サハラ砂漠に隔てられた、北アフリカと、サブサハラアフリカ
アフリカは、広大です。
従って、その様相は、非常に多面的です。
そのアフリカを大きく分けると、北アフリカと、サブサハラアフリカに分かれています。
北アフリカの南側に広がる、世界最大のサハラ砂漠は、航空機ができるまで、そこを人が自分の足で超えることは、命がけの所業でした。そのため、サハラ砂漠のその南側に広がるサブサハラに、北アフリカの文化などの影響が及びにくかったことで、北アフリカと、サブサハラアフリカは、まったく、別の文化圏・民族エリアになったと考えてよいと思います。
サブサハラアフリカは、21世紀から22世紀に至る、今後の100年の中で、世界の人口が最も増大する地域であると、世界中の人口統計の専門家が考えています。
人口が激増するということは、政治が安定し、経済が発展して中産階級が多数生まれてきた場合、爆発的な経済成長を期待できるエリアとなります。しかし、政治が混乱し、クーデターや内戦・テロ行為が続けば、激増する人口は、そのまま、大量な飢餓問題を生み出します。
サブサハラが、今後、100年間で、世界の経済の中心になるのか、あるいは絶望の飢餓の巣窟になるのかを判断するには、2020年代の今はまだ、視界が不明瞭といわざるをえません。
それが、現段階でサブサハラに積極的に経済的なコミットを行う中国企業と、いまだ二の足を踏む日本企業との、態度の差になってあらわれています。
一方で、北アフリカは、政権の不安性さはいまだ残るものの、サブサハラに比較すれば、未来像を見通しやすいエリアではないかと僕は思っています。
北アフリカ マグレブ3か国は、ヨーロッパ文化圏
特に、歴史的に、地中海を隔てたローマ帝国の支配を受け、ヨーロッパ、とりわけフランスを宗主国として発展してきた、マグレブ3か国は、日本人にとって、エジプトと並んで、比較的、わかりやすいエリアではないかと思います。
日本人にとって、「アフリカ入門」の第一ステップが、エジプトとマグレブ3か国の理解だと、僕は思っています。
マグレブ3か国とは、東側から、チュニジア・アルジェリア・モロッコの3か国を指す言葉です。
マグレブ3か国を旅すると、そこが、アフリカだということを忘れることがあります。
マグレブ3か国のうち、最もヨーロッパとつながりが深いチュニジアでは、上流階級の食生活は、ほとんど、イタリア料理とフランス料理ですし、地中海沿岸には、欧州の上流階級の高級別荘地が広がっており、バカンスを楽しむ欧米人がたくさんいます。
チュニジアから観る地中海は、汚染がまったくない、「チュニジアンブルー」と呼ばれる紺碧の常夏の海で、ここに憧れる欧米人が、バカンスを楽しんでいます。
モダン・ジャズのスタンダードナンバーである、「チュニジアの夜」は、ジャズ好きの方で、知らない方はおられないでしょう。
紺碧の、常夏の地中海リゾートの夜に憧れる欧米人が生み出したジャズ音楽です。
マグレブ3か国の歴史は、ヨーロッパと深く関わってきた
世界の巨大文明は、メソポタミア(現在のイラク)で始まり、エジプトがそれに続き、そして、地中海を巡るギリシャとペルシャ(今のイラン)、そして、ローマ帝国へと繋がってゆきます。
中東と、地中海沿岸地域は、人類の巨大古代文明の発祥の地であり、その中に、今の北アフリカが位置付けられてきます。
北アフリカで、古代文明を長期にわたって反映させたエジプトに続き、ローマ帝国時代に主役の一人に名乗りをあげるのが、フェニキア人の海洋国家カルタゴです。
古代ローマ史が好きな人であれば、カルタゴにおけるハンニバルの、第二次ポエニ戦争は、ローマ史の中の、心躍る物語の一つとして、よくご存知ですね。
ユーラシア世界を支配する勢いで拡大した巨大帝国古代ローマの前に立ちはだかった海洋貿易国家カルタゴ。その将軍で、ローマ帝国をして「最大の強敵」と言わしめた戦術家が、ハンニバルでした。
ハンニバルがローマ帝国によって破られ、カルタゴは、ローマの植民地となります。
ここに、北アフリカにヨーロッパの文明が影響を及ぼした原点があります。
よく、日本の観光客で、ローマのコロッセウムを観て、その崩壊の状態を嘆く人に、僕は、地中海を渡ったチュニジアに残る、コロッセウムを観ることをお勧めしています。
チュニジアのコロッセウムは、観光地化しておらず、いまだに、古代の姿が、かなり忠実に、今に残っているからです。
長い中世の闇があけ、ヨーロッパに近代が到来すると、アフリカに大きな影響力を及ぼしたのは、フランスでした。
今、アフリカの諸国家を考えるうえで、欠かすことができないのは、フランスの影響です。
今、我々がアフリカの地図をみて、その国家の国境線をみると、それが、非常に人工的にひかれた線であると気づくと思います。
アフリカの国家は、近代国民国家が生じるにあたり、そこに自律的な権力が生じて発生したものではありません。
フランスが独立させたり、あるいは、フランスの支配から独立したりする過程で、人工的にひかれた国境線に従って、生じた国家群が、アフリカの国々です。
そのため、そこで、それぞれの地域の民族や宗教によって纏まる民族問題が考慮されなかったことが、いまだに、サブサハラアフリカに、民族紛争や宗教紛争が絶えず、非常に政治的な権力があいまいで、腐敗的で、脆い理由です。
一方、マグレブ3か国も、その宗主国がフランスでした。マグレブ3か国は、地理的にもヨーロッパに近く、かつ、ローマ帝国の支配を受けた歴史から、ヨーロッパ文化に近かったことで、ヨーロッパの経済的な発展の恩恵を受けて、発展しました。
これが、マグレブ3か国が、他のアフリカとは異なる要素です。
チュニジア発 ジャスミン革命の勃発と、ヨーロッパ化
2010年12月18日。
チュニジアで、宗主国フランスとの同盟を軸に、23年間、政権を保った、ザイン・アル=アービディン・ベン=アリ大統領に対する反政府デモが、一人の青年の焼身自殺に端を発して、勃発しました。
そして、この大きなうねりは、中東全土に拡大。
これが、ジャスミン革命です。
ジャスミン革命は、中東の民主化を急速に推し進めようとした、民主党のオバマ政権が仕掛けたアメリカ合衆国による、民衆の情報の操縦によって起きたと言われていますが、仮に、そのような意図と動きがアメリカ政府にあったとしたら、ジャスミン革命は、完全にアメリカやフランスなどの先進国にとって、大きなマイナス効果を及ぼした「失敗革命」だったと評価せざるをえないでしょう。
民主化という単純な政治志向で統制がとれるほど、アフリカや中東は、単純ではないからです。
中東の独裁政権の力を弱めることによって、そのチカラで封じ込められていた、イスラム過激派という「パンドラの箱」があいてしまったのです。
イスラム国をはじめとする、欧米文明の破壊を目指す中東のイスラム過激団体や、アフリカ経済大国ナイジェリアのテロ組織ボコハラムなど、欧米にとって、独裁政権とは比較にならないほど、やっかいな勢力が、中東とアフリカで、勢力を伸ばしてしまいました。
内乱が収まりかけ、ナイジャリアや、エチオピアなどの経済大国が、アフリカ経済を大きく成長に導くシナリオが、内乱のかわりに頻発するようになったテロによって、アフリカと中東に、非常に大きな経済的損失をもたらし、人民への悲劇が生まれました。
マグレブ3か国もまた、ジャスミン革命の後、独裁国家から脱却したにもかかわらず、独裁時代よりも経済的に貧困が進む中、今、新たな独裁化の道に進む可能性が強まっています。
ジャスミン革命の結果、今の北アフリカのマグレブ3か国は、少し、ヨーロッパ化から遠のいたように僕は感じています。
本稿の著者
株式会社URVプランニングサポーターズ 代表取締役
URV Global Mission Singapore PTE.LTD President
松本 尚典
- 米国公認会計士
- 通訳案内士(英語)
- 総合旅行業務取扱管理者
日本の大手銀行系シンクタンクのコンサルタントをえて、社費留学で米国の大学院でMBAを取得。ニューヨーク ウォール街で、金融系コンサルタント業務を10年以上、経験する。この時代に、アフリカのチュニジアの当時の独裁政権との太いパイプを構築し、欧米の多くの企業の北アフリカ進出を支援する。
その後、日本に本拠を移し、日本国内の大手企業の役員の歴任をえて独立。
URVグローバルグループのホールディングス会社 株式会社URVプランニングサポーターズ(松本尚典が100%株主、代表取締役)を2015年に設立。2022年現在、URVグローバルグループ(グループ企業総売上高日本円換算約25億円) 最高経営責任者兼CEO。
2022年1月に、サウジアラビアの首都リヤドに、グループの中東・アフリカビジネスの中核拠点として、リヤド中東アフリカ戦略センターを開設。
北アフリカと、サブサハラ各国の情報を収集しながら、22世紀に、世界の30%の人口が集中すると予測される、アフリカ市場への進出戦略を睨んで動いている。