何故、「英語が一番苦手科目だった」僕が、アメリカで経営コンサルの仕事ができるまでになったのか?
この話を、僕のクライアントの経営者の皆さんにすると、必ず「うそでしょ?」と、言われるネタがあります。
「僕は、高校時代まで、英語が一番苦手科目でした。」という話。
留学前に、英検1級をクリアーして、「英語の司法試験」と言われる通訳案内士(現在の資格の名前です)を英語で取得し、銀行からの社費でハーバードビジネススクール(経営学大学院)に留学して、世界でもっとも権威のあるハーバード大学MBA(経営学修士号)の学位を授与され、米国公認会計士として、ニューヨークの会計系経営コンサルティングファームで仕事をした…。
この「可愛くない」経歴の僕が、「英語が一番の苦手科目」というと、逆に嫌味に聞こえてしまうのでしょう。
しかしながら、実はこれ本当の話なんです。
高校時代まで、僕の得意科目は、現代国語や、数学、世界史などで、
英語は、どちらかといえば受験でも「守りの科目」でした。
長文読解力も、英作文も得点源にはできず、更に、ヒアリングやスピーキングは苦手でした。
大学に入るまで、英語を、自分で得意だといえるような体験をしたことがありませんでした。
そして、大学を卒業するまで旅行は数多くしましたが、留学をすることもありませんでした。
自分の英語の勉強法が、完全に誤っていたことを悟った大学時代の出来事
そんな僕が、大学2年生のときにふとしたきっかけから、自分の英語に対する勉強のアプローチが、根本的に誤っていたことを悟ったのです。
その当時、僕は家庭の事情で、学費を自分で稼ぐ必要性があり、大学に通いながら、ある大手量販店企業の創業の代表取締役の「かばん持ち」の仕事をしていました。
いわば、社長秘書業務です。
その中で、その社長について、韓国のソウルに出張に行くことになったのです。
そして、ソウルで社長の通訳を務める韓国人男性と、一緒に仕事をする機会を得ました。
彼は、純粋の韓国人で、大学生になってから日本語の勉強をはじめ、仕事を始めて日本に初めて来たというのです。
ところが、彼の日本語は発音こそ外国人が使う日本語の発音ながら、ほぼ完璧な日本語を操っていたのです。
勿論、僕には彼の韓国語のレベルはわかりませんが、彼は韓国語のネイティブなわけですから、おそらく、韓国語は完璧なのでしょう。
そうすると、彼は日本語と韓国語の、完全なバイリンガルであったというわけです。
彼は非常に気さくな男性で、僕は、その彼と仕事を通して親しくなり、その後、何度も彼を訪ねて韓国を旅行し、彼に旅行の通訳をお願いしました。
いわば、彼が僕にとって、はじめて親しくなった語学のバイリンガルだったのです。
僕は、彼と交遊する中で、彼にどうやって日本語を習得したのか、を聞きました。
彼は、こう言いました。
「どんな言葉でも、まず、絶対に文法と、単語力です。
正確に、単語を使えるようにして、文法的に正しい言葉をつかえるように、徹底してこだわる勉強をするのです。
私は、どんな言葉を習得するときでも、とにかく、はじめに徹底的に文法を習得するのです。
ヒアリングや、会話などを感覚的に量をやっても、中途半端な言葉しか話せるようになりません。
日本人である松本さんとこうやって、支障なく話をして、松本さんから友達になって貰うには、正確な日本語が使えなければ、絶対に信用してもらえないのです。」
僕は、この彼の言葉にショックを受けました。
何故かと言いますと、僕が中学・高校を通して言われ続けてきた語学(英語)の習得法と、彼の話は逆だったからです。
- ヒアリングは、とにかく聞き流せ
- 読解は、量を読み、わからない言葉があっても読み進めること
- 留学して現地にいけば、英会話はできるようになる
- 大切なのは、文法よりも、「生きた英語」
こういった類の語学の習得法を、僕は、それまで聞き続けてきたのです。
隙間時間に英語を流し、移動時間にヘッドホンで英語ニュースを聴き、読解は速読をしようと読みとばす…。
このようなことを、中学・高校までやってきました。
しかしながら、それで英語ができるようになったわけではありません。
結局、英語が苦手科目になってしまいました。
ネイティブの話す弾丸のような英語は、当時の僕にとって単なる「お経」でしたし、口からでる英語は、挨拶程度の決まりきった言葉だけで、それ以上は、すぐに言葉が出なくなってしまう、という状態だったのです。
言葉というのは、単語とその並べ方や変化の仕方のルールによって成り立っているわけです。従って、単語力と、その並べ方や変化の仕方のルールを完璧に習得して、それを前提に、その使い方を、身体に徹底的にしみこませるしか、王道はないはずだ…。
この当たり前の事実に、僕は、バイリンガルの彼に出会って、はじめて気づいたのです。
かくして、この瞬間から僕は、徹底的に英語というものを、学び直そうと決意したのです。
僕が大学2年の時は、1987年。
ブラックマンデーが勃発しつつも、日本は、アメリカに継ぐ経済大国として、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界の注目を浴びた時期でした。
僕が、成功する道を歩くためには、英語は、最低限必須のスキルであり、それが使いこなせなければ、世界を股にかける活躍はできない、と、僕は考えていました。
こうして、大学2年生にして、「英語は苦手科目」と言い続けた僕は、自分の将来をかけて、英語の再チャレンジをはじめたのでした。
何故、通用する英語には、文法が重要なのか?
言葉というのは、単語とその並べ方や変化の仕方のルールによって成り立っているわけです。
従って、単語力とその並べ方や変化の仕方のルールを完璧に習得して、それを前提に、その使い方を身体に徹底的にしみこませるしか、王道はないはずだ…。
この当たり前の事実に僕は、バイリンガルの彼に出会ってはじめて気づいたのです。
しかし、このように書くと多くの方は意外に感じることと思います。
「だって、ネイティブは文法なんて知らないで、英語を自由自在に使っているじゃない。」と、こういう疑問を持つわけです。
そう、僕も英語が得意でなかった頃は、そう考えていました。
この発想がノンネイティブには、根本的に間違っていることを説明したいと思います。
まず、日本語で考えてみる
この記事を読んでいるのは、日本人(つまり日本語のネイティブ)の皆さんなので、日本語で考えてみたいと思います。
次のような質問に答えてみてください。
1.「彼女は、美しい」
この文を丁寧文に直しなさい
2.「彼女は、遊ぶ」
この文を丁寧文に直しなさい
日本語のネイティブであれば、即座にこう答えられますね。
2.「彼女は、遊びます」
では、ここで、質問です。
何故、1.の文を丁寧語にすると、語尾に「です」がつき、
2.の文では、語尾に「ます」がつくのですか?
丁寧文を即座に答えられた日本人でも、この質問には、即座に答えられないのではないでしょうか?
日本語というのは、丁寧文を作るためにその語尾の述語を変化させる言語です。
形容詞が述語にある場合、その丁寧文への変化は「です」となると、日本語の文法で決まっています。
一方、動詞が述語にある場合、その丁寧文への変化は「ます」となると、これも日本語の文法で決まっています。
これ、文法で決まっているのです。
従って、
「彼女は、美しいます。」
「彼女は、遊ぶです。」
こう表現したら、完全に日本語として間違いです。
日本語のネイティブは、この文が日本語としておかしいことは、誰でもすぐにわかります。
それはその人が、日本語のネイティブスピーカーだからです。
ところが、ノンネイティブにはそれが判りません。
ノンネイティブがそれをおかしいと自分で判断するには、日本語の文法の決まりを理解し、そのうえで、その決まりに従って文を使うトレーニングを、大量に積まなければなりません。
ではあなたが、次のような言葉を早口で話しかけてくる外国人を、信用できますか?
「私、あなた、尊敬してる、ね!
あなた、偉います!
私、あなた、日本、仕事、一緒、しです。」
おそらく、このように外国人から話されたら、大抵の日本人は、ドン引きしますよね。
仮にそのヒトが、どんなに日本語を早く話せたとしても…。
「私は、あなたを尊敬しております。
あなたは、すばらしい方だとお聴きしております。
是非私は、日本であなたと、仕事をご一緒させていただきたいと存じます。」
仮に、ゆっくりつかえながらでも、このように外国人から言われたら、日本人は、
「あなたの日本語は、とてもお上手ですね。」
と感心し、相手に胸襟を開くのではないでしょうか?
そして、もう一つ。
めちゃくちゃな日本語を早口でまくしたてる外国人に、僕が
「あなたの日本語はおかしいですよ。」
と忠告したとき、その外国人が僕にこう言い返したら、あなたはどう思いますか?
「日本語なんて通じればいいの。
文法なんて関係ないの。」
あなたは、きっと、
「日本を馬鹿にするな!」と言うでしょう(笑)。
文法を軽視するというのは、こういうことです。
ノンネイティブはネイティブと異なり、感覚的に言語の正しさを認識できません。
従って、正しい日本語を外国人が使うためには、まず文法で徹底的に正しい法則を理解し、そのうえで正しい法則に従って作成された文を、読んだり、写したり、書いたり、聞いたりしながら使えるトレーニングを積む必要があるのです。
ノンネイティブがその言語を正確に話し、ネイティブの信用を得るためには、トレーニングの前に、文法的な分解と理解の徹底が必須になります。
そうでないと、自分が使っている言葉が正しいのかどうか判断できないのがノンネイティブなのです。
例えば、以下の文の意味を皆さんは即座に理解できますか?
「いずれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやんごとなききわにはあらぬが、すぐれてときめきたもうありけり」
源氏物語の冒頭の一文です。
これ、間違いなく日本語ですよね?
でも、現代の日本人はこの文を、さーと読み流したら、その意味は正確にとれないでしょ?
源氏物語は、平安時代に執筆された日本の代表的文学です。
今から、1000年以上前、日本語は、このように文語で書かれていまして、既に、1000年のときを経た21世紀に生きる私たち、現代の日本人は、このような文語を一切、使っていません。
だから、理解できないのは当然です。
もう外国語と同じなのです。
我々は、古文のノンネイティブなんです。
この文の意味を掴み、読み書きをできるようになるためには、日本人ですら、古典の文法で文章を解読し、そのうえでトレーニングをしなければならないのです。
英語は、日本語と全く異なるインド・ヨーロッパ語族に属する言語です。
その構造は、日本語とまったく異なります。
文法の基本構造が同じ日本語ですら、時間が経過した古語を使えないのに、まったく異なる構造の言語が、感覚的に使えるはずはないのです。
これが、英語では文法を徹底的に、理解しなければならない理由です。
本稿の著者
URV Global Mission Singapore PTE.LTD President
松本 尚典
- 通訳案内士
- 米国公認会計士
- 総合旅行業務取扱管理者
大学卒業後、金融系大手シンクタンクで経営コンサルタント職を経験。その後、英検1級をクリアーして、「英語の司法試験」と言われる通訳案内士を英語で取得し、社費留学でハーバードビジネススクール(経営学大学院)に留学し、世界でもっとも権威のあるハーバード大学MBA(経営学修士号)の学位を授与され、米国公認会計士として、ニューヨークの会計系経営コンサルティングファームで金融系コンサルタント業務を経験。
日本国内の大手企業の役員の歴任を経て、URVグローバルグループのホールディングス会社 株式会社URVプランニングサポーターズ(松本尚典が100%株主、代表取締役)を2015年に設立。
同社の100%子会社として、日本企業の海外進出支援事業・海外渡航総合サービス事業・総合商社事業・海外の飲食六次化事業を担う、URV Global Mission Singapore PTE.LTD(本社 シンガポール One Fullerton)を2018年12月に設立。現在、シンガポールを東南アジアの拠点として、日本企業の視察・進出・貿易の支援を行う事業を率いている。