アウトオブアフリカ、そして暗黒大陸へ
人類の遠い先祖である猿人は、アフリカで進化を遂げて誕生しました。気の遠くなるほど長い年月、その原始的な人類は、アフリカの中だけで生息をしていました。
僕が、1991年、はじめてアフリカの地に立ったとき、その瞬間に感じた、ノスタルジアな感覚を、僕は、自分の遠い遠い先祖が発生したのが、この地だったからだと、理解しました。
そして、今から約6万年前。人類は、アフリカから、その外へ出ました。考古学で言う、アウトオブアフリカです。
そして、その後、人類は、世界のあらゆる地域に広がり、繁栄しはじめました。そして、あたかも、アフリカに残った人類は、その繁栄から取り残されたかのようになりました。
勿論、古代の一時期、北アフリカの東に反映した古代エジプトは、その更に東方のオリエントに栄えたメソポタミアを凌ぐ繁栄と安定を享受した、古代文明を築き、今尚、その神秘的な文明の痕跡で、僕たちを魅了してくれます。
そして、北アフリカに反映した古代カルタゴ(現在のチュニジア周辺の国家)は、古代ローマ帝国をも脅かす反映した経済大国でした。
しかし、このような一時的な繁栄も、オリエントやギリシャ・ローマなどのエリアと密接な関係がある、地中海沿岸地域、つまり北アフリカに限定されました。その南には、世界最大の砂漠 サハラが広がっていたため、文明は、いずれも、サハラを超えた南側、つまり、サブサハラアフリカまでには至りませんでした。
エジプトと、マグレブと呼ばれる北アフリカ以外の、このサブサハラエリアは、アウトオブアフリカの後、人類史の中で、その中心を担うことはありませんでした。
そう、サブサハラアフリカは、あたかも、6万年前のアウトオブアフリカで、冒険心あふれる人類の祖先が、アフリカからその外へ出ていって以来、この地にとり残された残骸のようになったのです。
その悲劇は、ヨーロッパやアメリカに近代国民国家が成立してから訪れました。
人類史の中の、忌まわしい歴史。奴隷貿易の狩場とされたのです。
急速に発展した経済を支える労働力が不足した国民国家が、労働力を商品として、それをグローバルなマーケットで調達を始めました。これらの国民国家の構成員は、白人でしたから、黒人は、その外見や頑丈な体格から、奴隷という労働力商品として位置付けるには最適だったわけです。
こうして、文明からとりのこされたサブサハラアフリカは、欧州やアメリカの奴隷の狩場と化し、多くの労働力が、劣悪な状態で海外に「輸出」され、サブサハラアフリカは、更に弱体化しました。
近代国家の犠牲にさらされたサブサハラアフリカは、まさに、「暗黒大陸」「絶望大陸」となり、貧困と隷属の象徴のようなエリアになってしまったのです。
1991年 僕がはじめて立った、エジプトとケニア
~アフリカの過去~
そんなアフリカに、僕がはじめて立ったのは、1991年。
日本の金融系シンクタンクにいた僕は、仕事でエジプトに入り、その仕事が終わった後に、数日の休暇を取得して、エジプトからケニアに、独りで旅をしたのです。
当時のアフリカに、日本人がビジネス旅行で比較的安全に入れた国は、エジプト・マグレブ(チュニジア・アルジェリア・モロッコ)・南アフリカ、そしてケニアとタンザニアくらいに限られていました。
その中の、エジプトとケニアに、僕が入ったのが、僕にとってのはじめてのアフリカ体験だったのです。
当時のアフリカがどんなところだったかをご紹介しましょう。
わかりやすく申し上げれば、「日本の国土の80倍の土地に、日本の人口の4倍のヒトが住んでいるところ」でした。
仕事で行ったエジプトのカイロは、非常にヒトが多い都市でしたが、一方、ケニアにいけば、もう、そこはただひたすら、広いだけのエリアでした。
広大なサバンナに、野生の動物たちが生息するのです。本当に、「広い!」という感動を、狭い日本で育った僕は、抱きました。
これが、1991年のアフリカでした。
2021年の今、アフリカで何が起きているのか?
~アフリカの現在~
僕がはじめてアフリカに立ってから、約30年後の2021年。
僕は、アメリカに留学し、ニューヨークで働いていた時代に培ったビジネス上のコネクションを活かし、北アフリカのチュニジアと、アメリカ東海岸を繋ぐビジネスを進めるため、アフリカに何度も立ちました。そして、ビジネスの合間に、北アフリカから、サブサハラアフリカの諸国に、独り旅を繰り返しました。
アフリカは、この間、大きく変わってきました。
僕が感じた、その変貌は、「広い!」という感動から、「密!」という驚愕へ変化していきました。
現在、アフリカ最大の経済大国は、ナイジェリア。
第2位の南アフリカを超えて成長しています。
このナイジェリアは、今や、「アフリカの巨人」と呼ばれる経済大国です。新興国ならではの、強烈な貧富の差はありますが、首都のアブジャ、そして大都市のラゴスなどに立つと、とにかくも、猛烈な「密」と交通量に驚愕します。「アフリカの巨人」とは、経済大国であると同時に、巨大な人口を擁する国家であることを込めて呼ばれています。
では、何故、30年前まで、日本の80倍の全アフリカ国土に、日本の4倍の人口しかいなかった、「広い」アフリカが、このような、人口爆発のエリアになったのでしょうか?
この理由こそが、今後の、未来のアフリカの姿を、僕たちに教示してくれる思索に繋がります。
急速な「少死多産」社会に変貌しているアフリカ
20世紀後半のアフリカは、日本・アメリカ・欧州などの先進国から、ひたすらに援助を受けるだけの、貧しいエリアでした。
日本からも、医療をはじめ、多くの援助が行われてきました。このような援助の成果によって、北アフリカから経済的にもインフラ的にも大きく遅れていたサブサハラアフリカで、医療設備などの環境が整備されてきました。この成果が目に見えて現れてきたのは、子供の死亡率の低下です。
医療が整備されていないエリアというのは、とにかく、乳幼児が死亡する率が高いのです。21世紀に入り、先進国からの医療などの援助のおかげで、サブサハラアフリカでは、乳幼児の死亡率が大きく下がり、子供が安全に育つようになってきたのです。
しかし、サブサハラアフリカの国家には、いまだに、独裁国家や軍事政権国家が多く、社会福祉が充実していません。とりわけ、年金制度が未整備です。
戦前の日本もそうでしたが、年金制度が整備されてないエリアでは、出生数が増大します。親は、老後に備えて、子供を多く産む志向に立つのです。
そうすると、何が、起きるでしょうか?
乳幼児の死亡率が下がっても、出生数が多いままです。その結果、生じるのが、「少死多産」社会です。
日本人は、いま、世界で最悪の人口減少社会に生きていますから、実感がないと思いますが、世界水準では、人類の人口は増大しつづけているのです。その人口増の担い手は、先進国からの援助をうけて少死化を成し遂げながら、国家体制の整備が追い付かず、その結果、多産化がとまらない、サブサハラやインドなどのエリアなのです。
1999年の世界人口は60億人でした。
これが、2020年には、70億人を突破しました。
そして、2050年には、世界人口は93億人に達すると予想されています。
人類は、2070年代に、その人口がピークを迎え、その後、減少に入ると予想されていますが、ここから50年間は、少なくとも人類は、増え続けると予想されています。
既に、日本・欧州・中国などは人口減少社会に入っています。
これに対して、インドと、サブサハラアフリカは、現在、人口激増社会です。
その原因は、医療環境の改善による少死化と、福利厚生の未整備による多産の維持です。
この結果、30年前に、ただひたすら「広かった」アフリカは、今や、超のつく「密」な社会に変貌しているのです。
2050年、そして2100年に向けて、アフリカはどこへ向かうのか?
~アフリカの未来~
では、このようなアフリカは、今後、どこに向かうのでしょうか?
これこそ、僕たちが、ビジネスの上でアフリカを見過ごすことができない、重要なポイントです。
先に記載した通り、世界水準では、人類の人口は増大しつづけています。先進国では、今後、人口は減少し、中でも労働者人口が減っていくことは、最早、食いとめられません。
その一方で、人類の人口増大を担う最大のエリアが、アフリカ、とりわけ、サブサハラアフリカです。
現在、少死多産現象がおきて、人口が増え続けているサブサハラアフリカでは、2050年には、21億2700万人以上に達すると見られています。2050年の世界の人口予想は、先に記載した通り、93億人と予想されていますから、世界の人口の約4人に1人が、サブサハラアフリカに住んでいることになります。
一方、日本は、現在の人口1億2000万人強から、毎年80万人程度の人口が減少していきます。2050年には、日本の人口は、1億人を割り込む可能性が高いわけです。そうなれば、日本のマーケットは、国民一人当たりの消費が今と同じだと仮定しても、今の80%程度まで減少することになり、GDPも今の80%以下にまで落ちる可能性が高いわけです。
既に、30年後の日本が、今の経済大国の地位にいるはずがないのです。
そして、アフリカは、2070年に訪れると予想されている、人類総人口のピークアウト後も、人口の増大が持続すると予想されています。
その結果、2100年には、世界人口111億8000万人に対して、サブサハラアフリカの人口は40億1000万人を超えると予測されています。何と、世界の人口の36%が、サブサハラアフリカに住んでいることになります。
2100年段階で、世界の人口上位10か国のうち、5か国を、サブサハラアフリカの国家が占めることになります(ナイジェリア・コンゴ民主共和国・タンザニア・エチオピア・ウガンダ)。
人類は、6万年前のアウトオブアフリカで、アフリカを後にして、世界に広がり、増え続けました。そして、今からの50年後に、その人口のピークを迎え、今から80年間で、もう一度、アフリカに帰っていくのです。
これは、SFの話でも、遠い未来の話でもありません。2021年に生まれた子供が、80歳になったときの、人類と地球の、リアルな姿です。
勿論、人口が増えるということが、そのまま経済力の増強に直結するわけではありません。
経済力 = 一人当たりの生産性 × 人口
この式によってあらわされるわけですから、人口が多くても、生産性が低ければ、それは、とてつもない食糧危機と貧困を、そのエリアに齎します。
しかし、おそらく、サブサハラアフリカの生産性は、今後、先進国から流入する投資によって、劇的に増大するでしょう。先進国(勿論、日系も含む)の投資は、今後、人口が増大するマーケットであるアフリカに向かい、アフリカの生産性を向上させ、賃金を向上させ、そして、生活を向上させるでしょう。
その結果、2100年には、世界の経済大国は、軒並み、サブサハラアフリの国々になっているでしょう。
アフリカ=貧しい こんな認識でよいのですか?
日本企業の経営者は、まだ殆ど、アフリカに目を向けていません。
確かに、2021年時点のアフリカは、インフラも、国民の生活水準も、国家の体制も、日本企業が進出するには、非常に厳しいものかもしれません。
しかし、30年後のアフリカは、今と同じではないのです。
この「特集 北アフリカとサブサハラ」は、このような視点に立ち、アフリカの未来に目を向けて投資を考える経営者のための、情報を発信して参ります。
続く
本稿の著者
株式会社URVプランニングサポーターズ 代表取締役
URV Global Mission Singapore PTE.LTD President
松本 尚典
- 米国公認会計士
- 通訳案内士(英語)
- 総合旅行業務取扱管理者
日本の大手銀行系シンクタンクのコンサルタントをえて、社費留学で米国の大学院でMBAを取得。ニューヨーク ウォール街で、金融系コンサルタント業務を10年以上、経験する。この時代に、アフリカのチュニジアの当時の独裁政権との太いパイプを構築し、欧米の多くの企業の北アフリカ進出を支援する。
その後、日本に本拠を移し、日本国内の大手企業の役員の歴任をえて独立。
URVグローバルグループのホールディングス会社 株式会社URVプランニングサポーターズ(松本尚典が100%株主、代表取締役)を2015年に設立。2022年現在、URVグローバルグループ(グループ企業総売上高日本円換算約25億円) 最高経営責任者兼CEO。
2022年1月に、サウジアラビアの首都リヤドに、グループの中東・アフリカビジネスの中核拠点として、リヤド中東アフリカ戦略センターを開設。
北アフリカと、サブサハラ各国の情報を収集しながら、22世紀に、世界の30%の人口が集中すると予測される、アフリカ市場への進出戦略を睨んで動いている。