2020年代の今、何故、カンボジアが急成長をはじめたのか?

2020年代に急成長をはじめたカンボジア

カンボジアにおける、2022年の経済成長率は5.0%を記録し、この原稿を執筆している2024年3月現在、2023年の経済成長率は5.3%以上と予想されています。

2021年の成長率2.2%から大きく伸ばしており、その成長率の増大は、ASEAN諸国の中で、特筆すべきものがあります。

中国の経済成長率が5%を維持することが極めて困難となり、タイやベトナムの成長率が頭打ちになっていることから考えると、カンノジアの成長率は、今、注目すべきものがあります。

なぜ、カンボジアが2020年代に急成長をはじめたのか?

今になっての、カンボジアの、この目覚ましい成長率の理由は、カンボジアの経済成長の目覚めが、タイやベトナムから比べて遅かったためです。

日本では、カンボジアに関して、ポル・ポトによる極端な原始共産主義的な統治と、それに基づく虐殺が有名です。確かに、ポル・ポト派の虐殺によって、カンボジアの知識層が大量虐殺され、その影響は、長きにわたって、カンボジアの教育が機能せず、経済発展を妨げてきました。犯罪の多発や、東南アジア最悪と言われる売春は、カンボジアにおける教育者層の薄さに原因の一つであることは否めません。

一方で、ポル・ポトによる統治だけが、カンボジアの経済発展を妨げた原因ではありません。

ポル・ポト後のカンボジアの内戦に大きな原因があります。現在のカンボジアを知るためには、このカンボジア内戦の事情をよく知っておく必要があります。

ポル・ポト後のカンボジア情勢

カンボジアを独裁し、カンボジアを恐怖に陥れたポル・ポト政権は、極端な原始共産主義社会を構築しようとしたため、1970年代後半のカンボジア経済は、ほぼ止まってしまいました。当然、カンボジア国内の国民の生活には、貧困が襲います。

この状態を隣国であるベトナムの責任であるとする、架空のストーリーをでっち上げ、ポル・ポト政権は、1971年1月から、ベトナム領内へ攻撃を開始しました。

これに対し、ベトナムは、自国内に逃げ込んでいたカンボジア難民を救援するという体裁で、カンボジアに対し反撃を開始します。カンプチア救国民族統一戦線を組織し、それを先頭にたてて、カンボジアへの侵攻を開始したのです。

ポル・ポト政権は、ベトナムからの侵攻開始から2週間で、陥落。ヘン・サムリン政権という親ベトナム政権が樹立されます。

ヘン・サムリン政権は、ポル・ポト政権下で起きた虐殺を、世界に公表しました。ポル・ポト政権がカンボジアを支配した3年8か月という短い期間に、飢餓と粛清で犠牲になったカンボジア人は、100万人から300万人と、いまだに特定されていません。

カンボジア国内のいたるところから、白骨死体が出てくるという、惨状に、世界は驚愕しました。

しかし、ヘン・サムリン政権が樹立され、カンボジアが平和になったかというと、全くそうではありませんでした。

ヘン・サムリン政権は、親ベトナム政権でしたが、当時のベトナムは、ベトナム戦争終結後、ソ連と親密な関係にありました。

一方、中国は、アメリカと国交を回復したため、中国は親米時代に突入し、中国とソ連と関係が悪化します。

このような状態の中で、ベトナムがカンボジアに侵攻し、親ベトナム政権がカンボジアに樹立をされたということは、ヘン・サムリン政権は、間接的に親ソの政権であると、米国と中国は考えます。

これは、中米にとって、面白くありません。

親ベトナムのヘン・サム政権が、ポル・ポトを排除して、政権を樹立した直後の1979年2月に、中国は、ベトナムに軍事侵攻を開始します。これが、「中越戦争」です。

しかし、当時の人民解放軍は、外国に軍事侵攻できるほどの実力がありませんでした。一方、ソ連からの軍事援助を受け、米軍がベトナム戦争で南ベトナムに放置して帰った米軍の武器を持ち、対米戦争であるベトナム戦争で米軍すら排除したベトナム軍は、非常に強い軍隊でした。

中越戦争は、中国人民解放軍の惨敗におわり、中国はベトナムから撤退します。ベトナムから撤退した中国の人民解放軍は、ベトナムのかわりに、カンボジアの親ベトナム・新ソ連政権 ヘン・サム政権の打倒に目をつけます。

ヘン・サム政権に倒され、カンボジアとタイの国境付近に逃げていたポル・ポト派に、中国人民解放軍は、武器の提供を開始し、カンボジアの親ベトナム政権に対するク-デターを仕掛けました。

それにチカラをえて復活したポル・ポト派は、再度軍隊を編成し、カンボジアで内戦を起こします。カンボジア内戦は、実質的には、ソ連の後ろ盾をえた親ベトナム政権対中国・アメリカの後ろ盾をえたポル・ポト派の内戦です。

カンボジア人が、米ソ中という大国の代理戦争として、10年以上殺し合いを続けたのです。

このカンボジア内戦は、1993年まで続きます。ポル・ポトの虐殺だけでなく、この内戦によって、カンボジアは、多くの知識人を失い、国のインフラは、ボロボロになりました。

これが、カンボジアが、タイやベトナムから、大きく経済的な成長を遅らせた原因です。

中国に先んじられている日本 内向き姿勢と過度なリスク回避志向がカンボジアで後れをとる原因に

今、日本人のビジネスマンとカンボジアに関する話をすると、決まって、帰ってくる答えは同じ、しり込みをする内容です。

「治安が悪い」
「役人の汚職が激しい」

このような、ネガティブな印象を皆が口にします。そして、カンボジアは、多くの日本企業のASEANの中での進出候補エリアから外されています。

実際、カンボジアに駐留する日本人ビジネスマンは、タイやベトナムと比較して、非常に少なく、報道されるカンボジア在住の日本人は、犯罪集団に属している劣悪な層が目立ちます。

しかし、一方で、今、カンボジアの高い経済成長率を享受しているのは、上記の歴史からわかる通り、20世紀後半に、反ベトナムとして、カンボジア同志を長年に渡って戦わせてきた中国人です。

カンボジア人の中には、このような中国に対して、反感を持つ人たちも多いのですが、そんなことはお構いなしで、中国企業は積極的にカンボジアに進出し、その成長の果実を、入れ食い状態で食べています。

日本は、歴史的にカンボジアと紛争を起こしたことはなく、長年にわたって、様々な形でカンボジアを支援してきた歴史がありますが、日本企業は、リスクばかりを強調して、カンボジアのラブコールにこたえていません。

カンボジアをリスクとみるか、チャンスとみるか?

今後、ASEAN諸国に進出する日本企業にとって、これは、重要な提起される問題なのではないでしょうか。

続く

本稿の著者

松本 尚典
URVグローバルグループ 最高経営責任者兼CEO

松本 尚典

  • 米国公認会計士
  • 総合旅行業務取扱管理者

米国での金融系コンサルタント業務を経験し、日本国内の大手企業の役員の歴任をえて、現在、URVグローバルグループ CEO。グループの総合商社・海外進出支援事業を担当する、株式会社URVグローバルミッション(本社 東京港区京橋)代表取締役社長。
東南アジアの拠点として、シンガポールにURV Global Mission Singapore PTE.LTD(本社 シンガポール One Fullerton)を持つ。
2023年に、ベトナム事業から、カンボジア事業に進出を開始。
首都プノンペンにURVグローバルグループオフィスを設置している。

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