飲食事業成長軌道編 第3話「事業承継」

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新メニュー開発

山之辺と奈美が沖縄から帰っていてから、約半年が過ぎていた。東京は、その間に過去の日本では考えられなかったほどの暑い夏が過ぎ、そして、ようやく一息つける秋を迎えていた。

銀座5丁目のみゆき通りに面したビルの5階。山之辺優紀が社長を務める、株式会社花月の、第一店舗「銀座花月」。その夜も、店の看板の灯りが消えた後、厨房に奈美は残り、料理の試作に励んでいた。

奈美は、客をもてなすときに着ていた和服から、動きやすいジャージ姿に着替えている。客が、すべて帰った後のホールのテーブルに、山之辺伸弥が座り、奈美が出してくる試作の料理の試食を行っていた。

山之辺は、一皿食べるごとに、水で口に残る味を流し、メモをとり、次の料理を黙々と食べてゆく。

銀座花月は、社長である山之辺優紀の結婚が決まり、優紀の開店時に投資した株式を、弟である山之辺伸弥がすべて買い取って、優紀は、銀座花月の経営と厨房から引退することが決まった。

100%株主となることになった山之辺は、優紀を支えてきた奈美を、次の代表取締役に選任した。よって、この店は、秋には、優紀が引致し、奈美が経営する店となる。一年で、最もかき入れ時となる年末に向け、完全に奈美の体制が整うように、山之辺は逆算して、奈美が優紀の経営を承継するスケジュールをたてていた。

店の内装は、いまのまま維持しつつ、料理とその味・グランドメニューを、この機会に、一新したいと、山之辺は奈美に提案し、奈美は、いま、店が終わった後にも残って、新メニューの料理の開発に取り組んでいる。

優紀が花月を出すにあって、料理の修行を行ったのは、山之辺が行きつけだった都下の小料理 根室だった。優紀は、根室を独りで経営する板前の秋本豪について修行を行った。小料理 根室は、活魚料理を主軸とする割烹料理の店であったため、優紀の料理メニューは、活魚料理を主軸に構成していた。

奈美は、その優紀の料理を手伝いながら、活魚のさばき方や盛り付けを学んだ。

そして、それに加え、山之辺は、奈美を、銀座の京料理店 天海に、数か月の間、花月を休ませて修行に出した。味覚が鋭く、料理の基礎ができていた奈美は、天海の厨房で働きながら、京料理の味付けを再現できるようになっていた。

山之辺は、天海から戻った奈美と相談し、これまでの花月にはなかった盛り付けを行う器を新たに買いそろえた。これにより、今、銀座花月で、かなり本格的な京料理を出せるまでに奈美は成長していた。

いま、奈美と山之辺は、優紀が引退した後の、奈美の店になる花月の新メニューの構成の最終確認を行っている段階であった。

メニュー構成が出来上がれば、新しいメニューのデザインを外注することになる。

そして、京都で舞妓をしている、知子を修業で受け入れて当面のホールの戦力としながら、厨房での料理の修行をさせる。その間に、奈美が率いるホールの従業員の人事を固め、優紀から奈美への、花月の事業を承継させるというのが、山之辺の書いたストーリーだった。

奈美の造った料理は、その日、12品だった。試食の料理が、客のいなくなったホールの小上がりのテーブルに並べ終わると、奈美は、割烹着をとって、山之辺の隣に並んだ。

二人は、一品ずつ試食をしながら、味付けと盛り付けの確認をしていった。すでに、料理は完成段階に至っており、あとは、味の微妙な調整をすればよいと山之辺は思った。

「奈美ちゃん。
あとは、盛り付けにあう皿を買い足そう。それで、次は、料理のメニューのための撮影の段取りだ。

よくここまで、腕をあげたね。

素晴らしい、板前並みの料理に仕上がっているよ。」

奈美は、嬉しそうに微笑み、自分も、料理に手を伸ばした。

「造りながら、試食をしていたんで、もう食べたくなきなっちゃったかと思ったけど、山之辺さんの隣に座ると、また、食べたくなっちゃうね。」

箸を伸ばしながら、奈美は、付け足した。

「明日から、料理にあう器を少しずつ探して買い足すよ。優紀さんが、引退する日までには、写真撮影を終わらせて、メニューのデザイナーさんとの打ち合わせを終えないとね。

いよいよ、私の銀座花月の幕開けだね。」

奈美を頼もしそうに眺めながら、山之辺は、最終的に、姉の優紀との、銀座花月の株譲渡の交渉の段取りをアタマに思い描いていた。

株式譲渡

山之辺には、優紀から奈美に経営者を承継させるうえでは、やらなければならない大きな仕事が残っていた。

銀座花月は、創業時に、姉の優紀と、弟の山之辺が共同出資を行い、代表取締役である優紀が連帯保証をする形で、銀行から融資を受けて設立した株式会社が運営する店舗であった。

そのため、株式に対する出資は優紀が50%、山之辺が50%を出資していたので、山之辺には単独で、代表取締役を選任することができる過半数の持ち株があるわけではない。銀行から借入れた借入金は、すでに、繰り延べ返済によって、相当な額が減額されていた。問題は、優紀から、山之辺が、この株式を買い取る必要があることだった。

既に、結婚を決めている優紀に株式を保有されていたのでは、今後、オーナー問題が発生しかねない。山之辺は、この際、優紀から、銀座花月の株式を全額買い取るつもりであった。

しかし、銀座花月は、数年間で、借入金の元本を税引き後利益によって、スピード返済できるほどの純資産があった。そのため、優紀が出資した当初の資本金額を、大幅に超える株価を、山之辺が優紀に支払わなければならなかった。

山之辺は、今、その資金を、銀行から調達すべく、交渉をしていた。

このような形態の事業承継では、まず、株価を税理士に算定してもらい、その株価を譲り受け人が、譲り渡し人に支払わねばならない。姉弟だからと言って、これを怠ると、贈与とみなされ、大変な贈与税が山之辺に課税されてしまうのだ。

そのため、借入を起こしてでも、株価に相当する金銭を、姉弟間で支払わなければならない。

優紀は、自分の結婚という事情で、山之辺に店を任せることに、非常に心を痛めていた。そもそも、銀座花月は、山之辺が、姉の優紀の生活が成り立つようにと配慮して、姉弟で作った店だったからだ。弟にリスクをおわせて作った店を、自分が勝手にするからと言って、弟に背負わせ、更に、株価に相当する資金を銀行から弟に借りさせて自分に支払うということは、優紀にとっては、相当な心理的な負担だった。

できれば、自分に支払うお金を弟に出させたくないと思っていた。

しかし、逆に、山之辺の立場にたてみると、今後、株式を経営に携わらない姉に持たれることは、リスクだった。
姉に万一のことがあれば、義理の兄や、相続人に、花月の株式が相続されてしまう。このリスクは、極めて大きものだった。

優紀は、当初、結婚の話についても、この山之辺の気持ちを推しはかり、消極的だった。しかし、山之辺は、むしろ、優紀の結婚が、姉のためになるということで、結婚に賛成だった。

一方、山之辺の事情も、銀座花月の開店当初から、大きく変わっていた。

株式会社バリューフェスに転職したばかりの開店当初から、山之辺の同社内の実績も地位も大きく向上していた。現在、山之辺は、山之辺をバリューフェスに引っ張った阿部洋次に変わって、バリューフェスの海外事業部 事業部長に昇進していた。

6月の株主総会で、バリューフェスの代表取締役社長に着任したのは、坂田将だった。坂田社長の愛人となっていた雪子は、銀座花月から引退し、この後、イタリアに料理の修行に出ることになっていた。雪子が、無事にイタリアから戻って自分の店が切り盛りできるレベルになれば、坂田と山野辺は共同出資で、雪子のためのイタリアンに店を出店する計画をたてていた。

アメリカのウオール街から、外国人投資家としてバリューフェスの株式を買っていた松木陽介は、既に、バリューフェスの発行済株式の4%を取得する大株主となり、かつ、バリューフェスの海外事業部の顧問として、松木の後ろ盾となっていた。その松木の愛人である、京都の上七軒の舞妓 知子を、花月で受け入れ、修行をさせて、京都に松木と山野辺が共同出資で店を出すことになっている。

幾重にも武装された山之辺の副業飲食事業計画は、既に広大な事業構想をもって動き出す段階に入っていた。

したがって、山之辺にとって、銀座花月は、最早、優紀の生計のための店舗という個人事業を大きく超えて発展を遂げようとしていた。山之辺にとっても、結婚をして家庭に入ることを望む優紀と、別々の道を歩むべき段階に入っていたのである。

借入れを起こしてでも、山之辺は銀行から資金を調達し、優紀から銀座花月を100%買い取り、自由に事業展開する礎(いしづえ)を作るべき段階に来たと、山之辺は判断したのである。

事業というのは、ある段階を超えると、そのオーナーや経営者とは別の意思を持つ生き物のように成長をはじめる不思議な有機体なのである。

オーナー社長が創業した、よちよち歩きの企業が、いつのまにか大きく成長し、独り歩きをはじめ、オーナー社長に、「ついてこい」と語りかけるようになる、というのが、よい事業の本質的な姿なのである。

今、銀座花月は限りない成長をしようとして、創業者である山之辺に、逆に、ついてくるように求める事業体に成長をしたのだと、山之辺は感じていた。

クロージング

税理士が算出した株価をもとに、山之辺が、優紀の所有する株価を、優紀に打診すると、優紀は、二つ返事で、銀座花月を、山之辺に譲り渡すことに同意した。

優紀の実印が捺印された、株式譲渡契約書が、書留郵便で到着すると、山之辺は、銀行から借り入れた資金を、優紀の銀行口座に振り込み、株式会社銀座花月の株主名簿を書き換えた。

これで、山之辺は、株式会社銀座花月の100%株主となり、会社所有者として、会社の全部の事項を決定できる権限を獲得した。

そのうえで、山之辺は、本業で務める株式会社バリューフェスの代表取締役の坂田社長の同意をえて、株式会社花月の株主総会にて、自身を代表取締役に変更する決議を行い、株主総会議事録とともに、法人登記の、変更登記申請を行った。

東証プライム上場企業である、株式会社バリューフェスの海外事業部長の山之辺は、同時に、株式会社銀座花月の100%オーナー株主となり、代表取締役社長に就任したのである。

続く

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