と、カウで開催されるコーヒーフェスティバルに参加しました。

このコーヒーフェスティバルは、アメリカの各地で開かれる、ビジネスのためのイベントの一つです。日本では、「ビジネスのためのフェスティバル」というのは、あまり馴染みがないと思いますが、農協のような組織がないアメリカの農園は、コンシューマーユーザーへの直接のPRと、僕のような世界のバイヤーに対する商談のための場として、私設の展示会的なお祭りをよくやっているのです。

当時、僕は、商社事業の立ち上げを視野に入れて動いていましたので、国内外で、自分が輸出入できる商材を獲得することを目指し、様々な商材を観て歩いていました。

コーヒーは、自分が投資・経営する飲食事業の店で出すものとして、そして、日本への輸入の商材として興味があったのです。

そこで、このようなフェスティバルは、とても僕にとって商材を発掘する好機になり、その時機にあわせて、ハワイに入って来たわけです。

僕は、フェスティバルに出店する、様々な農園のコーヒーのテイスティングを行い、農園見学ツアーにも参加しました。

そして、ハワイ島に滞在していた数日間、島の農園でゆっくりとした時間を過ごしました。

カウのコーヒー農園は、同じハワイ島のコナの農園のような、商業農園ではありません。

一見すると非効率のように見えますが、広大な敷地にゆったりとした栽培がおこなわれていました。

ハワイ島は、中央にそびえるマウナロアの山頂が、世界有数の天文の観測地になっています。つまり、それは世界有数の空気が綺麗なエリアであることを意味します。空気が綺麗だからこそ、はるかかなたの微小の星が観測できるわけです。

その空気の綺麗さによって、カウ地方に降る雨は、なんと浄水しなくてもそのまま飲料水として飲めるのです!

この清潔な雨水と、清らかな空気、そして島を今でも創造し続ける火山から噴出した溶岩による土壌が、カウ地方のコーヒーの清らかな味を作っています。

広大な農園は、ハワイ諸島で撮影されたジェラシックパークの景色そのもので、そこに恐竜のかわりに、放牧されている巨大な牛が、のんびりと草を食んでいます。

農園のジープが近づいてゆくと、餌を積んでいることを知っている牛たちに、ジープが囲まれて立ち往生をしてしまいます。手に餌を乗せて牛に差し出すと、牛たちは、僕の手ごと、ベロベロと巨大な舌で、餌を僕の手から舐め取り、僕の手は牛のよだれだらけにされてしまいます。

この牛たちの糞と、コーヒーの殻を混ぜただけの肥料で、カウ地方のコービーは育てられており、農薬などは一切使用されていません。

究極のオーガニック食材が、ここのコーヒーなのです。

夜になると、周囲に人家もまったくない農園の中のコテージで、農園主さんが巨大なステーキと、農園で採れた野菜のサラダと、そして農園でとれたコーヒーで、もてなしてくれました。

日が沈むと、灯りが一切なく、遠くキラウエア火山が噴火する噴煙が、真っ赤に夜空を焦がす姿だけが観えます。

ハワイの原住民たちが、火の神ペレが住むと伝説を残したキラウエア山は、近づく男を、情熱の火で焼き殺すという女神ペレの、怪しくも色っぽい乱舞を連想させる光を放ちます。火山の噴火だけが、満天の星空を妖しい光で染めます。

僕は、そんなハワイの農園で、数日間、俗世を忘れて、心と身体を清めました。

日本への輸入開始 ~URVグローバルグループ総合商社事業 初の輸入商材として~

この数日間、僕はハワイ島で骨休めをしながら、カウ地方のコーヒー農園のオ-ナーさんたちと、商談を進めました。

そして、カウ地方で、最も古く、優れた樹をゆったりと栽培する農園のコーヒーの、日本への独占輸入権を獲得しました。

コーヒーというのは、収穫をされる時には、赤い実です。

ハワイ島カウコーヒーの農園から、希少珈琲豆を日本に輸入する

これを天日に干し、焼いて、一般の消費者が買うコーヒー豆にするのです。

従って、本来は、赤いコーヒービーンズで輸入をし、日本国内で焼く方法が、最もおいしくコーヒーを入れる方法です。コーヒーは、焼いた瞬間から、酸化がはじまるため、焼いてから呑むまでの期間が長くなればなるほど、酸化が進み、酸味が増してきます。

日本人は、よく酸っぱいコーヒーを産地の特徴と勘違いをしていますが、そうではありません。酸っぱいコーヒーは、焼いてから呑むまでの期間が長くなっており、酸化が進んだコーヒーです。

しかし残念ながら、赤いコーヒービーンズというのは、輸入上「植物」扱いとなり、植物検疫が必要となるだけでなく、関税が大きくあがってしまいます。一方、現地で焼いたコーヒーは加工品となり、輸入手続きが簡易で、関税も大幅に下がります。

日本で焼くコストもまた、現地で焼くコストを大きく上回り、かつ植物検疫という手続きによって、コーヒービーンズで輸入する期間が読めなくなります。

そこで、僕は、現地のハワイでコーヒーを焼き、それを航空便輸送で日本にいれることにしました。大手の商社は、ロットをまとめて、船便で輸入するため、輸送期間が長く、日本で飲むと酸っぱいのです。

僕は、コーヒーを焼くコストや関税コストを抑え、そのかわりに、輸送コストを大きく割いて、航空便輸送を選択し、焼いてから1日で、日本に輸入できる戦略で、物流ルートを構築しました。それによって、上質な豆を現地で呑むのと、同じ水準の酸化が進んでいないコーヒーを、日本で使用することができるようになったのです。

総合商社事業のご紹介

生産、貿易、物流、そして販売。
世界が求める製品の六次化や開発発掘に取り組み、それを求めるエリアの人々に、紹介して、届ける。それが、総合商社事業です。

URVグローバルグループ 総合商社事業

日本はもちろん、この地球上のエリアには、まだまだその地域でしか売られていない、埋もれた価値ある商品がたくさんあります。
そして、また、これらの商品を生産する活動こそ、人類の文明の原点ともいえる、価値ある営みに他なりません。

一次産業・二次産業・三次産業に総合的に取り組む、六次化を目指す総合商社として、URVグローバルグループは、未来における世界の人々に、高い価値を創造し、これをお届けし続けます。

地果て海尽きるまで進出を続ける、熱いアントレプレナー精神をすべてのグループメンバーが胸に抱き続けながら、URVグローバルグループは、総合商社事業を力強く進めて参ります。

URVグローバルグループの総合商社事業 詳細はこちら

カウコーヒーは、僕が当時、展開していた飲食事業の各店舗での、コース料理の、食後のコーヒーとしてお客様の絶賛をうけ、かつ、特約のコーヒー専門販売店や、コーヒーを自慢にするこだわりの店に、直接卸すルートを開拓し、僕の輸入ビジネスの、大きな収益源に育ってくれました。

このカウコーヒーのビジネスが、今の、僕の総合商社事業の原点にスタート地点になっています。

続く

本稿の著者

松本 尚典
URVグローバルグループ 最高経営責任者兼CEO

松本 尚典

  • 米国公認会計士
  • 総合旅行業務取扱管理者

日本の大手メガバンクから社費留学で、米国の大学院に留学し、MBAを取得。
その後、ニューヨーク ウオール街で、金融系経営コンサルタントとして11年間、活躍する。米国公認会計士。
リーマンショックの前年、2007年に日本に帰国。
その後、自身で投資する企業をグループとして、URVグローバルグループのオーナー最高経営責任者に就任。現在も、世界各国の事業で活躍中。
URVグローバルグループでは、ニューヨークオフィスを開設し、日本企業のアメリカ進出支援事業を行っている。また、個人事業として、ハワイの希少コーヒーの対日独占輸入権も保有し、商社としての事業も継続している。

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