アメリカ東海岸は、「超」のつく、学歴社会
アメリカ合衆国は、駆け引きなしの「自由の国」です。それには、良い面もあれば、悪い面もありますが、世界一の自由の国であることは間違いありません。
自由の国であるという意味は、本人の選択で、勝ちに行く人生を送る自由もあれば、本人の選択で勝つための努力を怠り、落ちぶれる自由もあるわけです。
フエアー勝負の中で、勝ちに行く努力をして勝った人はかっこよく、勝つ努力を怠って負けた人はかっこ悪い、というのが、アメリカ社会の基本発想です。
負けたけど、かっこよいとか、負けたから可哀想というような、センチメンタルな発想を、アメリカ社会はしません。だから、当然のように、アメリカは、超がつく学歴社会になります。
トランプ支持者が「白人の低教育層」に偏っているというのは、ある意味、アメリカという国が、上記のような傾向の中で、疲れてきていることをよく表しているわけです。自分たちは、もともとアメリカに住んでいたアングロスァクソン民族の子孫なのに、海外からの移民が猛烈な努力をして、自分たちが負け組になってしまった・・・。そんな自分たちを、助けてくれる政治家がこれまでいなかったわけです。
そこを、トランプさんが利用しました。海外からやってくる移民を追い返せ! と、主張し、アメリカ社会の中で、かっこ悪くなったしまった白人たちを、自分の集票に利用したわけです。だから、トランプ支持者は、トランプさんが犯罪者だろうが、エリートたちから何と言われようが、トランプさんを支持し続けるわけです。
アメリカという国の、超学歴・超勝ち組優位社会の、大きな反作用が、トランプ現象なのです。
大企業の経営者に必須の、名門経営大学院のMBAという「資格」
トランプ現象が象徴するように、アメリカ社会の中には、「自由であること」の非情さに疲れがみえていることは事実です。
ただ、だからと言って、勝ち組の中の競争社会である企業の世界で、トランプ主義者が報われるかといえば、そんなことにはなりません。この原稿を執筆している2023年年末現在、今後、トランプさんが再度、大統領になる可能性が高まっていますが、かりにそのようになったとしても、アメリカの企業社会が大きく平等主義に舵を切るかと言えば、少なくても、2050年あたりまでは、そのようなことはないでしょう。
アメリカ企業は、依然、とてつもない学歴主義の世界であり続けることは、当分続きそうです。
このような環境の中で、アメリカの一定規模以上の大企業の経営者に就任するためには、名門経営大学院のMBAという「資格」が必須になっているのが現状です。
MBAというのは、正確には、経営学修士号のことですから、大学院を修了して大学院から授与される学位であって、日本でいう「資格」ではありません。そのため、授与する大学院によって、その取得難易度が、天と地ほど違います。ですから、どこの大学院のMBAでもよいわけでは全くありません。
アメリカ社会が一流と認めた大学院の学位しか、アメリカ社会では通用しません。
投資家からの信用をえるためにMBAは不可欠
企業の経営というものは、実際は、極めて実務的なものであり、現場における経験が経営者にとって重要であることは、日本でもアメリカでも変わりません。
それなのにも関わらず、何故、アメリカでは、「机上の勉強」であるMBAが、重要視されているのでしょうか?
その答えには、アメリカの企業における資金調達事情が関係しています。
日本では、起業家が事業を興す場合、自己資金に加えて、金融機関による間接金融に頼るのが普通です。日本では、起業の数が多くないため、政策金融公庫や銀行が、起業をする初期段階でも、資金を貸し付けてくれます。これは、経営者が、企業の貸し付けに個人保証をするという金融の習慣も寄与しています。
日本は島国で、債務者が日本からの出国をする際、航空機か船を使わざるえないため、出国が確実に記録に残る国です。そのため、経営者の個人保証から国外へ逃げられないという事情もあり、金融機関が、債権の担保として、人的保証である経営者の個人保証を求めると、かなり担保としての機能が高いという事情が、実績のない起業段階での、間接金融の機能を高めているのです。
一方、アメリカは、大陸国家であり、北と南が陸続きで隣国に接しており、記録なしの出国が容易に可能です。しかも、国が多数の州に分かれており、各州は独立した法律と政府も持っています。そのため、個人保証のような人的担保が機能しないという事情があります。そのため、アメリカの金融機関が、実績や資産のない起業家には、資金を貸しません。
そこで、アメリカの起業の資金調達は、直接金融による投資に頼ることになります。
直接投資を行う投資家は、銀行のような与信の体制を持っていません。投資家が、事業の経営者の能力を図る専門的知識も乏しいのです。
そこで、結局、投資家が投資判断する指標が、トップ経営者の学歴となります。これは、大企業の経営者でも同様で、多くの大衆投資家が納得して、株主総会で経営者として選任されるのは、どうしても、有名大学のMBAホルダーになるのです。
卒業の順位が、すべて公開されるハーバートの経営大学院
例えば、ハーバードの経営大学院であるビジネススクールは、卒業の順位情報を就職先が入手できるという、非常に厳しい大学です。
したがって、ハーバードのMBAを取得しても、その卒業順位が半分以下のヒトは、就職先や年俸が非常に限られてしまいます。このあたりが、超・競争社会であるアメリカらしいところです。
ハーバードの卒業シーズンの半年前あたりから、ボストンの街には、ハーバードの学位取得者をターゲットにするヘッドハンターが暗躍を始めます。そのターゲットも、半分以上の成績で卒業された方に限られます。したがって、結果的に、成績が悪くて、かろうじて卒業をした人は、ヘッドハンターにも相手にされず、よい企業への就職の道が閉ざされてしまいます。
このようにアメリカの大学院は、その成績が熾烈な競争におかれる、弱肉強食社会です。この競争に勝ちぬいた学力と精神力を、投資家が経営者の資質に求めるため、投資家は、有名大学院のMBAを、経営者につけるのです。
「上半分」がアメリカに残り、「下半分」の負け組が国に帰るという、競争の「仕組み」がアメリカを強くした
一方で、アメリカの大学院は、外国人が非常に多いのが特徴です。特に、ハーバードビジネススク-ルは、世界中からその国で最も優秀な人材が集まる、頭脳のオリンピックのようなところです。
そこで、すべての学生が、成績を競い合います。卒業もできずに国に帰ったり、より低い大学院に転校したりする学生も多々でます。そして、生き残った卒業生に完全に順位がつけられます。その結果、外国人でも、「上半分」に残った卒業生がアメリカに残り、「下半分」の卒業生が国に帰ります。
これが、アメリカ合衆国という世界一の国の、人材供給方法です。
最高の大学院のシステムを作りあげ、世界から優秀な学生を集めて徹底的に競争させ、残った優秀な人材を、アメリカのために仕事をさせる・・・。
これが、アメリカ合衆国の本当の姿なのです。
ハーバート時代に、プロテスタントに改宗した僕 ~プロテスタンティズムとアメリカ~
自由の国 アメリカは、日本人から見ると、謹厳な戒律やルールというイメージが結び付かないかもしれません。
しかし、アメリカ合衆国を建国した移民たちは、大陸で新教であるプロテスタントが中心であり、ハーバード大学も、創設以来、プロテスタントの牧師の養成機関として機能してきました。
プロテスタントの戒律は、清貧と努力を積みかさねることをミッションとしています。カトリックがビジネスを罪悪視し、富を教会に寄付することで、天国への道が開けると教えるのに対し、プロテスタントは、労働を奨励し、絶え間なく努力を積みかさねて、富を蓄え、事業を成功させて社会に貢献することを正しいと教えます。
この清貧と努力を肯定する考え方が、ハーバードを世界一の大学に押し上げました。
僕は、アメリカに留学するまで、多くの日本人と同じく、全く宗教には興味がありませんでしたが、ハーバードで、この極めて実利的な教義に出会い、プロテスタントに改宗しました。
日曜日に教会へも行かず、清貧を重んじて、働き続けるプロテスタント的生き方
プロテスタントは、神が世界を創って休みをとった、と旧約聖書に書かれている、日曜日に、教会に行くことを肯定しません。ですから、今でも、僕は、日曜日にも働き続けておりまして、これが、非常にプロテスタント的な生き方です。
清貧を重んじて浪費を戒め、事業の利益を再投資し続けて、事業を拡大することを正しいと考えるプロテスタンティズムが、アメリカ合衆国の現在の経済的な世界一の地位を生み出しました。
今でも、アメリカ人の多くが、プロテスタントであり、WASPという言葉に代表されるように、プロテスタントであることが、アメリカのエリートの条件の一つとされています。
このようなプロテスタンティズムのファンダメンタルズの上に乗ったハーバード大学のMBA教育は、その学力や思考力の錬成ということを越えて、不屈の精神で経営にまい進する自分を育ててくれたと思います。
このようなハーバードに代表されるMBA教育だからこそ、それを受けた人材が、株主から経営を委託されるに適した人材であると評価を受ける、アメリカの経済界を創ったのではないかと、僕は、個人的は考えています。
続く
本稿の著者
松本 尚典
- 米国公認会計士
- 総合旅行業務取扱管理者
日本の大手メガバンクから社費留学で、米国の経営大学院に留学し、MBAを取得。
その後、ニューヨーク ウオール街で、金融系経営コンサルタントとして11年間、活躍する。米国公認会計士。
リーマンショックの前年、2007年に日本に帰国。
その後、自身で投資する企業をグループとして、URVグローバルグループのオーナー最高経営責任者に就任。現在も、世界各国の事業で活躍中。