ニューヨークウォール街ビジネス始動編 第1話「回顧」

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成田空港発、ニューヨーク JFケネディ空港行きのJAL便は、鮮やかな夜の滑走路から、ニューヨークへ向けて、14時間の長いフライトに飛び立った。

山之辺伸弥は、はじめてのニューヨーク行きの航空機の中で、エコノミーのアイルシートに一人腰を落ち着け、ゆっくり、上空に向かって上昇する航空機の機内を見回した。

ビジネスマンが、2割ほど、か。
観光に出かける夫婦や、友人同志で腰かける人たちも散見される。韓国のGLU+とのビジネスで行き慣れたソウル便に比べると、海外旅行やビジネスで、国際線の長時間フライトに慣れた乗客が多い様子だ。

株式会社バリューフェス 海外進出コンサルティングセクションを率いる、取締役の阿部洋次、執行役員の水谷隼人、そして、課長の山之辺伸弥の3名は、韓国GLU+との提携事業に継ぐ、次のビジネスの商談のため、ニューヨークに、今回、出張を決めた。

ニューヨークで訪問をする主な目的は、マンハッタンにオフィスを構えるWwWコンサルタンツの、シニアコンサルタントである松木陽介と、コンサルティング契約を結び、松木の提案してきているビジネスのディールを協議することにある。

山之辺の、前職の積山ホーム時代からの人脈である、松木が、山之辺を通して、バリューフェスに提案をしてきた、幾つかのビジネスの案件について、これまで、阿部・水谷そして山之辺は、テレビ会議を通して、松木から詳細なプレゼンを受けていた。

そして、今回、松木と直接会って、松木とコンサルティング契約を締結し、そのディティールを詰め、その案件の何に事業を進めるかを判断する。そのため、3人で、ニューヨークに飛ぶことになった。

韓国GLU+の案件とは、ケタが違う大きなビジネスになることが予想できるため、阿部も、水谷や山之辺とともに、直接、ニューヨークに入ることになったのである。

阿部と、水谷は、バリューフェスの出張旅費規定により、ビジネスクラスに席をとった。山之辺は、課長クラスであることから、一人、エコノミーシートに席をとった。

航空機が安定すると、機内食が素早く配られ、その回収が終わると、機内のライトは落とされた。

ニューヨーク便は、太平洋を横断するのではなく、ロシアの沖から、米領アラスカ上空に入り、カナダを東南へ斜めに通過し、アメリカ東海岸に向かうルートを通る。

アメリカ便に慣れている水谷は、出発前に山之辺に、アメリカでのビジネスや出張のコツを指導した。

「世界の標準時間は、ロンドンのグリニッジ天文台をゼロにしていることは知っているだろう? これを、グリニッジ標準時間、GMTと呼ぶ。世界の時間は、今でも、大英帝国の都 ロンドンを基準に動いているんだ。

日本は、ロンドンからみて、極東に位置する。日本の標準時間は、明石を基本にしていて、GMT+9だ。つまり、ロンドンよりも、一日の朝が、9時間早い。

山之辺課長が、行きなれた韓国もGMT+9だから、日本と韓国の間には、時差はない。
一方、アメリカは、国が東西に広いから、国内に激しい時差がある。

ニューヨークは、東部標準時間 Eastern Timeを使用している。そして、このEastern Timeは、サマータイムがある。今は、4月だから、サマータイム時間を使っている時期だ。そのため、今、ニューヨークはGMT-4だ。サマータイムのニューヨークは、ロンドンより、4時間、朝が遅いわけだ。従って、今は、ニューヨークは日本よりも、合計13時間、朝が遅れている。

ちなみに、3月から10月のサマータイム以外のEastern Timeは、GMT-5だ。だから、冬は、東京とニューヨークは、14時間の時差がある。

13時間時差というのは、日本の深夜0時が、向こうでは、前の日の午前11時ということだ。ニューヨークで昼飯を食べるのが、日本の深夜1時だと思えばいい。だから、ニューヨークに慣れていないと、最初のうちは、午後の時間に、睡魔が襲ってくる。逆に、夜は眠れない。

この時差のダメージで身体が参ってしまうんだ。

今回の航空機は、成田発21時過ぎの便で、ニューヨークまで14時間かかる。だから、ニューヨーク到着が、日本時間の午前11時で、ニューヨークの夜の21時だ。

JFケネディ空港で、入国手続きを行い、タクシーのイエロキャブで、マンハッタンに向かうが、ホテルにチェックインするのは、おそらく、深夜0時くらいになるだろう。

ホテルに到着したら、しっかり寝て、それで、翌朝には、ニューヨークの時間に身体をあわせることが重要だ。

飛行機の中は、ずっと外は夜だ。夜が明けない。外が暗いからといって、寝すぎると、ニューヨークの初日の夜に寝られなくなって、身体がついていけなくなるんだ。

だから、飛行機の中では、最終便を使って飛び、夜を飛び、向こうに夜に到着するほうが楽だ。仕事や読書をして、あまり寝ないこと。そのほうが、うまく身体が慣れる。これが、アメリカ東海岸に出張するときの、コツだ。」

山之辺は、この水谷のアドバイスに従って、暗くなった機内で、シートに身を沈めながら、寝ないように注意していた。そして、機内放送の音楽をイヤホンで聞きながら、過ぎ去った、過去に想いを馳せていた。

ニューヨークウォール街ビジネス始動編 第1話「回顧」

中明大学法学部を卒業し、積山ホームに就職をした山之辺は、入社後、同期の新入社員とともに、新人研修を3か月間、受けた。

松木陽介と、山之辺が最初に出会ったのは、この積山ホームの新人研修の時だった。

積山ホームは、住宅メーカー最大手の企業で、当時、三洋銀行の系列下にあった。新入社員の研修は、三洋銀行系のシンクタンク 三洋総合研究所が受けもっていた。松木は、その三洋総合研究所の経営コンサルタント職にあり、積山ホームを担当していたのである。

松木は、山之辺と同じ中明大学法学部を卒業していた。

そして、中明大学法学部教授で、後に、中明大学法学部長、続いて学長まで昇り、中明大学の経営に辣腕を振るった、永峯教授の、企業法ゼミを出身していた。会社法の改正の法制審議会にも加わり、企業法務に大きな影響力を持っていた永峯教授のゼミは、中明大学の名門ゼミであった。その永峯ゼミを出身し、永峯教授の三洋銀行への推薦を受けて入行した。圧倒的に、東大閥、慶應閥の学閥が暗然と支配すると言われる三洋銀行に、松木は、中明大学出身者のキャリアとして、異例の入行を果たした人物だった。

そんな松木は、三洋銀行の新入社員の中で、際立った個性の持ち主だった。

抜群に回転の速い、頭脳。
剃刀のように切れる、切れ味。
そして、誰に対しても物怖じをしない、自信に満ちた発信力。

そんな松木の圧倒的な存在感を評価した三洋銀行は、松木を、入社初年度で、三洋総合研究所に配属した。通常、シンクタンクは、銀行の中の、最高のエリート機関である。従って、三洋総合研究所に三洋銀行から出向するのは、銀行の支店で支店長代理まで務めた、30代の男性行員と相場が決まっていた。

積山ホームの新入社員の間でも、講師を務める、自分たちより1歳しか年が違わない松木について、「猛烈なエリートコースを歩んでいる三洋銀行マンなんだって」と噂が流れた。

松木は、三洋総合研究所に配属された直後から、積山ホームに担当に着任した。松木は、三洋総合研究所内で、積山ホームに対する重要なミッションを負っていた。

積山ホームは、三洋グループ随一の住宅メーカーであり、専用住宅物件だけでなく、資産家が運用する営業用物件の建築提案や、ビル物件の営業提案を得意としていた。

三洋銀行や三洋信託銀行では、総純資産10億円を超える個人資産家を、富裕層と定義していた。これらの資産家たちに、資産家ビジネスの対象にする銀行や証券、生保などの金融系企業は、営業担当者をつけて囲い込み、その資産の運用委託を獲得するためのコンサルティングにしのぎを削っていた。三洋グループでは、そのために、積山ホームを中核とした不動産コンサルティングで、他の企業と差別化を図ろうとしていた。

積山ホームの建築提案力と、不動産コンサルティング力、そして営業力は、三洋グループの資産家の囲い込みにとって、非常に重要な戦力と、三洋銀行は位置付けていたわけである。

「積山ホームの約10,000人の営業マンのうち、トップセールス100人を絞り込み、これに積山ホームの建築営業提案力を集中させ、不動産コンサルティング力を徹底的に鍛え上げて、最強の営業集団に育成すること。そして、この最強の営業集団に、三洋グループの最優良顧客を集中させ、他社との差別化をはかり、三洋グループの、資産家囲い込みの最前線の戦力とせよ。」

これが、三洋総合研究所が、若きコンサルタントであった、松木に与えたミッションだった。

かくして、松木は、入社1年目で大抜擢をされ、この三洋グループの重要なミッションを引き受けて、積山ホームの担当コンサルタントとなったのである。

そしてその翌年、積山ホームに入社してきた山之辺の前に、銀行系シンクタンクから派遣された講師として、松木が新入社員研修で立ったわけである。

これが、山之辺と松木の出会いだった。

山之辺23歳、そして松木は24歳。その燃えるような闘志を秘めた2人が出会ったのである。年齢差は、1歳であったが、松木は、積山ホームの大株主であり、最大の債権者でもある三洋銀行からの顧問として、積山ホームの取締役会にもオブザーバーとして出席できる立場にあった。

松木は、新入社員の営業研修の中で、その存在感と営業力が抜群だった山之辺を、すぐに見出した。積山ホームには、猛者の営業マンが多数おり、すでに、三洋銀行が教育対象とする、トップ100人を選抜して教育をはじめていた。松木は、その中に、山之辺を加えたのである。

松木が、積山ホームに持ち込んだ方法は、彼が、システム営業プロジェクトと銘々し、その後、住宅業界の教育の模範になる手法だった。松木は、トップ100人の営業マンの営業行動から提案、顧客サービスまでを徹底的にリサーチし、その中から、最も効率的に、建築の営業提案を進めるエッセンスを抽出し、それを、このトップ100人に、その秘技を標準化させる方法をとった。トップ営業マンの手法を、トップ全員に標準化させ、最強の戦力を生み出す建設営業マン集団の育成を目指したのである。

そして、松木は、この標準化の対象に、山之辺も加えた。

山之辺にとって、幸運だったのは、積山ホームの猛者の営業マンたちが、職人芸のように培ってきた提案法や、建築・金融・法務・税務・事業計画などに広範に及ぶナレッジを、松木が三洋銀行の力を背景にあぶり出し、それを、松木の能力で標準化をしたところで、積山ホームに入社し、松木に見いだされたことだった。

松木の指導を、山之辺は、砂地が水を吸収するように、吸い込んでいった。そして、山之辺の持つ、若いバイタリティを、積山ホームの仕事に、山之辺がぶつけたのである。

1年もたたないうちに、山之辺は営業の猛者である積山ホームトップ100人に食い込み、更に、これを追い抜いて、山之辺は、積山ホームのナンバーワン営業マンの位置を獲得した。

山之辺を抜擢し、創り上げたことで、松木の方法論を、積山ホームの幹部は、その方法の優位を認め、取締役会がこれを積山ホームの営業教育の柱として受け入れた。その後、松木は、積山ホームの顧問コンサルタントとしての実績をベースに、三洋総合研究所で手腕を認められ、様々なコンサル案件を任されて、仕事を広げていくことができるようになったのである。

松木の仕事が、山之辺を、積山ホームで躍進させ、その山之辺の躍進が、松木の三洋グループでの躍進を創り上げたのである。

そして、その翌年。

松木は、三洋銀行グループ5万人の社員の中で、毎年3名しか選抜されない、三洋銀行の社費留学制度の対象者に抜擢された。そして、松木は、アメリカ西海岸の名門ビジネススクールに留学するため、山之辺の前から、飛び立っていった。

その2年半後。松木は、MBAを取得すると、三洋銀行を退行し、イギリスのシティに本拠地を置き、世界150か国に展開する巨大会計事務所の1つ、WwWコンサルタンツのニューヨークオフィスと契約をした。

そして、山之辺もまた、積山ホームを退社し、バリューフェスに移った。

山之辺は、バリューフェスに入社すると、その挨拶のメールを、アメリカにいる松木に送った。これがきっかけになり、松木は、山之辺に、大きなディールの案件を提案してきたのである。

山之辺は、多くの乗客が眠った後の、暗い機内の中、これまでの松木と、自分の出会いと、経緯を想い出していた。

今の山之辺は、松木なくしては、存在していないほど、山之辺にとって、松木の存在は大きいものだった。

その松木とのビジネスを進めるため、今、松木がいるニューヨークに向かっているのだ。

山之辺の脳裏に、懐かしい松木の笑顔が、今、いっぱいに広がっていた。

続く

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