飲食事業成長軌道編 第2話「来日」

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再び、沖縄恩納村のリゾート

山之辺伸弥と奈美が、東洋ヒルズ沖縄リゾートで、濃密なはじめての夜を過ごした翌日の午後。

5月の沖縄中部地方の季節は、既に夏。ゴールデンウィークが過ぎ去った平日のこの高級リゾートでは、滞在して過ごすヒトの姿もまばらに散らばる。

全室スイートの東洋ヒルズ沖縄リゾートの各部屋に備え付けられたプールには、満水の水が張られ、沖縄の紺碧の空を水面に映し出している。

山之辺と奈美は、東洋ヒルズ沖縄リゾートの表玄関が見えるメインロビーで、トロピカルドリンクを飲みながら、一台の車が到着するのを待っていた。今日の奈美は、水色で半袖のカジュアルなドレスを纏っている。

車寄せに、送迎のロールスロイスのリムジンが到着した。

クルマから降りてきたのは、ニューヨークのWwWコンサルタンツの松木陽介と、10代の初々しい女性、京都の上七軒の舞妓 知子。知子は、白いスーツをまとい、京都の花街の女らしく、松木より三歩下がって、クルマから降りて歩いてくる。その前を歩く松木は、バーバリーのスリーピースのスーツをまとっていた。二人の姿は、普通の沖縄のルゾートに遊びに来る観光客のスタイルとは、かなりかけ離れている。

松木が所属しているWwWコンサルタンツは、20世紀後半に、世界の覇権がアメリカに移る前に、世界の経済の覇権を握り、七つの海を制覇して、世界の金融の中心に位置していた、ロンドンのシティに総本社を置く、英国資本のコンサルティング会社である。そのため、松木は、ニューヨークのブランのスーツではなく、ロンドンのブランドである、バーバリーを愛用していた。

最近、カジュアル化したウオール街のオフィスの中で、WwWのコンサルタントたちは、英国流のジェントルマンスタイツのスーツに、一分の隙もないほど、身を固めているのが特徴なのだ。そんな松木が、仕事の途中で沖縄の那覇空港におりたち、中部のリゾート地に来たものだから、ここでは、かなり異質に見えるのは当然かもしれない。

松木は、ニューヨークから、ちょうど香港への出張があり、この前日に、東洋エリアでの出張日程を終わらせていた。松木は、香港出張から日本に回り、日本のクライアントの業務をこなして、スピーディーにアメリカに帰国をするのが、常であった。

今回の出張でも、香港から関西国際空港に入り、京都にある老舗企業のコンサルティングカンファレンスを、前日まで行っていた。今の松木は、そこで一日予定を空け、京都に行く度に、舞妓の知子を座敷にあげて、粋な遊興を楽しんでいた。

今の松木は、知子を水揚げした、いわば知子の「旦那」にあたる。

封建時代の風習を今に残す、京都の花街 舞妓の世界には、結婚が存在しない。一見(いちげん)お断りの富裕層だけを相手にする世界。途方もない財力を持つ男が、舞妓を水揚げし、旦那と呼ばれるようになるが、ほとんど旦那は、勿論、妻帯者である。

松木は、旦那衆には珍しく独身だったが、この京都の伝統的な制度に興味を持っていた。アメリカのニューヨークで、合理主義と資本主義の極致の世界で動く松木は、一方で、日本の京都の伝統的・封建的な風習の中に、自分の精神の均衡を保つ世界を見出していたのである。

一方の知子は、京都生まれではなかった。新潟の旧家に生まれ、子供のころから、日本舞踊や茶道・華道・お琴などの習い事を続けていた。高校を卒業するにあたり、知子は大学に進学せず、京都の置き屋に入り、舞妓の修行をはじめた。

京都の五つの花街の中で、最も格式の高い上七軒の置き屋が、知子の芸に目を付け、知子を舞妓に育てたのである。

そしてあるとき、上七軒で、お茶屋の段取りで、舞妓をあげた松木の座敷に初めてあがった。

それから時々、松木は、京都に立ち寄り、知子に会いに来た。京都には、時折、欧米人の来客があるが、松木は純粋な日本人で、ニューヨ-クの外資系コンサルティングファームの腕利きのコンサルタントだった。まだ年齢は30代だが、その財力は京都の花街という、日本で最も高価な遊びを、日常的な感覚で続けられる程に保有していた。

その松木を、上七軒のお茶屋が最上位客と認め、松木のお気に入りの知子との水揚げの段取りをした。

舞妓の水揚げは、京都の花街で情報公開され、結婚式のような華やかな祝いを行う。そして、水揚げのあと、旦那は京都の花街では、他の舞妓をあげることが許されなくなる。

東京銀座の高級クラブの永久指名制は、この京都の花街のしきたりを採り入れた制度であった。

一方、知子は、その世界を駆けまわる、松木の男としての活力に惹かれた。閉鎖された京都の花柳界という街に生きる知子にとっても、松木の座敷は、その世界に広がる松木の活力に触れ、知子の精神の均衡をとるのに役立った。知子は、10歳以上年の離れた松木に、素敵な兄に対するような好意を抱き、それが置き屋に隠れて、松木に密会し、抱かれることによって、徐々に恋心に育っていったのである。

こうして松木と知子は逢瀬を重ね、松木は、お茶屋から置き屋を通して、正式に知子を水揚げしたのである。

これが、松木と知子の馴れ初めであった。

山之辺と奈美は、玄関に松木たちを迎えにでた。

「松木さん。ようこそ、沖縄へ。
知子さん、はじめまして。松木さんにお世話になっております、山之辺伸弥と申します。

こちらは、私が銀座に経営する日本料理花月の従業員で、奈美と申します。」

カリブ海のクルーズで焼けた顔をほてらせた松木は、ニューヨークのウォール街に籠って仕事に明け暮れているとは思えないほど、よい顔色をしていた。

「山之辺くん。ニューヨ-クに来ていただいた以来だね。今回は、こんな素敵なリゾートにご招待をいただいてありがとう。

奈美さん、初めまして。松木陽介です。

奈美さんの美貌とお噂は、いつも山之辺君から聞いていますよ。今回は、銀座花月の店長になられるということで、おめでとうございます。

さて、こちらが京都の上七軒で舞妓をしている知子です。」

京都では、舞妓として白塗り素顔を見せることがない知子も、今日はジーンズがよく似合う、普通の18歳の初々しい乙女であった。

松木が、今回、山之辺に東洋ヒルズ沖縄リゾートに招待をされ、山之辺に京都の知子を伴っていきたいという申し出をし、山之辺も奈美を沖縄に伴っていくことにして出来上がったのが、今回のリゾートの旅行プランであった。

夕日が、東シナ海に沈みはじめる時間。

その日のウェルカムディナーは、山之辺が鉄板焼きの店を貸し切って行われた。

鉄板焼きのカウンターの後ろには、遥か眼下に東シナ海を望む雄大な景色が広がる。沖縄出身の健康的な肌の色をしたシェフが、鉄板焼きカウンターで、鮮やかな手つきで沖縄の素材を調理してゆく。

奈美は、背中が大胆にわれた真っ赤なドレスを身にまとい、一方、知子は紫陽花をあしらった和服をまとっている。二人の花鳥は、男たちに美の覇を競っているかのようだ。

スパークリングワインのボトルでの乾杯が終わり、白ワインのフルボトルが開いたころから、松木は、山之辺に、今回の旅行で知子を山之辺と奈美に引き合わせた意図を熱心に話しはじめた。

上七軒で舞妓を務める知子は、京都生まれではなく、新潟生まれである。高校を出た後に京都に来て、舞妓修行を行い、舞妓となったが、京都生まれではない知子にとって、芸妓の世界はなかなかに厳しい。

知子をお座敷であげ、水揚げをした松木は、今後の知子の身の振り方を知子と相談をしていた。知子は、祇園に小さい割烹料理の店を出したいのだと言う。

松木にとって、知子を舞妓から店を一店舗持たせる程度の出資は、造作がないことながら、知子が店を経営し、厨房を仕切っていくだけの能力を身に着けることに、大きな課題を感じた。

そして、松木は、山之辺が、奈美を店長に育て、そして神楽坂の芸子をしていた雪子を、バリューフェスの次期社長に決まった坂田将との仲を取り持ったうえで、坂田の出資で、今後、雪子に店を持たせる育成を引き受けていることを知った。

そこで松木は、山之辺に、知子を一旦、銀座花月で引き取ってもらい、山之辺と奈美に、割烹料理の店を仕切れる経営者として鍛え上げて貰えないか、という依頼を持ちかけた。

そこで、知子をともなって、沖縄に山之辺の招待をうけてやってきたのである。

事業戦略と組織戦略

山之辺の副業での飲食事業も、株式会社バリューフェスの海外事業の責任者への昇進という、本業における重責を、新社長の坂田から打診を受けた、この段階から、大きく前進を始めた。

事業とは不思議なものだと、山之辺は思っている。

よく、副業は本業に集中できなくなるという副業反対論がある。しかし、少なくとも、山之辺に関しては、そのようなことはなかった。本業が上手くいかないから、副業を行うという感覚も、山之辺には理解できなかった。更に、本業の収入が上がらないから、副業を行うなどという発想は、負け犬の貧相な愚策に思えた。

本業に全力を注ぎ、それが大きく躍進すると、同時に、副業も不思議と躍進する。どちらも事業の目標に向かっての、毎日の地道な努力の積み重ねの先に、ある時、大きく視界が開ける瞬間があって、それが躍進のチャンスになっている。

そのタイミングが、本業と副業で重なるのが不思議だ。山之辺の副業である飲食事業は、山之辺の実の姉である優紀の独立を助ける形でスタートした。これが、小料理の銀座花月の開業であった。

その共同経営者で、山之辺の姉の優紀が、結婚を折に、家庭に入るという段階がやってきた。山之辺の共同経営者である優紀が辞任をして、山之辺の単独経営体制が確立した。

これを機に、山之辺は、優紀が育て、自らの恋人でもあった奈美を、次世代の銀座花月の店長にすえ、厨房とホールの管理を奈美にまかせることに決めた。

そして、奈美とともに、花月のホールを運営してきた、バリューフェスの坂田新社長の愛人 雪子を、坂田の支援のチカラを借りて、これからイタリアに料理修行に旅立たせる。

雪子が無事に、イタリア料理を学んで帰国すれば、坂田と山之辺が共同出資で、雪子に店を持たせ、花月のイタリアン店舗の経営に入るという事業構想を、坂田と山之辺は立てていた。

表参道か、青山・六本木のあたりに、雪子に任せる店を出そうと、坂田と山之辺は相談をしていたのである。

そして、ここにきて、松木の愛人である知子に、松木が店を持たせたいという。知子を、銀座花月で引き取って、厨房とホールのノウハウを奈美の下で学ばせ、京都に出店する花月の京都店を、松木の単独出資で創り、山之辺が経営顧問・飲食コンサルティングの受注のカタチで、知子のコンサルに入る。

こうして、3店舗までの拡大の人的な柱の戦略が、山之辺には、今はっきり見えてきたのだ。

今、この休暇を山之辺が過ごしている沖縄の静かな時の流れとは裏腹に、東京のバリューフェスでは、副社長の坂田将が、日に日に力を拡大し、代表取締役社長就任に向けた株主への根回しや、就任後の組織イノベーションを進めているはずだ。特に、山之辺の上司であり、坂田の対抗勢力であった阿部洋次が、アメリカにおける新ビジネスの責任追及を受けている頃だろう。

来月、6月に開かれる株主総会では、坂田将の代表取締役社長の就任が、株主の多数によって可決され、そこからバリューフェスは、創業者である大井川秀樹時代から、実力派の生え抜き社長の坂田将時代に移行するはずだ。

阿部洋二は、取締役を辞任するか、さもなくば解任され、山之辺は、自ら松木を巻き込んで計画した海外進出事業の責任者として、事業部長に抜擢をされる。海外進出事業部門は、バリューフェスに柱の独立採算制事業部に移行する。

バリューフェスにおける山之辺の仕事は、いわば、ここからが本番となる。

一方、副業の飲食事業では、銀座花月を、姉の優紀のマネジメント体制から恋人の奈美に移行させるとともに、坂田の愛人である雪子をイタリアにインターンシップの料理修行に送り込み、そして、松木が水揚げした知子を銀座花月にいれて、独立創業の準備に取り掛かる。

山積された仕事と、重大な責任。

その向こう側には、事業の大きな成長を山之辺は、沖縄の夜空に浮かぶ満天の星空に、大きなグランドデザインを重ねて見詰めていた。

続く

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