アメリカ合衆国で、2018年「クレイジー・リッチ」というコメディ映画が話題になった。
この映画は、ケヴィン・クワンの「クレイジー・リッチ・アジアンズ」という小説が原作になっている。
アメリカ人女性が出会ったアジア人が、シンガポールの大富豪だった、というラブコメディ映画だ。
ひと昔前、アメリカのこの手の映画で描かれる大富豪は、「星の王子様」のようなアフリカの王族であり、あるいはアラブの王族だった。
今や、アメリカ人女性が思い描く「玉の輿」先は、シンガポーリアン、というわけだ。
シンガポールは、国民一人当たりのGDPが、アジアで最も高い国。所有資産が、10億円を超える家庭が全世帯の10%もある。アジアで最も国民がリッチな国家だ。
面積は、東京23区とほぼ同じという小国。
1965年に、マレーシアの一州から独立し、天才的な指導者リー・クアンユーの元で、奇蹟的な経済成長を達成。1990年代には、「アジアの龍」と称される、香港・ソウル・台北と並ぶ経済成長エリアとなり、その後、更に、これらの都市を独自の国家構想で引き離した独特の国である。
2018年に、第一回米朝首脳会談がシンガポールで行われた。これは、アメリカ合衆国が、北朝鮮の金正恩氏に、シンガポール型の独裁国家としての発展を提案するメッセージだったと言われている。
このシンガポールには、そのグローバル経済の地政学的な位置づけと、国際金融センターとしての位置づけから、世界のヒトとカネが集まる。加えて、この経済成長を達成した最大の要因と言われる、優れた教育システムが存在する。
ASEAN諸国に溢れ出す、活力ある若者たちは、シンガポール・ドリームを抱いて、この地を目指し、隣国である将来の経済大国インドネシア企業からも、熱いビジネスの視線が注がれている。
このシンガポールで、主に日本企業の進出と、貿易による販売の拠点を担うのが、URVグローバルミッション・シンガポール社だ。
その社長は、フランス人のご主人と結婚し、3児の母として育児をこなしながら、シンガポールと日本の間を飛び回る、凄腕の女性らしい。
ということで、URVグローバルミッション・シンガポールの本社が入る、シンガポールのワンフラトンのスターバックスカフェで、五十嵐社長にインタビューした。
ワンフラトンは、シンガポールの象徴 マーライオンの真後ろにある、シンガポールの超一等地のビル。眼前には、マリーナベイサンズが煌めいている。
本日は、URVグローバルミッション・シンガポールの五十嵐社長にお時間をいただき、お話をお伺いいたします。五十嵐社長は、家庭を持って、3児の子育てをしながら、日本とシンガポールの間を行き来されているとお聴きします。ご多忙のところ、お時間をいただき、ありがとうございます。
五十嵐社長:いえいえ。
こちらこそ、わざわざ、東京からシンガポールまで、取材にお越しいただき、恐縮しております。
シンガポールに移住するまで
早速ですが、まず五十嵐社長が、何故、日本人でありながら、このシンガポールに会社を興されたのでしょうか?
五十嵐社長:私は、大学卒業後、リクルートグループの情報誌制作会社に新卒で入社し、月刊誌、週刊誌などの媒体制作を担当しておりました。
子供のころから、生徒会活動や学級委員をやるような、どちらかというと、リーダーでいることが多い女の子で、入社先では、周りを巻き込みながら、ゴールへ向かっていくという仕事が、とても性格にあっていたと思います。
そんなことがあったからだと思いますが、私の上司から、次の挑戦をしてみないかとの話を、新しい会社を作るという段階でいただき、ベンチャー企業の世界に飛び込みました。
今の夫との結婚を機に、その会社を変わりましたが、以来、ベンチャー企業での仕事を続けて参りました。
契機になったのは、2011年の東日本大震災でした。家庭の安全という観点で、日本は大丈夫なのか、ということを、フランス人の夫と話し合いまして、シンガポールに住まいを移しました。
これが、シンガポールに住まうきっかけになりましたね。
家庭と起業
シンガポールで、家庭を持ちながら、起業をされたのは、どんな理由からですか?
五十嵐社長:私は、日本の独身時代の仕事では、かなり、「キャリアウーマン」的な強い性格の女性だったように、今から思うと感じます。男性と張り合い、仕事中心の生活を当然と感じ、仕事が出来ない部下や後輩を想いやる心が、足りなったと反省することもあります(笑)。
そんな私が、外国で、家庭を持ち、子供を育てることになって、母親という視点を持ち、自分のとがっちゃっていたところが、いい具合に丸くなってきたと思えるのです。
子供を持てば、仕事に割ける時間は有限ですし、仕事で嫌なことがあったから、呑みにいっちゃえ、っていうのもできません(笑)。
夜、遅くまで仕事をしていても、子供は、朝、5時くらいには、起きてきちゃいますしね。
家庭を持って、はじめて、私は、ハンディを持ったヒトの視点から、仕事や会社をみることが出来たように感じました。
「あ! 寧ろ、家庭を持った今なら、逆に、自分の会社を経営し、部下の立場に立って考え、成功できるかもしれない」
そう思ったのです。

家庭を持ち、子育てをして、ハンディを持ったからこそ得られた視点で、自分の会社を起業し、成功させられるというのは、今後の日本の女性起業家にとって、とても参考になる考え方だと思います。
何故、シンガポールで起業したのか?
さて、起業までの道筋を教えていただけますか?
五十嵐社長:私が、まだ日本にいた時、弊社の属する企業グループであるURVグローバルグループの、松本CEOとお目にかかりました。
松本さんは、当時、日本の大手企業グループの海外進出コンサルティング会社の取締役をされておられ、女性の活力を海外事業に活かす視点で、様々な女性と会っておられました。
ベンチャー時代の同僚だった方から、松本さんをご紹介いただき、私も、日本で松本さんにお会いして、何度か、お食事をご一緒していました。
シンガポールに私が渡り、個人事業主の許可を得た後、松本さんのシンガポールの仕事上の視察やテクニカルビジットで、私が、松本さんをご担当致しました。そんなことがきっかけで、松本さんの、シンガポールビジネスの情報収集担当としての仕事をお引き受けしたのです。
この仕事が発展し、松本さんから、出資をするから、自分の会社をシンガポールに創ってみないか、と、いうお話をいただきました。
私は、家庭も持っていますし、仮に起業をするとしても、私の個人の力や、資金では、とても、事業を進めて行けません。URVグローバルグループは、松本さんが、日本とアメリカで、長年に亘って積み上げてこられた、お客様や経営資源を持っています。
「あなたの自立した個としての力を、グループが持つ力に有機的に連携させることで、事業を進めましょう」とお話いただき、URVグローバルグループの会社の経営をお引き受けしました。
シンガポールという国と、日本。事業の環境としては、どう違いますか?
五十嵐社長:シンガポールは、法人税が安いというタックスヘイブンばかりが注目されますが、それだけでなく、ASEANの中心都市として、優秀なヒトが集まっているというメリットがあります。
子育てをしていると、本当に痛感するのですが、シンガポールの学校教育は、本当に厳しいです。徴兵制もあります。
日本の若者にはない、非常に緊張感のある教育の中で将来の成功を目指す気質が、若い国民にみなぎっている国です。
その意味で、よいヒトが採れないという日本企業の課題を、シンガポールは、解決できる国だと私は思います。
ベトナムやインドネシアというASEANの有望国は、外資規制が激しく、外国人が中小企業を経営するには、非常に難しいですね。
その点、シンガポールは、現地のダイレクターさえ用意できれば、外資でも、受け入れてくれます。
弊社では、現時点では、親会社である日本の株式会社URVプランニングサポーターズと連携をした、日本企業のASEAN進出支援事業、日本企業の視察旅行事業、貿易事業の3本の事業を柱にしています。今後、企業のASEAN諸国での、マーケティング支援も事業を進めたいと思っています。
では最後に、五十嵐社長の、事業に向けた抱負を教えてください。
五十嵐社長:まずは、仕事を一つ一つ、丁寧に仕上げていくことに集中したいと思います。
どこの国の企業でも、外国に出ると、自分の国とは全く勝手の違うことにぶつかり、困惑すると思いますので、日本企業のそのような困惑することを、丁寧に解決することに手を貸す。これが、まずは重要だと思っています。
ありがとうございました。
今後のご発展、期待しております。
五十嵐社長:こちらこそ、ありがとうございました。
お気をつけて、日本にお帰りください。
【インタビューを終えて】
子育てというハンディから生まれた「よき経営者」
五十嵐社長とのインタビューを終え、私は、観光客で溢れかえるマーライオン公園から、独り、シンガポールリバーサイドを歩いた。
国際金融センター シンガポールを象徴する超高層ビル群がリバーサイドに広がる。
私がお会いする働く女性には、仕事と子育てを、どう両立するかに努力を払われている方が多い。男性との比較で、ハンディをどう克服するか、という点に、努力を払われ、子育てのハンディを仕事に影響させないことに、多くの働く女性が苦心されている。
しかし、五十嵐社長は、寧ろそうではなかった。
自由な独身時代の五十嵐社長は、きっと、今よりも、ずっと激しい性格の、女性ビジネスマンだったのだろう。
他の人も、自分のように出来ることが普通であって、自分の出来ることが出来ない後輩や部下をみて、それが理解できない、というのが、「出来る人たち」の感覚だ。おそらく、五十嵐社長も、かっては、そういう「出来る人たち」の思考をされる方だったのではないかと感じた。
しかし、この「出来る人たち」というのは、サラリーマンの「出来る」人たちに過ぎない。経営者になった時には、そのような「出来る人」の経営する企業は成長しない。
よき経営者は、自分の組織に入る、すべての部下の力を発揮させ、チームの連携を創り出し、組織として、最高のパフォーマンスを生むことに長けているものだ。出来ない人の立場と目線に立ちながら、組織として、個人の力の不足を補ってこそ、優れた組織なのだ。
五十嵐社長は、結婚し、シンガポールに家庭を移され、子育てをされた。
当然、海外での生活や子育ては、日本にいるのとでは、その困難度は全く違うだろう。
モノゴトが、上手くいかないほうが普通で、上手くいったら、よかったね、というのが、海外で暮らしたことがある人が誰でも抱く感覚だ。
そのような海外での子育てを通して、五十嵐社長は、出来ないヒトや、ハンディを持った人の気持ちに立つことを学ばれた。
人間として、大きな成長をされ、「出来るサラリーマン」から、「よき経営者」に脱皮されたのだ。
シンガポールは、マレーシアから独立したとき、大きなハンディを背負っていたと言われる。
小さい国土、少ない人口。リー・クアンユー氏は、このハンディがあったからこそ、国民の力を結集し、国民のすべてを経済的な戦力に変え、世界からヒトとカネを集めて、アジアで最も豊かな国を創ったのだ。
ハンディがあるからこそ、最も強い組織を創れたシンガポールに、五十嵐社長の生き様は、とてもよく似合っている。そう感じた。
URV Global Mission Singapore PTE.LTD. サイトURL
https://urv-group.com/urv-gms/