ニューヨークウォール街ビジネス始動編 第2話「迷路」

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山之辺伸弥がエコノミー席に搭乗した、成田空港発、ニューヨーク JFケネディ空港行きのJAL便。その同じ便のビジネスクラス席に並んで、阿部洋次と水谷隼人は座っていた。

阿部は株式会社バリューフェスの取締役であり、水谷は執行役員である。バリューフェスの出張規定では、二人とも、海外出張の航空機移動ではビジネスクラスを利用できることになっている。ただ、水谷は、これまで、海外進出支援セクションの海外出張では、経費の節減目的と、移動時間中に部下とのコミュニケーションをとるため、エコノミー席に山之辺とともに搭乗していた。それが、今回は、阿部の指示で、山之辺と離れ、ビジネスクラス席に阿部と並んで座ったのだった。

「ニューヨークまで14時間かかるから、我々、年配の者は、身体がきついからね。」

阿部は、山之辺にそのように言い訳をして、会社の出張規定の通りに、自分と水谷の席をビジネスクラスにとるように、秘書役の溝口香里に指示して手配をさせた。

航空機が安定すると、ビジネスクラスとエコノミーの間にはカーテンがひかれ、ビジネスクラスには、まず、ワインやブランデーなどの酒が、チーズの盛り合わせとともに、キャビンアテンダントによってサービスされてゆく。阿部は、ビールを、水谷はスコッチの水割りを、それぞれ頼んで、二人は、眼下に離れゆく日本の夜景に、まずは乾杯をした。

水谷は、スコッチが回る前に、自分の時計を、GMT-4の、ニューヨーク時間に合わせた。

窓側の席に座る阿部が、時計をあわせおえた水谷に、ニューヨークの松木陽介から提案されてきた資料の打ち合わせをしたいと促した。この資料については、日本で、山之辺を含め、何度も打ち合わせを重ねてきたが、それをあえて、機中で打合せをしたいと阿部が言い出したのは、山之辺に聞かせたくない内容の協議があるのだろう、と、水谷は、推測した。

カマンベールチーズをつまみながら、阿部は、もう一度、ぱらぱらと、分厚い松木の提案をめくった。

WwWコンサルタンツの松木から、バリューフェスの海外事業提案として、提示されているビジネスプランは、Project Aと、Project Bの、2案があった。

松木は、山之辺から、バリューフェスの課題をヒアリングし、バリューフェスのIR情報をつぶさに調査し、そのうえで、バリューフェスの規模から想定すると、相当に大きな事業プロジェクトのスキームを、松木は、山之辺に向けて提案してきたのだった。

バリューフェスは、現在、連結決算の売上が400億円強の企業である。これに対して、松木は、Project Aで、採算計画上、売上高が50億円規模の事業を提案してきた。実現すれば、バリューフェスの売上高を、12%以上押し上げるビジネスモデルである。日本のメガバンクを出身する松木に、それが、バフューフェス程度の企業にどれだけのインパクトを与えるか、計算できないはずはなかった。

海外進出支援セクションが、最初に手掛けた韓国GLU+との提携事業では、売上高がようやく2億円に乗ったような状態だった。(韓国ビジネス事業に関しては、韓国クラウドビジネス編をお読みください。)
そこから考えれば、松木の描いたProject Aは巨大なビジネスモデルであった。

提案を受けた山之辺すら、最初は、ドルベースで記載された、この採算計画の為替の計算を、自分が間違えたのかと思ったほどであった。

「山之辺君は、積山ホーム時代、営業年商50億円を売っていた男じゃないか?
その君に出すには、このくらいのビジネス規模のスキームでなければ失礼かと思ってね。」

松木は、こともなげに、山之辺にそういった。

Project A スキームの概要

アゼルバイジャン エーロン社 カスピ海油田管理業務

  • エーロン社は、アメリカニューヨークに本社を置く世界7大石油資本の一社で、アグレシブな油田開発を行うことで有名な企業。
  • 松木は、米国公認会計士(CPA)として同社の監査委員の独立取締役を務める。
  • エーロン社は、3か月前、世界の油田掘削の目玉ともいえるカスピ海のアゼルバイジャン領海内で、アゼルバイジャンが国運をかけて行った新規油田掘削プロジェクトで、新規の油田の掘削に成功した。
  • この新油田は、日産15万バーレルの産出を可能とする、オイル業界で言う、「ジャイアンツ」油田であることが判明している。
  • EU欧州委員会は、再生可能エネルギー戦略を重視しつつも、過渡的なエネルギーの安定的な確保のため、ロシアの天然ガスを補う資源として、アゼルバイジャン及びエーロン社との間で、この油田の産出オイルを、5年間独占的に購入する契約を締結した。
  • この取引の原油売買金額は、シカゴ商品取引所の現物取引市場価格によって決済される。
  • この油田の操業には、莫大な業務が必要となる。エーロン社は、近い将来の、再生可能エネルギーへの移行を見据え、その業務の多くを、自社の人的な資源ではなく、外注によって賄うことを決定。
  • 松木は、エーロン社の取締役会に対し、油田管理業務の一部を、日本の株式会社バリューフェスに委託をする推薦を行うことができる。
  • この油田が、5年間、EUに販売するオイルの取引額は、1バーレル70ドルの価格を基礎として計算すると、日商1,050万ドル(対ドル為替相場を110円とした場合、日本円で1,155,000,000円。つまり、一日に10億円程度の売上高を計上する取引である。オイル相場の変動や為替の変動を想定しても、年商2500億円を少なくとも計上する油田となることは、確実と言える。
  • エーロン社が、バリューフェスに委託する業務は、この年商の2%にあたるコミッションで、委託する。すなわち、低く見積もっても、年間50億円以上のコミッションが、バリューフェスに入金されると予想する。契約期間は、EU委員会との契約期間内、すなわち、5年間に限定されている。
  • バリューフェスは、日本より、100名の業務スタッフを、アゼルバイジャンに派遣し、この業務を行う。その人件費や、旅費・管理などの固定経費の合計は、年間約10億円。
  • このバリューフェスのメンバーの教育や、管理は、松木が所属する、WwWコンサルタンツが遂行する。バリューフェスは、エーロン社から入るコミッションの10%を、WwWコンサルタンツに指導料として支払う契約をする。

これが、Project Aの概要だった。松木がバリューフェスに提案した資料には、上記のプランとビジネススキームが、詳細なアゼルバイジャンの油田の資料とともに、計80ページを超える企画書として、日本語で纏められていた。

つまり、松木は、バリューフェスに対して、エーロン社の独立取締役の立場で、自分の属するWwWコンサルタンツに、年間5億円以上の指導料を支払う条件で、最低でも5年間にわたる年間50億円の売上と、年間35億円の営業利益があがるスキームを提案していたわけである。

バリューフェスのグループ連結売上は、400億円を超えていたが、税引き後の最終利益は、年間60億円強であった。一部上場企業としての売上高では、バリューフェスは小型な企業であるが、売上高純利益率は15%と、抜群な高利益体質の企業であった。これに、もし、Project Aが、松木の提案通りの利益をバリューフェスにもたらせば、バリューフェスの税引後の最終利益は、一気に1.5倍に膨らむことになる。バリューフェスの株主価値は、飛び上がってしまうほど、この取引には、インパクトがある。

但し、松木は、同時に、Project B案を、バリューフェスに投げてきていた。

Project B スキームの概要

欧州における、水素ビジネス投資 エーロンエアー社の買収提案

  • Project Aは、大きな利益率をバリューフェスにもたらすも、これは、5年以上は継続しない。
    EUが、ここから、脱化石燃料化への道を歩むことは、既に既定路線であり、Project Aの終了は、同時に、5年後、バリューフェスの利益を大きく減退させるリスクを孕んでいる。
  • そこで、バリューフェスは、Project Aから得た利益を、5年後に、Project Aに代わる利益の源泉となるであろうビジネスに投資をすべきである。
  • エーロン社は、欧州の子会社として、欧州における水素ビジネスを進めるため、エーロンエアー社の株式を100%所有する。しかし、エーロン社は、既に、脱化石燃料ビジネスで、自立型電気自動車の投資を大きく進めており、水素ビジネスでは、アメリカにも、有力な企業に投資を進めている。そのため、選択と集中の経営戦略から、エーロンエアーの株式をM&Aで、売却することになる。
  • そこで、バリューフェスは、エーロン社からのビジネスの発表で上昇する株価を基礎に、5年分の利益に相当する175億円を証券市場から調達し、この資金で、エーロン社から、エーロンエアーを買収すべきである。
  • エーロンエアーのバリュエーションにおける企業価値は、DCF法(ディスカウントキャッシュフロー法)で、100億円と算出できる。ここに、エーロン社の暖簾の利益を50億円乗せて、150億円で提示すれば、エーロン社は、エーロンエアーを友好的に、バリューフェスに売るだろう。
  • 松木は、エーロン社の取締役であるため、バリューフェス側のM&Aのアドバイザー業務はできないが、WwWコンサルタンツから、別のアドバイザーをバリューフェスに送り込み、M&Aを成功させる支援を行う準備がある。WwWのM&A成功報酬は、株式売買金額の2%にあたる、3億円となり、これをWwWに支払う事。
  • バリューフェスがエーロンエアーを買収した後、松木は、エーロンエアーの顧問となり、欧州における人脈を駆使して、エーロンエアーのビジネスを成功に導き、5年以内に、エーロンエアーで継続的な利益を、バリューフェスグループにもたらすことを目標とする。

Project Bでは、その資料には、エーロンエアーの詳細な企業情報や、企業価値に関する数学的な計算資料が添付され、その企画書は、Project Aを遥かに超える、200ページを超えるものになっていた。

阿部は、この二つの提案書を、座席シートのテ-ブルに載せて、水谷に言った。

「まだ、山之辺くんには、言っていないんだが。水谷さんには、了解しておいてほしいことがある。

僕は、Project A案だけを採用し、Project B案は見送ろうと思う。それを松木さんに、今回、ニューヨークで直接伝え、松木さんには、A案だけの支援をいただくお願いをしようと思っているんだ。」

水谷は、アタマをシートの背につけて、上を向いた。そして、上向きの目線を戻さずに、独り言のように、語った。

「阿部取締役。それは、あまりに短絡的な選択だと思います。
上場企業の、我々、役員が行ってよい選択ではないのではないでしょうか。

A案は、確かに、5年間の間、バリューフェスに対して、相当大きな利益をもたらし、株主価値をあげてくれるでしょう。

しかし、欧州委員会は、はっきりと、A案のベースになっているアゼルバイジャンプロジェクトは、5年間を期限とする契約と言っていますし、松木さんも、我々に事前にそう言ってきています。

エーロン社からすれば、本来、A案の業務は、本来自社内で、人材を手当てして行えば、充分できる業務です。

それを、あえて、我々に年間35億円もの利益をとらせて外注するのは、5年後の契約切れが想定されている業務のために、100人の正社員を抱えたくないためです。

アメリカは、雇用に対しての企業の社会的責任が非常に重く、有期のプロジェクトで社員を抱えると、その後の退職金や継続雇用に対する責任が発生するため、これを回避する目的で、エーロン社は、これを日本企業に外注するのです。

我々としても、売上高50億円、営業利益35億円というプロジェクトを、5年間の期限で失うことを意味します。これをそのまま飲めば、5年後に、バリューフェスの業績は、この分の売上と利益をまるまる失うことになります。

それは、ゴーイングコンサーン(継続企業)としての上場企業が選ぶ道ではありません。

それで、松木さんは、あえて、B案に、その利益を投資し、5年後には、化石エネルギービジネスから、水素という脱炭素エネルギービジネスにバリューフェスが転換することを、セットで、提案をしてきているのです。

従って、我々は、利益を生むA案と、その利益を投資して未来価値を買うB案を、ともに進めるべきでしょう。」

阿部は、うんざりした顔を露骨に見せて、ビールを器に注いだ。

「水谷さん。
原油の油田ってものはね。別に、5年で、出なくなるようなものじゃないよ。

欧州が買わなくたって、別に、それを売る先はいくらでもあるさ。

ウチとすれば、SDGsなんてのは、門外漢だからね。水素エネルギーのヨーロッパの会社を買うなんて、そんなことは、とてもじゃないけれど、オペレーションできないじゃないか。100億を超える投資をして、それで、M&Aに失敗したら、それこそ、上場企業として、やってはいけないことさ。」

水谷は、目をつぶって、しばらく考えた。2人の会話は、そこでしばらく途絶えた。

航空機は、日本列島のはるか北を飛んでいた。航路を示す地図は、これから、極限地域にあるアラスカに伸びている。

二人の間に、重苦しい沈黙が続いた。
水谷は、重い口調で付け足した。

「阿部取締役。取締役は、A案の責任者として、韓国の大井川茂君を移動させて着任させるおつもりですか?」

阿部は、応えなかった。

阿部の応えがないことから、水谷は、自分の読んだ、阿部の考え方の筋が違っていないことを確信した。

バリューフェスの創業者である大井川秀樹の一人息子である大井川茂は、阿部が、次期社長候補として、日に日に実績と株主の評価を積み上げている、坂田将副社長に対する牽制の駒として、大井川秀樹から阿部に託された部下だった。

大井川秀樹が、社長の座を坂田に移譲しないうちに、阿部は、大井川茂の実績を積ませ、坂田への移譲を阻止したいと考えている、重要な駒である。

しかし、そのために、山之辺が韓国の財閥系企業GLU+との間に構築したビジネスモデルの実務部隊として、阿部が大井川茂を韓国の責任者としてみたものの、大井川茂は、韓国で、山之辺のプランにただ乗りしただけで、まったく実績をあげていなかった。

韓国に大井川とともに赴任した茂の部下の社員たちの間でも、茂の評判は芳しくなかった。

韓国で、だれも茂を管理する立場の者がいないのをいいことに、茂は、会社の出勤時間も守らず、かつ、午後も、早い時間から事務所から消えてしまうらしい。どうやら、ソウルでは、気ままに仕事をしているようだった。韓国語や英語の語学力も、一向に向上していない。

会社では、鬼のように仕事に厳しい大井川秀樹は、若い頃から、家庭と子供の教育を顧みていなかった。家庭では、茂に贅沢な暮らしをさせ、スポイルしてしまっていた。親の七光りに甘えた育ち方を、茂はしてしまったようである。

日本では、山之辺や、その下に配置した森隆盛が、休日もとらない働き方をして、次の新たなビジネスモデルの構築にいそしんでいたにも関わらず、大井川茂は、山之辺が創ったビジネスモデルに、うまうまと乗って、海外での気楽な仕事に、自由を謳歌しているようだった。

勿論、情報に鋭い山之辺課長が、自分の部署の中にある、このような不公正な状態に気づいていないはずはなかった。山之辺の仕事の質は、まったく変わっていなかったが、阿部と、山之辺の人間関係には、山之辺をヘッドハンティングしたころの親密さは、既に失われつつあると、水谷は、最近感じていた。

水谷は、そんな阿部と山之辺の、微妙な人間関係の齟齬をきたし始めたことを、内心で気にかけていた。

阿部は、そのような茂を、今度は、韓国ビジネスとは比較にならないほどの規模のProject Aの責任者につけ、その利益の大きさを誇示して、茂の実績を作り出す気に違いない。水谷は、そう読んでいた。

だからこそ、阿部にとって重要なのは、バリューフェスの未来ではなく、目先の利益の大きさなのではないだろうか。

年間35億円の利益を叩き出すA案は、坂田の実績に対して、茂の実績を作り出す「張り子の虎」としては、非常に効果的であると、阿部は考えているのだろう。

しかし、それでうまくいくとは、水谷には思えなかった。
このプロジェクトは、山之辺と、山之辺との信頼関係をもとにした松木が、すべて筋を書いている。

水谷は、まだ松木に、直接会ったことはなかった。しかし、日本の大手都市銀行の苛烈な競争に勝ち抜いて、アメリカ留学をはたし、その後に、世界最大規模で展開するWwWに入り、ほんの数年で、頭角をあらわすような漢である。その競争に勝ち抜く能力は、並大抵ではないはずだ。

松木は、底の知れない実力を持っている漢に違いない。

そんな漢が、大井川茂などのような人物を責任者にして、相手になるはずはない。

そして、それ以上に、このビジネスをバリューフェスにもたらした山之辺の実績を正当に評価しなければ、阿部に対する山之辺の信頼は、今回こそ、破綻するのではないだろうか。

今の海外進出事業セクションの実績は、すべて山之辺が創りあげたものである。その山之辺を評価せず、美味しい果実をすべて、大井川茂に持っていけば、茂を溺愛する大井川秀樹は満足かもしれないが、海外進出事業セクションは、終わってしまうのではないか?

大きな利益があがるビジネスに向かって、スピードをあげる部署が、いつのまにか、迷路に迷い込み、迷走を始めたことに、水谷は、今、航空機が飛行するアラスカの大地に流れる、荒涼な氷河を観るような、寒気を覚えていた。

続く

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