株式会社ドリームネット
創業は、平成9年3月。
代表取締役の田中紀治社長は、ITがオフコンと汎用機中心の時代から、コンピューターネットワーク開発と、システムコンサルタントのプロ集団を率いる会社経営者として、ITテクノロジーの進化を見つめ続けてきた、まさに、「時代の目撃者」。
ナレッジ経営者の代表選手のような田中社長にインタビューをするため、東京神谷町にある、株式会社ドリームネットを訪問した。
霞が関に隣接する、メガロポリス東京の心臓部である神谷町に、ドリームネットは、創業以来23年間、本拠地のオフィスを構え続ける企業だ。
本日は、株式会社ドリームネットのオフィスにお伺いしております。
田中社長:あんまり面白い話、できないかもしれませんよ・・・。
(あれ? 田中社長、誰かに似てる? あ!吉本芸人のスギちゃんだ!)
あのお・・・。吉本のスギちゃんに似ているって、言われませんか?
最初から、失礼ですが・・・。
田中社長:よく言われます。
昔、スギちゃんが人気あったころ、結構、会う人ごとに、言われました(笑)。
そうですか。失礼しました。
インタビューをはじめさせていただきますね。
自動車技術から、ネットワークの世界へ
さて、まず、田中社長が、ドリームネットを創業される前の、創業のご経緯から、お伺いしてよろしいでしょうか?
田中社長:はい。私は、大学では、自動車部に所属しまして、モータスポーツや車両整備などで日々過ごしており、学生時代に整備士の資格も取りました。
そんなことで、自動車に非常に興味があったもので、最初の就職先は、ヤナセでした。ヤナセで、メカニックの仕事を2年、やらせていただきました。
ですから、技術という仕事でいうと、最初は、自動車だったのです。
その仕事の中で、開発の仕事に興味を覚えだしました。設計がしたくなったのです。
それで、次の会社の門を叩きました。その会社の採用担当から、あなたは、大学で、システム工学が専攻だよね、それをやってみなさい、ということを言われ、構造解析の仕事に就いたのです。80年代でしたが、原発の解析プログラミングの仕事でした。
おお!
原発のプログラミングとは、それはまた、凄いお仕事ですね。
田中社長:周りは優秀な方ばかりでしたね。
その後、金融の情報システム部門の業務を経験しました。丁度、その時、”LAN TIMES”というソフトバンクが出している雑誌から、18か月連載で、「システム管理者奮戦記」という記事の取材が入り、私が、その「システム管理者」として、私の仕事の奮闘が掲載されたのです。
この仕事が、ネットワークの仕事との出会いだったと思います。その後、技術者として独立し、1年間のフリーの期間をえて、ドリームネットを創業しました。
MaaS ~ITと自動車の融合~
自動車からお入りになったということですが、そうすると、まさに、今、自動運転車を巡る、MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)時代に、田中社長の「想い」は、ひとしおなのではありませんか?
田中社長:そうですね。自動運転技術が、レベル5まで行くには、相当な時間がかかるとは思いますが、自動運転技術は、ネットワークテクノロジーと自動車技術の融合です。
今、世界の自動車メーカーと、ITの巨人が提携し、「自立して走らせる」開発を進めています。
自動車運転のためには、車と車の通信、つまりコネクテッドが、これからは重要です。
今は、自動運転の車が、自立して走行することを目指していますが、お互いの車同士がコミュニケーションを取り合う自動運転が出来れば、よりスムースな自動運転環境ができると思っています。そのためには、車と車がメーカーの垣根を超えて、コミュニケーションをする通信プロトコルの取り決めも必要になります。パブリックな通信になることから、ネットワークセキュリティも、今まで以上に重要となるでしょう。
また、ITの歴史の中で、最も大きな進化は、端末なんですね。基礎にある、ネットワークやプロトコルは、あまり変わっていないわけですが、アプリケーションの進化は凄まじかった。つまり、iPhoneを生みだしたスティーブ・ジョブズの仕事が偉大だったわけです。
成るほど。通信技術はそれほど変わっていない。
変わったのは、通信速度・通信量・そして、アプリケーション、ということですね。
田中社長:はい。それと、セキュリティ。
アプリケーションが広がり、Googleの検索エンジンが猛烈なスピードで普及しました。そこに、大量の人たちが、インターネットに参入したわけです。そうすると、高度な技術者という意味での、ハッカーが、悪さをはじめる。ブラック・ハッカーに変貌するわけです。
そうなると、セキュリティが進化するわけですね。
SIerの業務と、働き方改革
このようなITの進化の中で、御社の事業は、どのような形態をとられてきたのですか?
田中社長:うちは、SIerの位置づけです。大手SIerさんのお手伝いもします。
私は派遣という形態が好きではないので、請負で仕事をさせていただいております。
SIerさんの業務の場合、今の働き方改革の時代の流れの中、経営者の立場で言いますと、労務との関係で、非常に厳しいのではないでしょうか?
つまりは、ブラック企業になりやすいという意味で。
田中社長:ところが、ウチは、とてもみんな早く帰っているんです。
それは素晴らしい。
つまり、高い技術力と、高い生産性の企業、ということですね?
田中社長:そういうことにしておきましょう(笑)。
ウチは、社員は裁量労働制なんですが、残業代は原価として計算すると社員に公表しています。一方、評価は、利益に対して行います。
そうすると、チームで仕事にあたる場合、特定の人の生産性が低いために残業をすると、チーム全体の評価が、それだけ落ちる結果になるのです。そのために、おそらく、相互に協力し合い、教えあって、生産性をあげているのだと思います。
なるほど。
それは、非常に優れた労務管理方法ですね。
田中社長:みんなが自立し、高い技術力を持つ会社であり続けたいと思っています。
本当は、社員を100人くらいに増やしたいのですが、誰でも採用すればいいというわけではありませんよね。個々の技術力や人間力が落ちたのでは、企業として存続できません。
今の時代、システムが止まれば、飛行機が飛ばなくなる時代です。飛行機の機体には何ら問題がなくても、搭乗手続きのシステムが止まれば、すべてが止まってしまう。その意味で、システムを開発し、監理を続ける仕事は、非常に高い技術力とストレス耐性が求められます。
お客様の企業の生命線を担う仕事で、開発に失敗すれば、それは、お客様の社運を傾けることになりかねません。
そのため、社員全員が、高い技術力とお客様のために働く高いプロ意識の会社であり続けたいと思っています。
そうですね。システムは、まさに、今の企業の生命線ですから。
本日は、ありがとうございました。
田中社長:こちらこそ、ありがとうございました。
【インタビューを終えて】
技術者「魂」を、軽い「ユーモア」で包んだ社長
田中社長は、IT技術者の社長だけあって、そのインタビューが始まると、テクノロジーに関するボキャブラリーが、連続して、口から飛び出す。
私は、IT技術者のインタビューを原稿にする場合、読者の理解との両立の関係で、テクノロジーに関するボキャブラリーを、大きく削減して原稿を作ることにしている。
特に、若いIT系の技術者の場合、そのインタビューでは、「自分を見せつけるための専門用語」の連発が多い。そういう時、私たちですら、反感を覚えることもある。
しかし、田中社長のインタビューでは、何故か、ITの専門用語の連発に、嫌味を感じない。
おそらく、それは、ネットワークという概念が生まれはじめたばかりの、80年代から時代を目撃し続けてきた、「歳の功」だろう。
そして、もう一つ。
田中社長には、スギちゃんに似た「愛らしさ」が、どことなく感じられる。
おそらく、社長でありながら、クライアントからも、可愛がられてしまう「愛らしさ」のようなものだ。
話の内容は、シャープで、技術的で、そして、機関銃のように、ITのボキャブラが口から出てくるも、それがどことなく愛らしい。
軽い「ユーモア」に包まれた、得なお人柄なのだと感じた。
「SIer企業は、ブラック企業にならないようにすること自体が、大変です」
こう、最後に言われた田中社長の、これが本音だと思う。システムという、企業の根幹を開発・監理する企業では、社長も社員も、猛烈な重圧の中で、仕事をされているに違いない。
しかし、その中で、ドリームネットがブラック企業ではない、明るさがあるのは、きっと、この田中社長の持つ、スギちゃん的ユーモアセンスが、無関係ではない。
そんな気が、私にはするのである。